カテゴリー「クラシック」の50件の記事

2016年5月21日 (土)

ラトル、ベルリンフィルのシベリウス交響曲全集

BPHR170_Sibeliusシベリウスの交響曲を、また改めてきちんと聴こうと思う日がくるとは、本当には思っていなかったような気がする.

…なんて、ちょっとへんな言い方になったが、それはずっとむかし、まだクラシック音楽を聴きはじめて間もないころから、シベリウスは数少ない “好きな” 作曲家のひとりだったからだ。

当時まだ十代あるいは二十代前半くらいだったと思うが, プログレッシヴ・ロックを経由してクラシックに入門したばかりのころ、あるきっかけがあって≪フィンランディア≫ という楽曲を知った。詳しい方には言うまでもなく、フィンランドでは第二の国歌と言われるほど著名な、勇壮で美しい旋律の楽曲である。


そして、交響曲の第2番。はじめて接したのは、サイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団による1984年の演奏だった。これはたしかFMのエアチェックで録音したものだ。北欧、森と湖の国、フィンランド、厳冬の地、そうした印象そのままの美しさと、終楽章の開放感・躍動感が魅力的だった。これは、もう何度となく愛聴した。

つづいて、ほかの交響曲も聴くようになった。買ったのは、たしかカラヤン指揮の廉価版LPだった。全曲ではなく、第4番、第7番。そういったあたりだったと思う。

このあたりから、なにかがズレはじめた。(^^;

いっこうに聴きたいと思わせるものが響いてこないのである。あとで知ったのだが、シベリウスの交響曲は第2番が突出してポピュラーで、ほかの交響曲はそれに比べると知名度としては落ちる。それはつまり「わかりやすさ」という点で第2番がもっとも勝っているということだ。そしてその世間の風評はまちがっておらず、ぼくはシベリウスが特別に好きだというよりは、たんに名曲を名曲だと思っただけなのかもしれない。と心の隅で思ったりもした。

Sibelius交響曲以外を見渡してみると, わかりやすいシベリウスはほかにもいる。CD時代になって、大阪日本橋の小さな輸入盤屋――お店の名前は失念してしまった――でFINLANDIAレーベルから発売されていたアルバムを、いくつか買うようになった。なかでも、Pekka Helasvuo と Finlandia Sinfonietta によるシベリウスの小品集は録音も美しく, このアルバムで ≪悲しきワルツ≫ や ≪鶴のいる風景≫ といった佳曲を知った。あるいは、右上にジャケット画像を挙げた、Tauno Satomaa と Candomino Choir による合唱曲集。これはシベリウスだけでなくフィンランドの作曲家の合唱曲を集めたものだが、孤高のジャケットも録音も楽曲も、すべてが美しい。

話を交響曲に戻そう。その後、たとえば全集ではベルグルンドやサラステ、マゼールの録音を買った。どれもダメだった。そして少々ショックなことに、良いと思っていた交響曲第2番も、聴き通すほどの魅力を感じられなかったのだ。

依然としてシベリウスの名前はすこし特別な位置にはあるのだけれど, その後は、おりに触れ歌曲集や協奏曲のCDを買ったりはする程度というになり、積極的には聴かなくなってしまった。というよりは、むしろ疎遠になった。それは、より広くクラシック音楽を聴くようになり、そのころはほかの楽曲を知るので精一杯だったというのもある。このとき、ぼくはまだバッハやモーツァルトの幾多とある楽曲を知り、ベートーヴェンが特別視される意味に気がつき、ブラームスやワーグナー、そしてブルックナーやマーラー、ストラヴィンスキーを知っていく途上だったのだ。

§

それが最近、自分でも不思議な変化が起きた(たぶん年齢のせいかと(^^;)。"これまでときどきはつきあってきたものの、あまり積極的には聴いてこなかった作曲家" の作品を聴きたいと思うようになった。たとえばシューマン。たとえばシューベルト。そしてシベリウス。

とくにシベリウスへを聴きたいという気持ちは、すこし大げさだが、突然渇望のようにやってきた。去年のシベリウスイヤーには、ぴくりとも反応しなかったのに (うそ。リントゥの交響曲全集ブルーレイは買った。でもブルーレイの使い勝手の問題もあり、未視聴のままだった)。そして、最近サイモン・ラトルがベルリン・フィルと新しい全集を出していたことを思い出した。

この全集は、以前紹介したシューマンの交響曲全集と同様、”Berlin Phil Media” (Berliner Philharmoniker Recordings) によってハイレゾ録音含めた複合的な形式でリリースされている。そのオーディオ的な興味ももちろんあった。これを買った。

§

これが、素晴らしかった。第2番はもちろんとして、すべての交響曲が魅力的だった。どの曲も聴き入ってしまうほど良かった。とくに第5番、第6番、第7番の3曲は、先日の連休以降、何回となく聴いている。

深い碧色であるにもかかわらず、どこまでも透明度が高く、細部までくっきりと見渡せる――そんな印象だ。とても美しく気持ちが良い。たとえば比較的地味な第4番の第1楽章は、その鮮明な音のおかげで、いまこれを書いていても、思わず聴き耳を立ててしまう。また、よく「呼吸感」と表現するのだが、ゆっくりとした部分、疾走する部分、それぞれのテンポ感が感覚としっくりとくることも好印象を支えている。このテンポ感が、ラトルならではのものなのだとしたら、シベリウスの交響曲については、このベルリン・フィルとの録音があれば、ぼくにはもうそれでいいのかもしれない。

§

最後に、購入した Berlin Phil Media のシベリウス全集のメディアの話。

前の記事で、リリース第1号のシューマンについて「所有する喜びを感じさせるパッケージ」と絶賛しておきながら、結局、ダウンロードしたハイレゾ音源を聴くばかりで、いまに至るまでパッケージはいちども手にとっていないことに気がついた。(^^;

それで今回は、Berlin Phil Mediaから直接ダウンロード音源を購入することにした。パッケージ版は日本円でだいたい14,000円。ダウンロード版だと現地から直接購入で €49.00。なお、ダウンロード版はブックレットはPDFで付属しているが、特典映像はついておらず、音楽のみである。

 

 

Annotations :
Rattle/Sibelius packageシベリウス/交響曲全集
Simon Rattle, Conductor
Berliner Philharmoniker, Orchestra
Berliner Philharmoniker Recordings
Link : Amazon.co.jp

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2014年6月15日 (日)

音源とパッケージとダウンロード

img081リマスターの話ばかりで恐縮だが、Emerson, Lake & Palmer の “Brain Salad Surgery” の発売40周年記念のリマスター盤を買った (これには『恐怖の頭脳改革』という邦題がついているが、LP時代から輸入盤を買っていたのでどうもこの邦題には馴染めない…)

さまざまな理由で近年有名な “Tarkus” よりも、個人的にはこの “Brain Salad Surgery” のほうがはるかに好きだ. さきほどLP時代からと言ったけれど、その後、CDの通常版、2001年のリマスター盤、そして今回の2014年リマスター盤で、もう買うのも4回めになる. もちろんWALKMANにも入っているし、TuneBrowserの開発でパワーが必要なときなど、いまでもよく聴いている.

さて、ここでは、この “Brain Salad Surgery” の内容について書こうとしているのではない. 有名なアルバムなので、もういまさらぼくが書くべきこともない。リマスターの内容、質についても書かない。書きたかったのは、収容しているメディアの話だ。


§

今回のリマスターを買ってみようと思ったのは、3枚組のうち1枚がDVD Audioになっていることが目を惹いたからだった (DVD Audio形式、あるいはSACDでの発売は過去すでに行われていたようだが、不勉強でそれは知らなかった)。

ではよほどDVD Audioに期待していたんだね、と言われると、でもじつのところはぼんやりした興味があっただけで、そう期待が高いわけでもなかったのだ。

事前のリリース情報によると、DVD Audioには96kHz/24bitの音源が収容されているという。それは良い。それは良いのだが、例の著作権法改正以降、DVD Audioはなんとなく気の晴れない、どんよりとした、さえないメディアという印象になってしまった。たぶん、買ってはみたものの、PCかAVシステムのほうで一回聴いたら、それでオクラ入りになるんだろうな――そう思っていた。

ところが、実際にパッケージが届いてみると嬉しい驚きがあった。DVD Audioには、その本来のフォーマットであるMLPのほかに、96kHz/24bitのFLAC形式が収録されていて、それをそのまま――コピープロテクトを回避するような行為をすることなく――Windows標準のエクスプローラでPCにコピーでき、通常の音源として再生できるのだ。

実際にこの音源をTuneBrowserで鳴らしているうちに、ぼくは俄然機嫌が良くなった。やはりいまどきの音源の企画はこうでないと(^o^)。CDをリッピングするよりも遥かに楽であり、高音質。 “いまどき” に買い替えた価値があろうというものだ。Sony Music、すばらしい

§

すべての音源が、こういう形で発売されたらいいのに。と思う。

先日、ベルリン・フィルが独自レーベル “ベルリン・フィル・レコーディングス” を立ち上げると発表した。物理的なパッケージには所有することの満足感が得られるような魅力を与え、本来の商品である音源としては、CD, Blu-ray Audio/Videoといった各種メディア以外に、192kHz/24bit音源のダウンロード権もつけるという。

最初のリリースはラトルによるシューマンの交響曲全集。現地で約€50, 日本では約9千円前後。値段の話で品がなく申しわけないが、最近の音源価格の感覚からすると、決して安くはない。安くはないが、物理的なパッケージの大切さと、音源の自由度を重視した企画、心意気 (そして、レーベルとしてのはじめてのリリースにシューマンをもってくるという凄さ(^^;) に共感して、迷わず予約した。

ここで大切なのは、あくまでもパッケージも含めた総合的な商品企画の勝利だということだ。ぼくはたぶん、ダウンロード音源だけだったらシューマンの交響曲4曲に9千円は出さないだろう。これがWarnerからCD品質でリリースされたらおそらく輸入盤で千円台であり、そちらを買う。高解像度の音源であればオーディオ的興味もあるからそれがうれしいに決まっているものの、日常で楽しむ音楽としてはCD品質でも充分に充足は得られる。その天秤になる。

§

いっぽう、音源のダウンロード販売は、ここ数年でDRMつきからDRMなしに転換するという大きな飛躍があって、使い勝手そのものは大変よくなってきた(それに比べると電子書籍は…とつい言ってしまう)。

それでも、正直なところ――すくなくともいまのぼくにとっては――多くのダウンロード販売のサービスはあまり魅力が感じられず、お試しで買ってみる、という以上のところにはなっていない。結局、ずいぶんむかし(2007年)にフィラデルフィア管弦楽団のダウンロード販売について書いたとき以降、魅力的なサービスには巡りあえていないような気がする (フィラデルフィア管弦楽団による独自のサービス提供は現在はすでに終了していて、販売チャネルをiTunes StoreやHD Tracksに移しているようだ)

たまたま、今回はパッケージメディアで、これはと思わせる企画を見つけることができた。物理メディアに縛られないダウンロード販売にはダウンロード販売の魅力が出せるはずだから、これは買おうと思わせるサービス/商品がぜひとも出てきてほしいし、それを楽しみにできると信じたい。

 

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2013年2月24日 (日)

クラシック音楽と PCオーディオと タグ データ (その2)

TB2

前回、大量――数千,数万ファイル――の音源データのなかから「自分が聴きたそうな音楽」を探し出すのは意外と難しく、アルバム(CD)の単位にこだわるのをやめて、各楽曲のタグを整理し、そのタグをもとに音源を検索できるようにしないと、もう無理。という話をした。

そのタグも、一般的なARTISTとかTITLEだけではまにあわず、いくつかのタグを自分で「これを使う」と決めて、すこし広げて使っている。そのタグの話。


大切なタグ

前回書いた、自分にとって大切になってきたタグは、以下のようなものだった ([] 内の英語は、FLACでのタグ(メタデータ)の名称)。

  • 検索するときに大切なタグ (ほぼ必須)
    • 作曲家 [COMPOSER]
    • 演奏家 [PERFORMER]
    • アルバム名 [ALBUM]
    • 楽曲名 [CONTENT GROUP]
      (...決して [TITLE]ではない)
    • ジャンル [GENRE]
      (...これも複数必要! )
  • 楽曲を管理するときに大切なタグ (あれば良い)
    検索に使用するタグに加えて、
    • レーベル [ORGANIZATION]
    • 録音日 [DATE]
    • リリース日 [RELEASETIME]
    • 入手した日 [PURCHASEDATE]/[ENCODINGTIME]等々...
    • 版 [EDITION]
    • 作品番号 [OPUS]
      (たまに、ある作曲家について作品番号順に並べたくなる(笑))

楽曲名(CONTENT GROUP)は、TITLEとはちがう、と書いた。TITLEとは、 CD上のひとつのトラック/PC上のひとつのファイルにつく、題名のことである。前回の例での『展覧会の絵』の場合、最初の3トラックのTITLEは以下のようになっている。

  1. 組曲 ≪展覧会の絵≫: 1. プロムナード
  2. 組曲 ≪展覧会の絵≫: 2. グノーム
  3. 組曲 ≪展覧会の絵≫: 3. プロムナード

この場合、聴きたい/探したいのは『組曲 ≪展覧会の絵≫: 1. プロムナード』ではなくて、あくまでも『組曲 ≪展覧会の絵≫』という楽曲である。チェリビダッケの録音を一覧したとき、知りたいのは『組曲 ≪展覧会の絵≫』があるかどうかであり、全部で15トラックある個々のTITLEについて知りたいわけではない。

それで、CONTENT GROUP を使うようになった。これはMP3などのID3v2ではTIT1に相当する(TITLEはID3v2ではTIT2)。実際には、いちいち入力するのは面倒なので、TITLEを解析して区切り文字からCONTENT GROUPを自動抽出するツールを援用している (だから、もちろんTITLETITLEで、きちんとそのトラックの名称をフルスペックで入力している)。

あとは、GENREへの複数値の設定。これは最初はあまりこだわっていなかったのだが、いまは絶対必須だと思っている。ひとつの楽曲は、さまざまな側面を持っている。たとえば『展覧会の絵』の場合は、"Classical" であり "Orchestral" であり "Russian" である(ロシア音楽とフランス音楽は、ぼくのなかで独立したジャンルとして確立している(笑))。気分によって、さまざまな切り口で一覧したくなる。

日付も、DATEというタグだけでは限界を感じている。ぼくの場合は、これを録音日であると勝手に決めて、アルバムのリリース日や入手した日は別のタグをつけて管理するようになった。こうすることで、最近購入したアルバム順――新着順――で並べたりすることができる。とくに、日々増えつづけるCDを忘れないように(爆)するためには、新着順は、なくてはならないものになった。

あらかじめついていたタグデータは捨てて、自分のタグデータを登録する

これは、原本大切主義のぼくとしては、すこし勇気がいった(笑)。

実際は、CDをリッピングした場合とダウンロードした場合とで、多少態度がちがう。CDをリッピングした場合は、原本はCDにあるので、ハードディスク上のファイルのタグデータという面でのオリジナリティは、あまり気にしない。ハードディスクが吹っ飛んだときに、すべてリッピングし直すのは面倒なので、一般的な意味でのバックアップをとっているだけだ。ダウンロード音源の場合は、いつダウンロードできなくなるかわからないので、いちおう原本は別にマスターデータとしてとっておく。過去ダウンロードサービスで購入して(たいていはDRMつきだった)、もう二度と聴けなくなった音源もたくさんあって、苦い思いをしたことがあるからだ(それはいまの電子書籍にもおなじことが言える)。そしてふだん使うファイルは、CDからリッピングした場合と同様に扱う。

で、こうした音源ファイルには、リッピングソフトや販売元の好意で、あらかじめタグデータが付与されることが多い。これを、とても大切な原本データだと思い込んでしまう。しかしそれは誤解である(きっぱり)

おなじ『展覧会の絵』に対して、もとのCDによって、 "Tableaux d'une exposition" であったり "Pictures at an Exhibition" であったり "展覧会の絵" であったり、"組曲 ≪展覧会の絵≫" であったり――元のデータを作成した人物・団体の国籍・方針・気分によって言語・表記の揺れはさまざまだが、結局はおなじ曲を表現しているのである。ここは勇気をもって、自分で決めた表記に「上書き」して統一してしまう。"Pictures at an Exhibition" を "組曲 ≪展覧会の絵≫" に変えたからといって、その曲のタイトルが変わるわけでも、別の曲を示すことになるわけでもない。チェリビダッケが演奏してもヤンソンスが演奏しても、再発されてもリマスターされても、EMIから出てもブリリアントから出ても、『展覧会の絵』は『展覧会の絵』である。

『展覧会の絵』の場合は、原典となるピアノ版とオーケストラ版、 さらにオーケストラ版のなかでも編曲者によるちがい、という話がある。これらはぼくの場合は版(EDITION)で管理するようにしている。 Emerson, Lake & Palmer の演奏は、いまのところはまったく別の曲扱いにしている(笑)。

ちなみに、ぼく自身は、楽曲の名前については以前は英語・ドイツ語が混在していたところを、家族も使うことを考えて、あるときすべて日本語に統一した。それは最初はちょっと大変だったけれど、クラシック音楽の場合、演奏はたくさんあったとしても、曲はおなじというケースが多いので、入力済みのデータを参照して編集できる環境があれば、編集はどんどん楽になっていった。いまでは――幸か不幸か――クラシックでまったく新しい曲に出会うというケースはあまりないので、たいていは過去に入れたデータを貼りつけるだけで済んでいる。

人名

あと、個人的にひとふんばりしたのは、作曲者・演奏者名である。こうした人名は、姓だけであったり、名-姓であったり、姓-名であったり、もとのデータや言語によってまちまちだった。いろいろ考えて、これを基本的には “姓, 名” として統一した。たまたま日本語で一般的な並び順になるが、これはべつに日本語を意識したことではない。

ある人物を特定するのに、もっとも大切な情報は姓であり、名は姓が重複した場合(スカルラッティ親子とか(^^;)以外は、あまり必要がない。演奏者や作曲者を一覧で表示する場合も、並び順は姓で並べたほうがわかりやすい。つまり “姓, 名” で登録しておけば、そのまま並べればいいので簡単だ。また姓だけを取り出す際も、文字列の先頭からカンマまで取り出せばいいので、比較的簡単な処理で対応できる。並び順を決めておけば、これをあとで “名 姓” にするのも、 ”イニシャル. 姓” にすることもできる。実際、一時期はfoobar2000用のプラグインを作成して、そういう表示ができるようにしていたこともある(いまは自作ソフトにそういう機能を組み込んでいる)。

人名や団体名を統一することで、アバドの演奏は、とか、シカゴ交響楽団の演奏は、というように簡単に引き出せるようになった。

§

こまかい話も含め、いろいろと書いた。PCでオーディオする魅力は、高音質とか簡便とかいろいろ言われているが、個人的には、大量の音源をデータベース化し、自分の連想や興味の赴くままに、ジャンルを問わずさまざまな音楽を引き出せる、という点の魅力もきわめて大きいと感じている。

いっぽう、実際に何百枚か千枚かのCDをリッピングしようにも、そのタグづけや整理で挫折しそう、という話も聞く。オーディオとしてのPCはこんなに魅力的な道具なのに――それはとても残念な話だ。音楽という感性直結の情報の整理方法なんて、個人の嗜好や目的・価値観に左右される部分が大きく、すべてその通りというわけにはいかないだろうが、ここに書いたことがなにかの参考になれば、と思う。

 

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2013年2月23日 (土)

クラシック音楽と PCオーディオと タグ データ (その1)

TagEditむかし、楽曲(CD)を管理するデータベース・アプリケーションを作成したことがある。そのソフトはさまざまな課題を残したので結局は公開できずに終わったが、そこでは、きちんと正規化したデータベース・テーブル群を用意して、アルバムや作曲家、演奏者を手入力して管理するようにしていた。むかしの話である。

時代は変わって、楽曲に関する情報は、データベースで集中管理するのではなく、PC上の楽曲ファイル自身に、タグデータ (メタデータともいう) として持たせるようになった。そうして、自然にその “きちんとした” データベース・ソフトの出番はなくなり、楽曲のタグデータを参照するようになった。


さらに、これまでの数年で、このタグデータは、ぼくのなかでは「ちょっとした付加情報」から「きわめて大切なデータ」に変わった。

そのきっかけは、foobar2000がMedia Libraryで強力で高速な分類機能を提供してくれるようになったこと、おなじく強力な編集機能によって、複数の楽曲に対して統一的な値を設定しやすくなったこと、が大きかった。つまり、タグデータを用いて楽曲を集中管理できるようになったのだ。foobar2000だけでは不足している機能については、自分でもいくつかのツールを作成もした。また、これはfoobar2000が契機になっているかどうかはわからないのだが、趨勢としてひとつのタグに複数の値を設定できるようになったことも重要なポイントとなった。

そして、時をおなじくして大量の楽曲をPCに置いた結果、ディスク上のフォルダ分類だけではなかなか直感的には「目的の音楽」が見つけられなくなるに至って、 本格的にデータを整理しようと思い立った。

問題は、クラシック音楽である。一部のジャズやロックでもおなじような課題を抱えることがあるが、クラシック音楽には特有の課題がある。 たとえば、

  • ひとつの楽曲が、複数のトラックに分かれている(楽章別とか)
  • ひとつの演奏には作曲者と演奏者という、役割のちがう重要なキーパーソンがいる
  • さらにひとつの楽曲・ひとつの演奏(=ひとつのファイル)を特定できたとしても、そこは複数の演奏者が関わっている(指揮者、オーケストラ、独唱者...)
  • 楽曲名だけでは演奏/アルバムは特定できない(たとえばムソルグスキーの 『展覧会の絵』には、たくさんの演奏者による何枚ものアルバムがある)

こうした特性から、大量の音源を管理しようとしたら、旧来のアルバム(CD)という単位だけでの管理ではなくて、そもそもの考え方の見直しと、タグ データでの管理がどうしても必要になってきた。

アルバム(CD)という単位は希薄で良い

そう考えるに至った(笑)。

もちろんアルバム(CD)という単位は管理するには便利なまとまりであり、どうでも良いわけではない。とくに、ある目的でもって特集されたアルバム、たとえば演奏家や作曲家をキーとして集めた小品集とか、ライヴのように、制作者が一連の流れを意識して曲順が組んだアルバムなどは、アルバム単位で聴くことに意味がある。また、アルバムのジャケットは、後々までその演奏を認識する上で重要なアイコンとなる。ハードディスク上のフォルダ構成も、アルバム単位が容量として大きすぎず小さすぎず、やはり便利である。

しかし、最近のボックス・セットなどの場合、CD 1枚の容量に応じて1曲が分断されていたり、つづけて聴くことにあまり意味がなさそうな曲がつめこまれていたりする(それはそれで嬉しいのだが)。

そのときに大切なのは、CDというメディアの『チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル フランス・ロシア音楽集 Disc 3』という情報ではなくて、「チェリビダッケとミュンヘン・フィルによるムソルグスキーの『展覧会の絵』を聴こう」と思う、ということだ。

その演奏が収録されたパッケージは、時代が変わり、リリース形態が変わると、アルバムという単位もまた簡単に変わってしまう。大切なのは、そこに収録されている演奏そのものである。

演奏を引き出す情報が大切

そうすると、ある演奏を引き出すためには、CD棚を順番に見ていくのとはちがい(それはそれで楽しいプロセスだが)、作曲者、演奏者、楽曲名、ジャンル、年代、そういった情報がきちんとタグづけされて、このタグ情報をもとに探せることが重要になる。とくに、演奏者のタグ(PERFORMER)には、複数の名前を登録できる必要がある。

たとえば、上の『展覧会の絵』の場合、聴きたくなる動機は、ムソルグスキーの『展覧会の絵』そのものを聴きたい場合もあれば、そうではなくて、チェリビダッケの指揮するなにかを聴きたい場合もある。その両方が大切な場合もある。あるいはたまたまミュンヘン・フィルのことを調べていて、ミュンヘン・フィルの演奏を聴きたくなる場合もある。

ここ数年使いつづけてきて、大切だと思う情報はだいたい決まってきた (以下、[] 内の英語は、FLACでのタグ(メタデータ)の名称)。

  • 検索するときに大切なタグ (ほぼ必須)
    • 作曲家 [COMPOSER]
    • 演奏家 [PERFORMER]
    • アルバム名 [ALBUM]
    • 楽曲名 [CONTENT GROUP]
      (...決して [TITLE]ではない)
    • ジャンル [GENRE]
      (...これも複数必要! )
  • 楽曲を管理するときに大切なタグ (あれば良い)
    検索に使用するタグに加えて、
    • レーベル [ORGANIZATION]
    • 録音日 [DATE]
    • リリース日 [RELEASETIME]
    • 入手した日 [PURCHASEDATE]/[ENCODINGTIME]等々...
    • 版 [EDITION]
    • 作品番号 [OPUS]
      (たまに、ある作曲家について作品番号順に並べたくなる(笑))

「その2」で、もうすこし詳しい話をしようと思うが、こうして自分で使用するタグとその意味を決めておくことがポイントになると思う。もっとも、一度決めた使い方も、さまざまな楽曲のデータを整理していくにつれて例外に出くわして、揺らいでしまうこともままあるのだが。

 

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2012年3月11日 (日)

ゲルギエフのラフマニノフ、交響的舞曲

Gergiev-Rachmaninovちょっと期待が大きすぎたのかもしれない。現代バーバリズムの権化のようなゲルギエフがラフマニノフの交響的舞曲を振ったというので、躊躇なく購入したのだが、実際に1回聴いてあれっと思い、気をとり直して翌日もういちど聴いてみたものの、残念ながら印象は変わらなかった。

ゲルギエフが振るというのだから、こちらは「なにか強くて大きくて恐ろしいもの」が、地の底で障害物に突き当たりながらうごめいているような、そして突如として地表に出てきてもんどり返ったあげくに地面に叩きつけられて、大きな穴をあけてまた地の底へ突入していくような、そんなイメージを期待してしまうし、また実際、そう感じさせるところもなくはないのだが、どうも、どことなく緩慢というか、ゆるく感じてしまうのだ。


最近、交響的舞曲といえば、サイモン・ラトルがベルリン・フィルとシンガポールで公演した演奏をNHK-BSで見た。これは映像ソースだったこともあって、あまりちゃんとは聴けていないのだけれど、ラトルらしい軽快さを感じさせつつもメリハリの効いた演奏で迫力もあり、とても楽しく聴いた (3Dのブルーレイで映像ソフトがリリースされている。映像作品としての評価は賛否あるらしいが、それよりもCDで出してほしい)。

もちろん、ゲルギエフにそういうことを期待しているわけではない。期待は上に書いたとおりだ。ただもうすこし緊迫感というか、息を詰めるような迫力を期待したかった。これは、オーケストラの運動能力の問題なのだろうか? オーケストラはLSO――ロンドン交響楽団。LSOといえば《スター・ウォーズ》なのだが、それはまあいいとして、そういう音楽も手がける一流のオーケストラについて、運動能力が、などというのも、たぶん失礼な話なのだろう。

どうにしても、冒頭に書いたように、期待が大きすぎたのかもしれない。ちょっと残念だ。

なおこのCDには、ストラヴィンスキーの三楽章の交響曲が併録されている。ぼくはこの曲のことはあまり知らないが、すくなくとも、以前から聴いているブーレーズの演奏(ベルリン・フィル版と、シカゴ交響楽団の版)と比べると、こちらはとても面白く聴けた。

 

Annotations :
GardinerBach32 ラフマニノフ/交響的舞曲, ストラヴィンスキー/三楽章の交響曲
Rachmaninov/Symphonic Dances
Stravinsky/Symphony in Three Movements
Valery Gergiev, Conductor
London Symphony Orchestra
LSO Live: LSO0688
LSOによる自主制作盤。すっかりおなじみになった。
Link : HMVジャパン

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2010年6月13日 (日)

ガーディナーのモンテヴェルディと、バッハ

Gardiner-Bach また、前回の投稿からずいぶんと時間が空いてしまった。「また」というより、こんなに空いたのははじめてだと思う。そのあいだにあったことについては、いい話はあまりないし、書きはじめるとキリがなくなるので、今回はさらっと、いつものとおり、買ったCDの話をしよう。

§

ボックスCDの流行は止まる気配もなく、さまざまなレーベルからさまざまな企画モノがつぎつぎと発売されている。お買い得感だけで選んでいたら全部お買い得ということになってしまうので、さすがに最近はやや慎重になってきた――あまりいい言いかたではないが、目新しくなくなってきた、と言えるのかもしれない。


ジョン・エリオット・ガーディナー (John Eliot Gardiner) と、彼の率いるイングリッシュ・バロック・ソロイスツ (English Baroque Soloists) によるバッハの演奏を集めたボックスセットも、発売されてから興味は惹かれつつも「買うまい」と思っていた。ガーディナーの演奏は、これまでほかのCD聴いたことがないわけではないが、イギリス人で端正な顔立ち、というイメージ通りの真面目で端正な音楽をやる人、という程度の安直な認識しかなく、つよい興味をもったことがなかった。聴いた機会も、宗教音楽か、古楽器系の伴奏という程度だった。

DG111 それが、べつのボックスセットにたまたまガーディナーの演奏が入っていて、それを聴いているうちに、すこし考え方が変わってきた。そのボックスセットというのは、右の画像の通り、DGの111周年記念ボックス――55枚組で、これについて書き出したらまた大変なことになる――で、そのなかでモンテヴェルディの『聖母マリアの夕べの祈り』がガーディナーの演奏で収録されていて、それを聴いたのだった。

ぼくはバロック音楽のことはあまり詳しくない。ただ、それでもモンテヴェルディの音楽のことをすこしは聴く機会を持ってきたのは、イタリアのリナルド・アレッサンドリーニ (Rinaldo Alessandrini) 率いるコンツェルト・イタリアーノ (Concerto Italiano) の一連のCDのおかげである。ぼくはバッハの音楽で彼らの演奏を知り、そして彼らの演奏を軸にモンテヴェルディ (と、そのほかのバロック時代の作曲家) の音楽に触れるようになった。

そうしてDGの111周年記念ボックスでガーディナーの『聖母マリアの夕べの祈り』を聴いて、そのスケールと構成力に驚いてしまった。さきに挙げたアレッサンドリーニは、最小限の人数と構成で、研ぎ澄まされた鋭敏な音楽をする。だからそれと比較すれば、たいていの演奏は大きく聴こえるに決まっている。ガーディナーの演奏で驚いたのは、編成が大きいとかそういう話ではなくて、闊達、ドラマチック、雄大で力強くありながら、緻密な美しさに満ちている「構成の見事さ」とでもいうようなところだった。もともとの楽曲の性格もあるのだろうが、これまで聴いたことのない、宇宙に浮かぶかのような音楽世界が広がっていた。

結果として、前に書いた、真面目で端正な音楽をやるひと、というガーディナーの印象はその通りなのだが、それだけではなくて、じつはものすごく強靭なものを持ったひとなのではないか――と思うようになった。

§

そうして結局、先日発売されたガーディナーのバッハの宗教曲ボックスを買うことになった。

この22枚組に収められているのは、9枚が4大宗教曲――マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、クリスマス・オラトリオ、そしてロ短調ミサ――のこり13枚がカンタータ集となっている。バッハのカンタータは、その膨大な量のためにこれまで正面から聴いたことがないので、このCD集がいい機会となったらいいのだけれど、まだ聴いていない。まずはマタイとロ短調ミサを聴いた。

その演奏は、期待どおり端正ですばらしいものだ。モンテヴェルディのときのような、どこか別のところにいるかのような不思議さはなく、しっかり地に足がついている。ひょっとしたら、モンテヴェルディ経験がなければ、ぼくの耳はこのバッハを清涼で端正な演奏として聴いて、それ以上には進めなかったかもしれない。でもいまは、その清涼で端正な表情の下にある、静かな強さが感じられる。

もちろん、それは単なるプラシーボなのかもしれない。でもやはり、それだけではないような気がする。それは、これから時間をかけてすこしずつわかってくるのだろうと思う。つぎは、ガーディナーのベートーヴェンを買ってみようと思っている。

あ、でもそのまえにカンタータ入門、かな(笑)。

 

 

Annotations :
Gardiner-Bach バッハ/カンタータ&宗教曲ボックス
Bach/Sacred Masterpieces, Cantatas
John Eliot Gardiner, Conductor 
The English Baroque Soloists
The Mondeverdi Choir 
ARCHIV: 477 8735 
それにしても、このジャケットはいったい...。
Link : HMVジャパン
Gardiner-Monteverdi[3] モンテヴェルディ/聖母マリアの夕べの祈り
Monteverdi/Vespro della Beata Vergine
John Eliot Gardiner, Conductor
The English Baroque Soloists
The Mondeverdi Choir
ユニバーサル: UCCA3108
ふつうは安い輸入盤を紹介するのだが、HMVのカタログでは日本盤しか見つけられなかったので、これは日本盤。
Link : HMVジャパン
Alessandrini-Monteverdi モンテヴェルディ/聖母マリアの夕べの祈り
Monteverdi/Vespro della Beata Vergine
Rinaldo Alessandrini, Conductor
Concerto Italiano
naïve (OPUS111): Op30403
本文中では、ガーディナー盤との比較として紹介するかたちになったが、ぼくはこのアレッサンドリーニの演奏も傑作だと思う。
Link : HMVジャパン
DG111 111 Years Of Deutsche Grammophon
DG: 002894778167
残念ながら完売。
Link : HMVジャパン

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2009年12月28日 (月)

ホロヴィッツのスカルラッティ: ベルリン コンサート 1986

Horowitz-TheLegendaryBerlinConcert-1986 ひさしぶりに「待ちに待った」という思いを味わったCDが出た。ウラディミール・ホロヴィッツが、1986年にベルリンで開催したコンサートの録音がCD化されたのだ。

「待ちに待った」というのは、ふたつある。ひとつは、コンサートが行われてから20年以上が経過して、ようやくCD化されたということ。もうひとつは、たしか10月にHMVに注文をして、その月のうちに届くはずが、入荷予定が延びて、延びて――HMVと数回メールのやりとりをして――ようやくこの年末になって届いたのだ。


これは、ホロヴィッツが83歳のときのコンサートの録音だ。この翌月、彼は2度目の――そして最後の来日を果たしている。ほんとうに聴きたかったのは、この東京での演奏なのだが、今回発売されたベルリンのコンサートはそのひと月のもの。ぼくが楽しみにしていたスカルラッティの曲目はおなじで、おそらくはコンディションもあまり変わらないと思う。

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この2度目の来日のとき、ぼくはまだ学生で、クラシックを聴きはじめたばかりだった。なかなか日本にきてくれなかったホロヴィッツは、その3年前に、はじめての来日を果たしている。この1983年の初来日のコンサートは、吉田秀和氏の有名な「ひとこと」があるように、評判の良いものではなかった。

ぼくは1983年のときのことはよくは知らない。あとになって、吉田氏自身の著作や、さまざまな記事などで知識として知った程度だ。だから、2度目の1986年のときには、そうした初来日の印象、先入観はなにもなく、ただ往年の大ピアニストのコンサート――高額なチケットも話題だった――という程度の認識で、どちらかといえば興味本位で、NHK-FMでの中継を聴いたのだった。

ヴィルトゥオーゾとして知られるピアニストのコンサートだから、どんなに凄い演奏ではじまるのだろう――そう思いながら、たいして緊張もせず待っているうちに1曲目がはじまって、ぼくは思わず息を呑んだ。

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コンサートは、スカルラッティの3曲のソナタではじまった。ぼくは、そのときはじめてホロヴィッツというピアニストと、ドメニコ・スカルラッティのソナタを聴いたのだった。1曲目は K87 だった。その静謐で美しい響きに、あっというまに引き込まれてしまった。つづいて、チャーミングで闊達な K380。小太鼓を模した音の響きということらしいが、そのときにはまるで小鳥のさえずりのように聴こえた。どちらも、それまで――その後も――聴いたことがないほど、美しかった。

当時のコンサートのことは、これ以外に、じつはあまり覚えていない。とにかくホロヴィッツというピアニストの凄さと、彼のスカルラッティの美しさに、完全にやられてしまった。

その後すぐ、ホロヴィッツが1960年代にスタジオ録音した、スカルラッティのソナタ集を買ってきた。ところが、ここにはぼくが聴いたスカルラッティはいなかった。それから約20年、ぼくの音楽を聴く幅もひろがってきて、スカルラッティもさまざまな演奏を聴いた。ソナタでいえば、シフの演奏が印象的には近かったけれど――結局、あのときのホロヴィッツのようにスカルラッティを弾いた演奏は、ほかにはないのだ、ということを理解するようになった。

その演奏が、いまになって音質のよいCDで聴けるようになろうとは、思いもしないことだった。最後の3ヶ月、HMVには焦らされたけれど(笑)、とてもうれしい。

このCDの背面にはこう引用されている――"Anyone who has once heard Horowitz's pianissimo will never forget it" (Der Tagesspiegel, 21st May 1986)まさに、ぼくはそうだったのだ。

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Horowitz-InMoscow-1986余談を三つ。この年のホロヴィッツのコンサートは、モスクワでの模様がすでにCDとしてDGからリリースされている。でも、このCDには肝心のスカルラッティが1曲しか収録されてない!

もうひとつ。おなじくこの年のホロヴィッツの演奏は、YouTube で見ることができる。上で紹介したソナタ K86 は "カークパトリック番号" と言われる体系であらわしたものだが、ほかにスカルラッティのカタログ番号には "ロンゴ番号" があり、この番号であらわすと、おなじ作品が L33 となる。YouTube ではこのロンゴ番号で紹介されていることが多いようだ。ちなみに、この K86=L33 のモスクワでのライブの映像はここ。息を詰めて(笑)ご覧ください。

最後。ベルリンでのコンサートの終盤、アンコールのまえに弾かれたショパンの英雄ポロネーズ。なんて粋な演奏なのだろう、と思った。とても当時83歳とは思えない。

 

 

Annotations :
Horowitz : The Legendary Berlin Concerto 1986
Vladimir Horowitz, piano
Sony Music : 88697527082
Link : HMVジャパン

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2009年11月 3日 (火)

小さな手術とマレイ・ペライアのピアノ

Bach-Partitas-Perahia-1 依然あわただしい日々がつづいているなか、さらに追い討ちをかける出来事があった。手術のため1週間入院したのだ(^o^;。

原因となった疾病は深刻なものではなく外科的なもので、医者も気軽に引き受けてくれたけれど、なんといっても、こちらは抜歯以外には手術など経験したことのない初心者だし、手術当日に切り開いてみてはじめて予想より問題の部位が大きいことがわかったらしく、回復にもすこし時間がかかるなど、小さな手術ながら大変な思いをした。

手術が終わってからしばらく、麻酔で下半身が思うように動かせず、麻酔が切れたら切れたで痛みのためにあまり動けず、ベッドに張りつけになった。本を読むのも意外に疲れる――時間を忘れさせてくれるはずのジョン・グリシャムの『謀略法廷』は、ぼくの状況が悪いのか、あるいはグリシャムの今回の作品に問題があるのか、さっぱり進まない。

それで、病室の天井を見つめながら、iPodで音楽を聴いた。


以前、仕事で体力的にも精神的にも厳しい状況だったときに、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を聴いたという話をした。今回はこれはダメだった。ぎゅっと握り締めたような静かなる力強さは重荷だった。それでふと、マレイ・ペライアのバッハ、パルティータをかけてみたら、これがすっと心に入ってきて、そのまま――ときおりウトウトとしながら――全曲を静かに、ゆっくりと聴いた。

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Bach-GoldbergVariations-Perahia 特別に好きと意識したわけでもなかったのに、ペライアのピアノは、いつも近くにあった。買った覚えも理由も思い出せないまま、勝手にCDが増えていく(爆)――そんな感じだった。いちばん印象的だったのは、自分の部屋の棚のなかに、バッハのゴールドベルグ変奏曲を「再発見」したときだ。たぶん買った当時1回だけ聴いて、あまり感じるところもなくそのまま棚にしまっておいたのだろう。PCにCDを移していく過程で、好奇心からこのCDもリッピングし、さらにiPodにも入れた。そうしてある日、聴いてみて驚いた。大人の余裕、ゆとりが感じられ、とても楽しげで魅力的な演奏だった。

ペライアのピアノは、アンドラーシュ・シフのピアノと居場所の似ているところがある。演奏の印象を文字にすると似た表現になりがちだし、雑誌『レコード芸術』で、矢澤孝樹氏が「ペライアはいつもシフの割りを食ってしまう」と書かれていて、なるほどと思った。でも実際には、演奏の結果から受ける印象が似ていたとしても、音楽の根幹のところはずいぶんとちがう。両者の音楽に愉悦感があったとしても、シフのそれが闊達で溌剌としているのに対して、ペライアはもっと静かで内向的なものを感じさせる。それはあるいは、ペライアが一時期、指の故障で活動を休止していたこととも関係しているのかもしれないけれど。

Bach-Partitas-Perahia-2 今回のペライアのパルティータは、先に発売された2番から4番が2007年の録音、今年になって発売された1番と5番6番が2008年と2009年の録音となっている。そしてこの2枚目が発売になるちょうどおなじ時期に、シフのパルティータ全曲の再録音がECMから発売となった。

レコード会社がちがうから仕方がないとはいえ、なんという間の悪さ。世間では、どちらかといえばシフの再録音のほうに話題が集まっていたように思うし、正直なところ、ぼくの印象もそうだった。

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でも結果として、病室にいた日、聴きたいと思ったのはペライアの演奏だった。ちなみに、持ち込んだiPodには、シフとペライア両方の演奏が入っていた。いつどっちを聴きたくなるのか、自分でもよくわからなかったからだ(笑)。

ベッドに横たわりながら、ペライアのパルティータをじっと聴いていると、不思議と心が落ち着いた。そしてCD2枚分――約140分のあいだ、ただひたすらこの音楽を聴いていられることに安息と満ち足りた気持ちを感じた。とてもいい時間を――痛みに耐えながら――過ごせた。

Chopin-Etudes-Perahia 退院して自宅にもどり、あらためて自分の部屋の棚からペライアのCDを探してみると、ほかにバッハのイギリス組曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲、そしてショパンのエチュードなどが出てきた(このエチュードはたしか、あとになって制作上のミスが発覚した事故盤で、HMVから返品の連絡がきたものの、代替品がないと言われたのでそのまま手許に置いておいたものだ)。

このエチュード(練習曲集)を聴いていると、たとえショパン特有の激しく情熱的な楽曲であっても、パルティータやゴールドベルグ変奏曲で受けたのとおなじ印象を受ける。つまり、技術的に安心感があるのはもちろんのこと、豊穣な音楽を鳴らしつつも、音楽を楽しむ余裕・ゆとりが感じられ、どこか優しい演奏なのである。そのいっぽうで、一聴してガツンと来るような派手さはない。あわただしいなかで接していると、聴き逃してしまうのかもしれない。これは大人の音楽だな、と思う。

 

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2009年8月24日 (月)

サイモン・ラトルとBPOのブラームス、交響曲全集

Rattile-Brahms すでに国内盤が発売されているので入手されている方も多いと思うけれど、サイモン・ラトルとBPO(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)によるブラームスの交響曲全集が発売された。待望の、と言っていいと思う。全世界が待ち望んだ、という感じかも(笑)。

海外盤が豊富に流通するなか、付加価値を見出しにくい国内盤は、今回は特典として、全曲の演奏映像を収録した2枚組のDVDが付属するという、豪華仕様になっている。ぼくもこの「オマケ」にやられて、国内盤を購入した。ちなみに――これはPCでリッピングするぼくにはあまり魅力は感じられないのだが――CDはHQCD仕様となっている。


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CDで2回ほど全曲を聴いた。とは言っても、夏休みのシーズンだというのに仕事がやたらと忙しく、ほとんど休めないので、腰を落ち着けて聴いたというにはほど遠い状態になってしまった。思いあまってiPodに入れて――とも思ったけれど、BGMであればまだしも、交響曲を真剣に聴きたいときのiPodというのはさすがに気が引ける。それで、ようやく休めた先日の土曜日、子供たちとマクドナルドから帰ってきたあと、すこし時間を作って自分の部屋のオーディオで聴いた。

そうしたら、予想していたものとは大きくちがっていて驚いた。

2002年のVPO(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)とのベートーヴェンでは、ラトルはベーレンライター版を用い、ピリオド奏法も取り入れ、溌剌系の演奏を聴かせていた。最近リリースされたベルリオーズの幻想交響曲も、そのまえのジルベスター・コンサートを収録したロシアもののアルバムでも、BPOの能力を生かした明晰に聴かせる演奏で、その明晰さがある種の軽さにもつながっていたと思う。それで今回のブラームスでも、ややテンポを早めにした、どちらかと言えば「軽め」の演奏なのだろうと漠然と思っていたのだが、実際に聴いてみるとこれがまったくちがっていた。

重厚なブラームスだった。テンポは悠然として、よどみがなく、それでいて迫力と牽引力、高揚感もある。各交響曲とも、終楽章に向けてしっかりと気持ちを連れて行ってくれる。緩んだようなところはまったくない。1970年代から90年代を髣髴とさせる「巨匠」の演奏である。ただすこし往年の演奏とちがっているのは、雄大でありながら、中身がぎゅっと凝縮された充実した響きになっているところで、このあたりはさすがベルリン・フィルとラトルだなと思う。

現在最高のオーケストラと指揮者が、満を持してリリースしたブラームスの交響曲全集なのだから、ある意味これは当然の感想なのかもしれないけれど、正直なところ、まさかこういうスタイルの演奏が――2009年の録音として――聴けるとは思っていなかった。ほんとうに驚いてしまった。

ちょっと気になるところもあった。ところどころ、ディナーミク(音の強弱)がすこしわざとらしく感じられるところがあった。この瞬間に、ふとわれに返ってしまった。成功していればスカッと決まったのかもしれないが、素人のぼくの印象だと、充分にオーケストラが制動しきれなくてバラけてしまったような感じがした。

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ブラームスの交響曲って、こういうものだったんだな――と思った。

十代後半にクラシックを聴きはじめるようになって以来、ぼくはブラームスの交響曲をとくに好きで聴いてきた。どこが好きだというのは難しいけれど、ベートーヴェンの古典派音楽の様式に、じわっと染み出てくるようなロマン派音楽の香りが感じられるところが好きなのだろう、という気がする。

ただ残念ながら、これという演奏にはなかなかめぐりあえない。

このブログの最初のころに、ヴァントとNDR(北ドイツ放送交響楽団)による80年代の録音を紹介した。この演奏がぼくの思っているブラームスにもっとも近い。

ほかにも、全集で言えば、バーンスタインやジュリーニ、そしてアバド――オーケストラはすべてVPO――の演奏をこれまでよく聴いてきた(そういえば先日、金聖響とオーケストラ・アンサンブル金沢によるブラームスのコンサートにも行った)。交響曲第4番には、カルロス・クライバーとVPOによる世界遺産というべき演奏があり、これは別格としても、ほかはどうしても重すぎたり遅すぎたり、あるいは逆に軽すぎたりして、どれもすばらしいが、もうあとほんのすこしのところでなにかが届かない。

結局――よく聴くかどうかとはべつに――自分のなかでスタンダードとして残っているのは、ヴァントとNDRによる80年代の演奏、ということになりそうだ。また、よく聴くという意味では、じつは最近はチェリビダッケとシュトゥットガルト放送交響楽団の演奏が気に入っている。これはぼくはスタンダードとは呼ばないものの、とても魅惑的な演奏だ。

ラトルとBPOによる今回の全集は、これまでぼくが聴いてきたブラームスのなかでも、もっとも重厚なものだと思う。ブラームスの交響曲は、こんなに巨大なものだったのか――そう思った。

これから、この演奏を気に入りつづけられるかどうか――というのは、まだしばらく時間がたってみないとわからない。ただ、すくなくともいまは、まだ何回でも聴いてみたい、と強く思っている。

ああ時間が...いよいよiPodに入れるしかないのかも。

 

 

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ブラームス/交響曲全集 : Brahms/The Symphonies
Simon Rattle, Conductor
Berliner Philharmoniker
EMI Classics: TOCE-90097-99
Link : HMVジャパン

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2009年7月21日 (火)

フェルナーのバッハ、インヴェンションとシンフォニア

Fellner 最近ティル・フェルナーがECMに録音した、バッハの『インヴェンションとシンフォニア』を買った。

この曲集はどうしても教育用というイメージがあり、これまであまり熱心には聴いてこなかった。いまもべつに、熱烈に聴きたいと思っているわけでもないのだけれど、そういう性質の曲集であるにもかかわらず、このフェルナーの演奏が世間で話題になっているようだし、そして先日の平均律クラヴィーア曲集の通勤全曲演奏以来、ぼくの通勤時のトレンドがベートーヴェンからバッハになったこともあって、買ってみた。


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うすうす想像はしていたのだが、やはりこれはプロデューサーのマンフレート・アイヒャーの美学と、フェルナーの内向性がうまく融合した成果なのだろうと思う。静かで穏やかで、とても深くて悠然とした世界だ。期待どおり――期待以上にすばらしかった。

「フェルナーの内向性」というのは、決して "暗い" という意味ではない。知的で温かみがあり、優雅さも兼ねそなえている。その意味では、先日おなじレーベルでベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を完成させたアンドラーシュ・シフとすこし世界観がかぶるようなところがありそうだけれど、シフのピアノはもうすこし力強く、溌剌とした感じがある。フェルナーのピアノは力強さというよりは穏やかでやわらかい。

そんなフェルナーのピアノを、アイヒャーの美学が全面的に支えている。音質は残響が豊かでありながら静謐で透明だし、それ以前に、最初に目に入るECMレーベルならではのジャケットのデザインから、その世界観はスタートしている。まさに穏やかで美しい、深い湖を思わせる「作品」だ。

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世間のひとたちとは逆に、ぼくはこのCDを買ってから、フェルナーが最近来日し、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのチクルスを演奏したこと、それにあわせて雑誌『レコード芸術』にインタビューが掲載されていたこと、またおなじECMから、すでにバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻が発売されていたことなどを知った。平均律はHMVに注文した。

あたらしいピアニストと出会う、というのは簡単なようでむずかしい。もちろん毎年何人もの若いピアニストがCDをリリースし、雑誌や放送で取り上げられてぼくの前を通りすぎていく。だが、ぼくのような素人にとって、その名前が心に残るのは正直なところ稀だ。

小さなきっかけから、フェルナーの名前はきちんと心に残った。今回の『インヴェンションとシンフォニア』は、生存競争の厳しい iPod にも入った(笑)。まずは世間の皆さんと同様に、平均律の第2巻を期待したいところだけれど、これからの活躍をすこしずつ――楽しみに――見ていきたいと思う。

 

 

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