カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の14件の記事

2009年11月 3日 (火)

小さな手術とマレイ・ペライアのピアノ

Bach-Partitas-Perahia-1 依然あわただしい日々がつづいているなか、さらに追い討ちをかける出来事があった。手術のため1週間入院したのだ(^o^;。

原因となった疾病は深刻なものではなく外科的なもので、医者も気軽に引き受けてくれたけれど、なんといっても、こちらは抜歯以外には手術など経験したことのない初心者だし、手術当日に切り開いてみてはじめて予想より問題の部位が大きいことがわかったらしく、回復にもすこし時間がかかるなど、小さな手術ながら大変な思いをした。

手術が終わってからしばらく、麻酔で下半身が思うように動かせず、麻酔が切れたら切れたで痛みのためにあまり動けず、ベッドに張りつけになった。本を読むのも意外に疲れる――時間を忘れさせてくれるはずのジョン・グリシャムの『謀略法廷』は、ぼくの状況が悪いのか、あるいはグリシャムの今回の作品に問題があるのか、さっぱり進まない。

それで、病室の天井を見つめながら、iPodで音楽を聴いた。


以前、仕事で体力的にも精神的にも厳しい状況だったときに、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を聴いたという話をした。今回はこれはダメだった。ぎゅっと握り締めたような静かなる力強さは重荷だった。それでふと、マレイ・ペライアのバッハ、パルティータをかけてみたら、これがすっと心に入ってきて、そのまま――ときおりウトウトとしながら――全曲を静かに、ゆっくりと聴いた。

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Bach-GoldbergVariations-Perahia 特別に好きと意識したわけでもなかったのに、ペライアのピアノは、いつも近くにあった。買った覚えも理由も思い出せないまま、勝手にCDが増えていく(爆)――そんな感じだった。いちばん印象的だったのは、自分の部屋の棚のなかに、バッハのゴールドベルグ変奏曲を「再発見」したときだ。たぶん買った当時1回だけ聴いて、あまり感じるところもなくそのまま棚にしまっておいたのだろう。PCにCDを移していく過程で、好奇心からこのCDもリッピングし、さらにiPodにも入れた。そうしてある日、聴いてみて驚いた。大人の余裕、ゆとりが感じられ、とても楽しげで魅力的な演奏だった。

ペライアのピアノは、アンドラーシュ・シフのピアノと居場所の似ているところがある。演奏の印象を文字にすると似た表現になりがちだし、雑誌『レコード芸術』で、矢澤孝樹氏が「ペライアはいつもシフの割りを食ってしまう」と書かれていて、なるほどと思った。でも実際には、演奏の結果から受ける印象が似ていたとしても、音楽の根幹のところはずいぶんとちがう。両者の音楽に愉悦感があったとしても、シフのそれが闊達で溌剌としているのに対して、ペライアはもっと静かで内向的なものを感じさせる。それはあるいは、ペライアが一時期、指の故障で活動を休止していたこととも関係しているのかもしれないけれど。

Bach-Partitas-Perahia-2 今回のペライアのパルティータは、先に発売された2番から4番が2007年の録音、今年になって発売された1番と5番6番が2008年と2009年の録音となっている。そしてこの2枚目が発売になるちょうどおなじ時期に、シフのパルティータ全曲の再録音がECMから発売となった。

レコード会社がちがうから仕方がないとはいえ、なんという間の悪さ。世間では、どちらかといえばシフの再録音のほうに話題が集まっていたように思うし、正直なところ、ぼくの印象もそうだった。

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でも結果として、病室にいた日、聴きたいと思ったのはペライアの演奏だった。ちなみに、持ち込んだiPodには、シフとペライア両方の演奏が入っていた。いつどっちを聴きたくなるのか、自分でもよくわからなかったからだ(笑)。

ベッドに横たわりながら、ペライアのパルティータをじっと聴いていると、不思議と心が落ち着いた。そしてCD2枚分――約140分のあいだ、ただひたすらこの音楽を聴いていられることに安息と満ち足りた気持ちを感じた。とてもいい時間を――痛みに耐えながら――過ごせた。

Chopin-Etudes-Perahia 退院して自宅にもどり、あらためて自分の部屋の棚からペライアのCDを探してみると、ほかにバッハのイギリス組曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲、そしてショパンのエチュードなどが出てきた(このエチュードはたしか、あとになって制作上のミスが発覚した事故盤で、HMVから返品の連絡がきたものの、代替品がないと言われたのでそのまま手許に置いておいたものだ)。

このエチュード(練習曲集)を聴いていると、たとえショパン特有の激しく情熱的な楽曲であっても、パルティータやゴールドベルグ変奏曲で受けたのとおなじ印象を受ける。つまり、技術的に安心感があるのはもちろんのこと、豊穣な音楽を鳴らしつつも、音楽を楽しむ余裕・ゆとりが感じられ、どこか優しい演奏なのである。そのいっぽうで、一聴してガツンと来るような派手さはない。あわただしいなかで接していると、聴き逃してしまうのかもしれない。これは大人の音楽だな、と思う。

 

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2009年8月25日 (火)

愛郷の森

Fire 今年、うちの会社の夏休みは9日間あった。でも残念ながら、トラブルを起こした他課の工事の応援に入ることになり、結局2日間しか休めなかった。

その2日間、滋賀県の東近江市永源寺にある、「愛郷の森」に家族でキャンプに行ってきた。キャンプとは言っても、設備の整ったコテージがあり、不自由を感じることはほとんどないのだが、夫婦ともにかなりインドア派であるわが家としては、相当めずらしいイベントだった。


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ことの発端は判然としない――決して子供たちが行きたがったわけでもない。ただ、下の子が小学生になってそれなりに動けるようになってきたこと、一方で上の子は小学校高学年になってきて、「そういうこと」ができるのも意外とあと何年もないかも――というような深夜の大人の会話があって、なぜかふたりとも行く気になってしまったのだ。

調べてみると、初心者にも敷居の低いキャンプ施設は全国に――もちろん近畿圏内にも――たくさんあった。ただ、調べはじめたのはすでに6月になってからだったので、夏休みのシーズンはどこも予約でいっぱい。そんななかで奇跡的に空いていて、設備的にも満足できそうなのが、滋賀県の「愛郷の森」だった。インターネットを検索してみるとすぐにわかるけれど、行かれた皆さんの評判はすこぶる良い。実際に行ってみて、その期待は裏切られなかった――天候には思いっきり裏切られたけど(笑)。

空いていたコテージは、すこし大きい8人用で、一泊2万円。家族全員が宿泊できて、バス・トイレ・寝具完備、と考えると安いものである。あと愛郷の森のポイントとしては、川遊びができること、バーベキュー炉が用意されていること、そしてその炉に屋根があること、などがあった。この最後の「屋根」は、あってくれて本当に助かった(^^;。

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行くと決めたはいいけれど、なにしろ経験ナシの初心者だ。インターネットでの先輩諸氏の情報や書籍を参考にしながら準備をした。道具として買ったのは――大物では椅子、テーブル、シングルコンロ、ランタン、大きなクーラーボックス――などである。どれもそれなりの値段がするか、あるいはあとあと収納場所に困りそうなものばかりなので、悩みに悩んで厳選したものだが、結果としてすべての道具をきちんと使って終わった。どれも買ってよかったものばかりだ。

そして細かいもの――料理用、炭用それぞれのトングやプラスチックの食器、調理道具、炭や着火材などの消耗品、ホテルではないので洗剤やシャンプー、洗面用具などの生活用品を用意した。

食料は現地調達。 Google Maps で見るかぎりいちばん近そうなスーパー平和堂に行ったものの、ここはかぎりなく日常生活向けのスーパーだった。あとで知ったのだが、すこし足を伸ばして西友まで行ったほうが、より豊富な食材を選べたと思う。

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ようやく確保した2日間の休み。当日は台風がきていた (^O^;ヒャー。

日本列島に接近してから突如姿を現した台風9号である。その直前に接近していた台風8号は、台湾などアジアに大きな被害をもたらしたものの、愛郷の森的には大丈夫だと踏んでいた。ところが目前になって台風9号が出現して、この台風9号の日本接近とともに出発、ということになってしまった。仕事の予定も変えられないし、愛郷の森の予約ももちろん変えられない。暴風雨になったらどうしようかと言いつつも、「中止」と判断するほどの材料もなかったので、とにかく出発した。

さいわい台風の上陸はまぬがれ、暴風雨には遭遇しなかったけれど、初日は夜までずっと雨ということになった。楽しみにしていた川遊びはできなくなった。残念無念だったが、おかげでゆとりをもって行動することができるようになった。

計画通り名神高速の八日市インターで降り、平和堂で買い物をして、昼食には愛郷の森近くの永源寺そばを食べた。とてもおいしかった(^_^)。

そこまできてはじめて、台風の情報を得られるものが車のラジオか携帯電話しかない、ということに気がついた。コテージにはテレビはない。コテージの目のまえに車が停められるとはいえ、雨のなか車とコテージを往復するのも面倒だし、携帯電話も通じるとはかぎらない(その心配は正しかった)。それであわてて携帯ラジオを買いに走った。ホームセンター・コメリに入ってみたもののめぼしいものがなく、親切な店員さんに西友の存在を教えられ、そちらに向かった。

西友は、上で触れたように立派な設備だった。そこでソニーの携帯ラジオを買った。由緒正しきソニーの携帯ラジオ(笑)を買う日がくるなんて。このラジオは夜まで大活躍だった。2cmくらいの小さなスピーカーから流れるナローレンジの音楽は、不思議と心休まる音色で、コテージの夜にはよく似あった。ちなみにコテージのなかはドコモの携帯電話は「圏外」だった(外に出れば、つながるところもある)。

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River 到着して訊いてみると、愛郷の森はこの日も満室ということだった。しかもテントサイトでは、テントを張っているひとがいる。台風がくるかも、というときにすごいなあ。と感心した。

夕方にすこし弱まった雨脚も、夜にはふたたび強くなった。でもコテージの横にあるバーベキュー炉には屋根が完備されていて、その下は快適だった。上の子は女房といっしょに食材の準備、ぼくと下の子は炉の準備をした。一抹の不安のあった(笑)火起こしにも無事に成功し(上の写真は着火直後で炎が出ているが、やがて炎は消えて炭だけが燃える状態になる)、お約束のバーベキューもまずまず楽しめた。これで屋根がなかったらと思うと、ゾッとする。そのあと花火をしたものの、これは屋根のなかが濛々とした煙に覆われてしまい、下の子の喘息を誘発しそうだったので早々に切り上げた。

キャンプの夜は長い――と、聞いていたけれど、コテージの夜はあっというまだった。あと片づけをして、シャワーを浴び、子供たちとシーツの準備をして、ひと息つくともう21時を回っていた。コテージのリビングで、ぼくはウィスキー――クラガンモア――を、子供たちは特別にジュースを飲みながら、家族でトランプをした。下の子がそれなりにきちんとトランプができるようになっていて感動した。気がつくと、もう23時を回っている。子供たちは寝て、ぼくと女房も憔悴した頭で2回ほど立体四目並べをして、なにをやっているのかお互いにわからなくなってきたので、寝た。

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朝には雨もやみ、晴れ間も見えるようになっていたので、朝食はコテージのバルコニーでとった。イワタニ・プリムスのシングルコンロでソーセージとキャベツを炒めて、ホットドッグを作って食べた。こういうのはおいしいに決まっている(^_^)。

上の子と炉の片づけ、清掃をして、荷物をまとめ、シーツを事務所に返却し、車に荷物を積み込んで、準備万端。愛郷の森を出発した。

2日目の天気はどんどん回復していった。一日ズレてくれれば川遊びができたのに、と、まだ未練に思いながら、この日は草津市にある滋賀県立琵琶湖博物館に向かった。この話は、機会があればまたべつに書こうと思うけれど、ここを訪れたすべてのブロガーの皆さんが「立派な施設」と言われているのを読んで行ってなお、想像していたよりも立派な施設で驚いた。日をあらためて、この博物館だけを目的にまた来てもいい、と思った。

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こうしてインドア派一家の初キャンプは終了した。また来ようね。ということになった。ぼくはといえば、なんとか小さな夏休みを無事に終えたと安堵しつつ、翌日からはまた仕事にもどった(^_^;。

 

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2009年5月 6日 (水)

スピーカー・ベースの製作

SpeakerBase リビングのテレビを新しくした――わが家もついにデジタルに対応した――と同時に、テレビ台も新調した。

このテレビ台、数ヶ月かけて家具屋をまわってみたものの、なかなか好みにあうものを見つけられず、結局インターネットでオーダに応じてくれる店を見つけて、そこにお願いすることになった。2月に発注して、届いたのは4月初め(そのあいだ、以前書いたようにとても忙しかったので、「待った」という感覚もほとんどないままに届いた)。作ってもらったテレビ台は、形はよく見かける横幅の広いボード型のものだが、突き板の色や天板の材質、センタースピーカーを置くスペース、収納力といった条件を気にして選んでいたら、オーダメイドになってしまったという感じだった。


横幅を広くしたのは、見た目と収納力を考えてのことだが、その結果いままでスタンドに乗せていたブックシェルフ型のスピーカー、B&W の CDM1SE の場所に悩むことになった。テレビ台の前に出すということも充分考えられたのだが、家族の生活の便などを考えて、テレビ台の両翼に乗せることにした。それで、天板の材質を変えてもらった。標準でハニカムコアのフラッシュ構造のものを使用しているところを、MDFに変えてもらったのだ。本当はウォールナットの集成材にしたかったのだけれど、かなり価格が上がってしまうので断念し、MDF+突き板にして重量をかせぎ、スピーカーを置く土台になるようにした。

ただ、その上にそのまま CDM1SE を置くわけにはいかない。見た目がみっともないし(笑)、高さも足らない。それでスピーカー・ベースを作ることにした。

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モノは冒頭の写真で見ていただいたとおり、簡単なものだ。

大切なポイントのひとつとなる木材には、サザンイエローパインを使った。以前 ALR/Jordan の Note 7 のスピーカー・ベースに使っていたのも、このサザンイエローパインだった。硬度・強度が高く、木製ジェットコースターの構造材にも使用されている。重量もそこそこあり、それでいて安い。どこにでも売っているというほどメジャーではないけれど、ホームセンターでも探せばウッドデッキ用として扱っているところがある。

ぼくもホームセンターでツーバイフォー材のサイズで売られているものを購入した。約2mで700円くらいだった。室内の家具用とか工作用とかそういう扱いではないので、仕上げは決してきれいではない。たいていは節が入っているし、反ったり割れの入っているものも多い。節は見かたによってはそれを楽しむこともできるけれど、反りや割れを修正するとなると大変なので、まずは木を選ぶところが大切だ。

材料を選んだらそれをカットしてもらう。いつも思うが、ホームセンターでのパネルソーによるカットはちょっとリスキーだ。切断面が粗いし、焦げてしまうことも多々ある。またセットのしかたによって寸法の誤差も出る。これは店員さんのモチベーションによるところが大きい。ただ、どうであれ、こういう材料は自分で切るよりはパネルソーで切ってもらったほうが直角を出せるし、寸法面でも今回は誤差はあまり問題にならないので、ホームセンターで切ってもらった――ら、いちばん大切な中央の梁になる部材だけが、なぜか斜めに切れていた(爆)。これは泣けた。いったいどうしたらパネルソーで斜めに切れてしまうのかよくわからないのだが、帰って組み合わせてみると、どう見ても切り口が斜めになっている。まあ、自分の労を惜しんで他人にお願いしたのだからしかたがない、と思いつつ、これはヤスリで修正した。それだけで半日かかった。カンナがけという方法ももちろんあるけれど、ぼくの技術では木口のカンナがけはむずかしい。

ちなみに、ぼくのような素人がきちんと精度良く切ってもらおうと思ったら、東急ハンズがお勧めだ。決して安くはないけれど、精度、品質とも次元がちがう。以前オーディオラックを作ったときには、東急ハンズでお願いして、その仕上がりには感動した。

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l-30塗装のために、目の細かいヤスリで全面を磨く。今回は、紙/布ヤスリだけでなく、NTカッターのドレッサー(中目)を使った。目詰まりせず、力も入れやすい。価格が高いのでコストパフォーマンスとしてどうか、というのは微妙だが、紙/布ヤスリをつぎつぎ使い捨てていくことに比べると、手間も精神的にも楽だし、途中で足らなくなって走らなければならないようなこともない。このドレッサーは中目なので、だいたいこれで表面を整えたあとは、#240~#320くらいの布ヤスリで仕上げる。モノによってはさらに#400とかそれ以上のものも使用する。今回はスピーカー・ベースなので、それほど表面を滑らかにする必要もなかった。

ヤスリがけはその後の仕上げを左右する大切な工程だが、粉まみれになるし、力もいるし、時間のかかるつらい工程でもある。いつも「つぎこそは電動サンダーを買おう」と思う(でも買ってない。次こそは...)。

今回のスピーカー・ベースは小さいものなので、塗装の前に組み上げを行った。全工程中、もっとも簡単な作業だ。現物の寸法を確認して、中心部の梁の位置を決め、水平と直角ができるようにテーブルに簡単な治具を配置して、木工用ボンドで止める。そのままでも実使用上は問題ない強度で接着できるのだが、今回はさらに梁に対して両側から6cmの長い木ネジを入れて補強した。これだけの長さの木ネジになると、さすがに力がいるし、材料の割れも心配なので、あらかじめドリルで下穴をあけておいた。

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最後に、木工でもっとも気を遣う塗装作業となる。過去数えきれないほどの失敗を経て、ぼくの塗装方法はもうパターン化している。オイルステインで着色し、そのあとでクリアラッカーを塗るのだ。この方法だと手軽なわりに、塗りムラなどの失敗が少ない。

事前に、カットであまった端材に塗装して色味を見た。サザンイエローパインはその名のとおり黄味が強く、またあまり吸い込みもよくないので、薄めの発色となる。マホガニーも考えていたのだが赤みが強く出すぎることもあり、結局テレビ台と同系色のウォールナットにした。オイルステインはホームセンターで簡単に手に入る和信ペイントのものを使っている。

オイルステインの塗布は簡単だ。ハケで均一に塗布したあと、ウェスで塗りこむようにしてふき取ればいい。ただしムラが出ないわけではなく、調子に乗って適当にやっていると、濃淡が出てしまうので注意は必要だ。その日はステインの塗布だけにして、ひと晩乾燥させた。

オイルステインは着色剤なので、それだけでは光沢は出ない。出なくてもいい場合はそれで完成だ。それだけで終わらせたものも過去にはいくつかあるけれど、ぼくの場合はすこし光沢感が欲しいので、上からクリアラッカーを塗る。

翌朝そのクリアラッカーの塗布を行った。これも和信の製品で、2倍程度に薄めて、3回塗りを行った。強い光沢感を求めているわけではないので、このくらいがちょうどいい。以前はサンディングシーラーを使用したこともあったけれど、そうすると本当にテカテカになってしまって、結局シーラーは一度しか使用していない。

クリア・ラッカーのいいところは、乾燥が速くて作業効率がいいことだ。これはぼくのようなせっかちな人間にはとてもありがたい。2回目と3回目の塗装のあいだには、平滑化のため簡単に#400の布ヤスリをかけておいた。

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結局、2日程度でスピーカー・ベースは完成した。材料の切り出しがもうすこし正確にできていたら、1日半で終わっていたと思う。

設置してみた感想は――ガタツキもなくスピーカーの下に収まった。見た目も実際も安定している(よかった)。収まってしまえば、そう存在を主張することもなく溶け込んでいる。音は?――まあふつうだ(笑)。

 

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2009年3月29日 (日)

年度末の狂騒と後期のベートーヴェン

Mark 前回「プライヴェートが忙しい」とふざけたことを書いていたら、年が明けて仕事のほうで大きなクレームが発生して、ひさしぶりに大変な日々を過ごすことになってしまった。製造に携わる方なら誰しも経験があると思うが、こういう状況になると、カチリとスイッチが切り替わり、平穏な日々には考えられないような生活に突入する。こんなに働いたのは久しぶりだし、怒り心頭の顧客との毎日の応対は精神的にも堪えたが、一方で管理者としてではなくリーダとして若い連中と現場で格闘する感覚も久しぶりで、苦しいなかにもときどきはいいこともあった。


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これを書いている現在――大きな勘ちがいをしていなければ(爆)――なんとかピークはすぎた。つい1、2週間まえまでは、収束の日がくるなんてとても信じられなかったので、いまでも半信半疑の気持ちは残っている。いつなんどき携帯電話が鳴って、あらたな問題の発生が告げられるかもしれない――なんて思いはじめると心臓が痛む思いだが、そんな気持ちを抱えながらも、今週末は、この狂騒に入ってからはじめての土日の連休を取らせてもらった。

家族と遊びに出たいところだったが体力が持ちそうにないので、すこし買い物につきあい、女房にまかせきりだった水槽の手入れをして、それから、これもまたひさしぶりにオーディオの電源も入れた。いまは802Dからはモーツァルトの弦楽四重奏曲(ハーゲン弦楽四重奏団)が流れている。この心境のせいか、さっきから小林秀雄の「疾走するかなしみ」という表現が脳裏から離れないので、そのうちべつの楽曲に変えるかもしれない(笑)。

もちろん、こうして音楽を聴くのもひさしぶりだ。精神的にも体力的にも「いっぱいいっぱい」の生活をしていると、通勤のお供だったiPodすら聴けなくなってしまっていた。聴きたい欲求はあるのだが、行きも帰りも蒸気機関のように頭が動いていると、音楽がうるさく感じられてしまうのだ。

そんな状況で、それでもどうしてもなにか音楽を聴きたいと思ったとき、いろいろ試したあげく、唯一受け入れられそうに感じたのは、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲だった。

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ABQ-Beethoven2こういうとき、バッハやモーツァルトではなく、シューベルトでもなくて、あるいはノラ・ジョーンズの癒し系の歌声でもなくて、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲だというのは、自分でも意外だった。クラシックに詳しい方なら、これだけ話しただけで「やっぱり」と言われるのかもしれないが、ぼくははじめて、自分に引き寄せるような気持ちでベートーヴェンの音楽を聴いたような気がする。

ベートーヴェンの音楽といえば――安直に言えば、活力であり構造美であり「苦悩から歓喜へ」であり、疲れているときの景気づけであればともかく、本当に疲弊してしまったときに聴くような音楽ではないような気がする。おそらくその印象は、中期までのベートーヴェンであればたしかにその通りだ。後期――というのは1817年以降、ベートーヴェン自身の年齢で言えば四十代後半から五十代なかばにかけて――の音楽は、1曲をのぞいて、慣れないひとにはとっつきにくい世界に行ってしまっている。例外の1曲というのは、いわゆる交響曲第9番ニ短調「合唱つき」のことで、この曲は、いうまでもなく有名だ。

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ここで、後期のベートーヴェンの世界観について語ろうなんてぼくには無理なハナシだし、個人の仕事の苦境をベートーヴェンの苦悩になぞらえるような、感傷的な話で辟易させるつもりもない。ただ、これまでふつうに楽曲として聴いてきたものが――それまでも知識として時代背景、ベートーヴェンの置かれた状況、精神状態に思いをめぐらせることはあったとしても――今回のiPodから聴こえてくる音楽には、これまでとはちがう側面が垣間見えるようになった。

ベートーヴェンの後期の楽曲は、一聴すると、平板に聴こえる。またそれ故に捉えどころがなく、ともすればBGMとして流れ去ってしまう。そんな不遜な態度で接しているのはこの世でぼくだけだったのかもしれないけれど、かといって真面目に対峙して聴こうとすると、こんどは逆に精神的な厳格さを感じて、息苦しさのようなものを覚える。要するに、あまり音楽に近づけず、遠まきに外側から眺めて満足していたようなものだった。

いまでもそれはあまり変わらないのだとは思う。急にすべてが理解できたとか、そんなおめでたい話はない。ただひとつひとつのフレーズが、「言葉」のように聴こえるようになってきて、そのフレーズを通じてじっと音楽の線を追っていくと、なにかひとつになったように感じられる。むかし、芸術とは心象を他人に伝えるための手段である、と言ったことがある。じっと聴いていると、蒙昧としていながらも、その「心象」が伝わってくるような気がする。音楽の抽象性が損なわれたとか、表題性を持ったとかそういう意味ではなく、抽象は抽象のまま、厳しさも優しさも、ある種の諦観や孤独感も、そっと丁寧に心象としてこちらのなかに伝わってくる。それが疲れた気持ちにじんわりと効いてくる。

それは、ベートーヴェンの中期の楽曲や、他の作曲家からはなかなか得られない印象だった。後期のベートーヴェンについて、知識や感覚として知っていたことを、あらためて身体全体で感じられたような気がした。

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それ以外のこと――というのは、たとえばなにかに対する積極的な興味とか物欲とか、そういったものは、この狂騒を通じてすっかり影を潜めてしまった。つまり、休日もただ呆然と無気力に過ごす「くたびれたおっさん」と化してしまっている。しばらくリハビリをする必要がありそうだ。

 

 

Annotations :
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲全集 : Beethoven/The Complete String Quartets
Alban Berg Quartett (ABQ)
EMI Classics: 5 73606 2 
1978年~83年録音の不朽の名作。しかも7枚組で3,521円と破格値。結局、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲といえば、こればっかり聴いている。
Link : HMVジャパン
 

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2008年12月30日 (火)

1週間だけの引っ越しと電源200V化

200V 秋の運動会から今日まで、とても忙しかった。去年は去年で思うところがあり、一念奮起して担当者の仕事に戻って腕が痛くなるほどコーディングをして、要するに仕事で忙しかったのだが、今年はプライヴェートな生活が忙しかった。

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ことの発端は、そろそろ築10年になろうかというウチのマンションで、いまさらながら不具合が発見されたことにある。

いったい誰がどうやって発見したのかいまもってよくわからないのだが、外壁と内壁(石膏ボード)のあいだの吹きつけ発泡式の断熱材が規定の厚さに達していなかったのだという。調べてもらったらわが家もそれに該当していた。20ミリのはずが17ミリだった、とかいうレベルで、たいして断熱性能は変わらないといいつつも、不具合にはちがいないので、無償でやり直すという。「やり直す」と簡単に言っても、約1週間の工事期間中は家を空ける必要があり、家具は業者が移動するものの、その中身は住人が空にしておかなければならない。そのあいだの住居は、業者が借り上げたマンション内の空き住居を使用することになるので、その住居に生活に必要なモノも自分で移動させなければならない。


うちのマンションは数棟から成り、大規模マンションといえる規模だと思うが、ほとんどの住居がこの不具合に該当したということもあり、工事は1年以上かけて行われている。工事のあと業者が無償で壁紙をすべて新しいものに張り替えるとあって、マンション全体がにわか「壁紙バブル」の様相を呈している。10年ほど経過して、そろそろくたびれてきたかも、というころになって、無償で壁紙を新しくしてくれるというのだから、それは考えかたによっては願ってもない話だ。

わが家はといえば、このあいだ横浜からもどって、数十万円かけて内装をやり直したばかり(爆)。いまさら内装が新しくなったって、べつにそううれしいわけでもない。数ミリという断熱材の差と、「家じゅうのものをすべて箱詰めして1週間だけ引っ越す」という途方もない手間を天秤にかけて、くよくよと悩んだ。ぼくは――もちろん――咄嗟に、B&Wの802Dの移動のことを心配した。そしてうんざりする量の本とCD。それを収納する大きな書棚。天井のQRDモドキ。水槽....。

結局、半年以上前に工事を申し込んで、この年末にようやく順番が巡ってきた。

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工事と引っ越しそのものは、予想どおり大変だった(笑)。年末ということで、引っ越し以外にもさまざまなことが重なったということもある。あと十年か百年くらいしたら笑って話せるかもしれないけれど、いまはまだそのインパクトが残っていて、とてもそんな気になれない。夜中の0時すぎ、水槽とその配管やバケツを台車に乗せて移動させる姿は、異様すぎて誰にも見られたくないものだった。

いちばん心配した、スパイクつきで片側80kgのスピーカー B&W 802Dは、なんとか人も家も自分自身も傷つけることなく、べつの部屋に移動して、1週間後にもどってきた。持ちあげて扉をくぐろうとするときに、うっかりダイヤモンド製の頭(笑)を枠にぶつけそうになって息を呑んだりはした。GOLDMUND のアンプとCHORDのDAC64は、つまらない事故を避けるために、あらかじめ自分で元箱に詰めておいた。

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さて、じつはこの機に乗じて、オーディオ用の電源を200Vにした。まえに、オーディオ用には専用のブレーカをつけている、という話をした。だから、べつにやろうと思えばいつでもやれる話だったのだが、工事のためスピーカーを移動させたすきに、壁コンセントを100Vのものから200Vに交換しやすくなったこと、それから、たまたま機会があってGOLDMUND MIMESIS 18.4MEの200V対応への変更方法を教えてもらったこと、などが重なって、この機会にやることにしたのだ。

ちなみに、おなじGOLDMUNDのプリアンプMIMESIS 27MEは、背面のスイッチで対応電圧を簡単に切り替えられるようになっている。それと、CHORDのDAC64 Mk2はCHORDの誇るスイッチング電源で、100Vから240Vまで自動追従だ。だから、ぼくの200V環境は、トランスで100Vや115Vに降圧して使うのではなく、プリアンプ、パワーアンプ、DACの3大機器に直接入力して使うことになる。

200Vという電圧の意味は、正直微妙だ。ただ、100Vという電圧で使用するよりも、200Vでより少ない電流で使用するほうが力感が得られやすいような気がすること、それから、GOLDMUNDの本国のマニュアルではなぜか、110V設定の場合は 105Vから120V、220V設定の場合は 200Vから240V、で使用するようにと書かれていて、100Vが含まれていないことなどから、100V駆動よりは200V駆動のほうが良いような気がしたのだ。200V化したいという気持ちは強いものの、動機を筋の通った理由で説明しようとすれば、所詮そんな程度の話になってしまう(笑)。前回電源トランスのときにも書いたように、そもそも電源ケーブルをかえて音がかわる、という基本中の基本の話からほとんどすべて、理屈を問えば不思議としか言いようのない話ばかりだから、たいしてコストのかからない 200V化も、その一環として楽しめればそれでいい、というふうに考えたほうがよさそうだ。

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小さい工事でもやってくれる近所の電気屋さんにお願いして、ブレーカーを切り替えてもらった。工事費5千円。事実上出張費だけということのようだ。周囲で壁紙工事が行われているなか、ついでに分電盤もきれいに掃除して、ほかのブレーカーのネジの増し締めをしていってくれた。壁コンセントも、100V対応のPS AUDIOのPOWER PORT――そんなに思い入れのある品物ではない――から、あらかじめ用意しておいた明工社のME2830になった。電源ケーブル側は、おなじ明工社のME7021をプラグとして装着した。とくにプラグについては、もうすこししっかりしたものが欲しかったのだけれど、プラグ形状とメッキの関係から、すぐに手に入りそうなのはこれくらいだった。壁コンとプラグは、いずれもインターネットの電材屋さんから入手した。

10分程度の工事が終わり、電源環境は整ったのだが音は出ない。なぜならぼくの部屋はまだ空っぽなのだ。やがて大きな家具が設置され、802Dももとの場所に収まった。これからの計画はこうだ――家具を据えつけたあと、本やCDをもどすまえに、オーディオ機器の結線と復帰をさきにやって、音出しまでやってしまう。中身のない家具は簡単に動かせるから、場合によってはもうすこしじっくりとセッティングを追い込むこともできるかも。

でもそれは、浅はかな考えだった。

別室にしまってあったアンプを開梱し、さらにはPCも設置した。数時間かけてすべての結線を済ませ、念のためもういちどテスターで電圧設定を確認して、多少緊張しながら電源を入れた。音は出た。それは聴きなれない、残響の強い音だった。

これを読んでおられる貴方と同様、ぼくも聴いた瞬間、なにが起こっているのかすぐに理解できた。空っぽの本棚が響きを増やし、音をぼやけさせているのだ。スピーカーのあいだに空っぽの本棚があると、定位がかなり不明確になってしまう、という当然の事実を、ぼくはこのときはじめて体感した。

この音では、じっくりと追い込むなんて、とても無理な相談だった。結局、その場ではできる範囲での確認と微調整をして、早々に本とCDを運び込むことにした。段ボール箱を積みあげた部屋にいる女房が荷物をとりだし、子供たちにわたす。子供たちは、その部屋とぼくの部屋とのあいだをせっせと往復して荷物を運ぶ。小学生以下だから期待できる献身と熱意。ぼくはそれを受けとって本棚に納める――そんなバケツリレー的作業は休憩含めてさらに数時間かかり、低域の周波数特性を改善してくれる天井のQRDモドキももう一度接着して、復旧したのは次の週末――この週末――のことだった。

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1週間の引っ越しで、結局、改善できたのは細かい部分だけだった。本棚の側面につけている吸音材をきちんと固定できるようにして、耐震補強をして、以前から気になっていた位置も数cm程度ずらした。絵の位置も壁紙もかえて、すこし気分もかわった。じつのところ、そんな細かい話よりも、家全体として事故や破損、改悪点もなく無事に終わったことの安堵のほうが大きく、改善など望む心境ではなかった。

そんな状況での小さなイベント――200V化の効果はといえば、正直、期待していたほど大きなものではなかった。200V化にあわせて、アイソレーション・トランスをはずしたり、電源ケーブルがかわったり、と、周辺の変化もあったりして、どれがどの効果なのか、というのは一概にはつかみにくい。

Haitink-CSO-Mahler0 ただ劇的な変化がなかったとはいえ、力感とそれに伴う解像度はまちがいなく上がったようだ。マーラーの交響曲第3番、以前紹介したハイティンク指揮シカゴ交響楽団の演奏で聴いてみた。冒頭のファンファーレのあと、静寂のなかで小さくバスドラムの鼓動が響く。このバスドラムの音が、はっきりと明確に聴きとれる。強奏部分でも、以前より余裕で鳴っているように聴こえる。

これがプラシーヴォかどうか、というのは自分ではなかなかわからない。いずれにしても、機器たちは200Vでまあまあ快調に動作しているようだ。これから鳴らしこんでいくにつれ、さらに良くなっていくだろう、という期待は充分に感じさせてくれる。

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2008年10月13日 (月)

番外編 - 熱帯魚

Tetra&Coridoras 夏もひと段落したかなというこの季節、連発の運動会やらなにやらで週末はあわただしく過ごすことになる。さらに今年は、ひさしぶりにコンサートにも出かけたりして、週末はすべて予約済みという状態だった。そんななか、タイトルにもあるように、熱帯魚水槽の立ち上げを行った。

ことの発端は夏の盛りのお盆直前。そのころに上の娘の誕生日があるので、今年のプレゼントはなにがいい? と訊くと、驚いたことに「家族みんなでプールに行けたらそれでいい」と言う。マジで?


わが子ながら泣かせる話である。父親の仕事が忙しいということであきらめの境地なのか、あるいはじつは貧乏だとバレているのか――とにかく、本当にそれでいいのかと念押ししても、いい、とキッパリ言う。よしわかったと約束した。それは余裕の計画のはずだった。日程も2、3日の候補日があった。ところが先日このブログでご報告したとおり、今年の夏はぼくの怪我も含めて家族のなかでアクシデントがつづき、結局このささやかな約束すら果たすことができなかった。

娘もがっかりしただろうが約束を果たせない父親としてもがっくりである。それでしばらくたったころ、約束を果たせなかったことをもういちど話して、かわりになにか欲しいものはないか、と訊いた。

そうしたら、「じつは熱帯魚を飼いたいねん」という話が出てきた。そういえば以前もそんなことを言っていた。でもぼくは、まったくとりあっていなかった。子供に世話ができるとも思えなかったし、だいたい留守にする期間はどうするのか。魚を飼うなんて、ぼく自身は小学校時代以来、脳裏をかすめたこともないので、真面目に考えてあげることもなかった。しかし、娘は現役小学生である。ほんとうは犬を飼いたいと目論んでいるらしいが、うちのマンションは大きなペットは禁止されている。それで、いままではカブトムシやスズムシを育ててきた。それを熱帯魚にステージアップさせたい、ということらしい。「ステージアップ」という表現は妥当ではないかもしれないけれど、親としても子供が生き物と接し、さまざまなことを学んでくれることを思うと、むやみに否定するものでもない。ただ、どこまで真剣に考えているのかわかったものではなかったし、たんなる思いつきのような気もした。どこまで訴えてくるのかな――いつもなら、そう見守っているところなのだが、今回は夏のプールの約束――たんなる約束ではなくて誕生日のプレゼントのはずだった――を果たせなかった弱みがあった。

留守宅対策をちょっと調べてみると、いまはいろいろ器機が充実していて、自動給餌器なるものまで売られているので、なんとかなるようだ(それがあまい考えだったということは、そのあとしばらくしてわかる)。

それで、娘に念押しして、数軒の店をまわって、最終的に大型のペットショップで、テトラ社の30センチ水槽のスターターキットを買った。

スターターキットには水槽、フタ、ライト、上掛け式フィルタがついていた。そこにサーモスタット付ヒーターと温度計を買い足した。はじめて知る熱帯魚の世界は、子供のころに金魚を飼い、長続きしなかった経験しかないぼくと女房にとっては、目新しいことだらけだった。「水槽と魚を同時に買ってはいけない」ということくらいは、さすがに Google での事前調査で知っていた。でもバクテリアが必要ということは知らなくて、店で初期立ち上げ用のバクテリアセットを薦められたときには、怪訝な気持ちになった。底床はどれでもいい、と言われて女房が金魚用の大きめの砂利を選んだ。魚を買うことは思いとどまったけれど、水草は――気軽に――安い3種類を同時に買った。

熱帯魚に詳しい方はたくさんおられるし、ここを熱帯魚ブログにしようというつもりもないので、あまり詳しいことは書かないが、たくさんまちがいを冒した。バクテリアは賛否両論あるようだが、まあ買ってよかったと思っている。金魚用の砂利は失敗だった。量がまったく足らないし、砂利といっても小石ほどの大きさで、水草には向かないようだった。その水草も、買ってきた束のまま、なにも考えずに突っこんだ結果、1週間でほとんどが枯れて溶けてしまった。ショックだった。このあと、肝心の魚よりも水草で苦労することになる。

魚は、1週間後に、パイロットフィッシュとしてブラックネオン・テトラを4匹購入した。この1週間というのは、初期導入したバクテリアが繁殖するのを待つ時間だ。1ヵ月以上たったいま、4匹のテトラのうち3匹は元気いっぱいに泳いでいる。1匹は、小さいテトラのなかでもとくに小さく、ほかのテトラに追いかけまわされ、水草のかげから出てこなくなった。えさを目のまえにやってもほとんど食べない。見るからに痩せ衰えていくのに、どうしたらいいのかわからず、最後には水草の葉の上に身を横たえて呼吸するのがせいいっぱいになってしまった。薬浴をさせるといいのかもしれなかったが、予備の水槽やエアレーションの設備など持っているはずもなかった。小さい金網を水槽に半分だけ沈め、そのなかに入れて隔離はしたけれど、翌朝には死んでいた。いわゆる★になったということだ。夜中、衰弱していく姿を見ながらもどうにもできず、そのときには気が滅入った。

いまはネオンテトラのほかに、コリドラス、プラティがそれぞれ2匹ずつ泳いでいる。底床は大磯砂にしたけれど、水質があまりにアルカリ性に傾くので、コリドラスを増やすことも考えて、さらに田砂に変えようとしている。そして、底床を変える機会に水槽も40センチのものに変えるつもりだ。初心者だからといって遠慮して小さな水槽にするのはまちがいだと、あとになって知ったからだ。水量がすくないと、水質を安定させるのがむずかしいそうだ。フィルタも水草の二酸化炭素に配慮して、外部式にした。7匹の魚を入れたまま(一時的には退避させるにせよ)底床とフィルタをすべて入れ替える自信がなく、いろいろ考えた結果、30センチ水槽は生かしたまま、その飼育水を使って、べつに40センチ水槽を立ち上げて切り替えることにした。世間では45センチとか60センチの水槽が一般的なのだけれど、わが家の設置場所と重量の関係から――考えてみればあたりまえなのだが水槽は信じられないほど重い――40センチにした。水槽は、シンプルできれいなプレコ (PLECO) 社製のものを選んだ。この連休でだいたい立ち上げが終わったので、来週、魚を移す計画だ。

お察しのとおり、結局いちばん盛り上がっているのはぼくだ。だから機器や道具はどんどん重装備になっていく(笑)。女房はオーディオに凝るよりは経済的にマシだということで、ある程度は黙認しているようだ。肝心の子供はといえば、コメンテーター兼エサやり係になっていて、ぼくの行動に多少引いている気配すら感じられる。

今日は水草用の液肥を買ってきた。本当に水草を豊かに育てようとしたら、二酸化炭素(CO2)の強制添加が必要だと聞くけれど、いまはまだそこまではやっていない。設備投資も馬鹿にならないし、消耗品がこれ以上増えるのもためらいを感じさせるものがある。でも――それも時間の問題かもしれない。

 

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2008年8月17日 (日)

市立のプラネタリウム

SkyPark 今年の夏は、いつもだれかどこかの調子が悪く、結局子供たちをプールに連れていくことができなかった。今週末は、こんどこそと思っていたら、不覚にもまえの晩にぼくがひざをざっくりと怪我してしまった。なかなか血が止まらないし、その傷をプールにつけるのは、周囲のひとたちのためにも自分のためにもよくないような気がした。それで、子供たちのありありとした失望感に胸を痛めつつも、中止した。これはどう考えても埋め合わせが必要だ。ということで、かわりに隣町(市)のプラネタリウムに出かけることにした。


小さな市営の施設で、驚いたことに――ぼくが無知だっただけだが――プラネタリウムの演目はその施設のオリジナルだった。きちんとナレーターがつき、参加者たちとインタラクティブに会話をしながら50分間の演目が進んでいく。このナレーターの女性の語り口はとても上手で、適切な関西弁 (?) がなかなかチャーミングで心地よかった。今回はお盆休み中ということで、そこそこ観客が入っていたけれど、平日は2組しかいないとか、そういう状況だという。それでもたぶん、この50分にわたる演目を、きっちりとやっているのだろう。収益性はどうだとか無粋なことを考えてしまうのは事実だが、そういう状況下でこうした手作りの演目を企画し実現している姿勢には頭の下がる思いだった。

そうしたライヴ感は内容にも生かされていて、この地域の夜景から頭上の夜空へと話題がつながり、数日後の月蝕の話まで、固定的・画一的な内容の上映では実現できないリアル感、親近感に触れさせてくれる。

そのかわり――そんな手作り感のある演目には、逆に限界を感じさせてしまう瞬間もあった。演目の途中でビデオ上映による「季節の出し物」があり、紙芝居的なキャラクターが延々と説明をつづける。星空の話題から外れるのであれば、せっかくの大スクリーンなのだから、キャラクターが画面を飛んだり跳ねたりするだけではなくて、もうすこしいろいろ映像・画像を見せてほしいように感じた。

施設の規模から察して、予算の限界ということもあるのだろうと思う。そうした制約のなかで、施設独自の企画を起こしていこうという心意気はとても立派なことだし、そうした施設が地元にあるということは利用者としても心強い。でも地域性にかかわらない固定的なビデオ作品なのであれば、その施設独自ということにこだわらず、全国の同種の施設の横のつながりなどを利用して、共用の作品を用意するというわけにはいかないのだろうか。そうすれば、予算の制約ももうすこし広げられると思うのだけれど。

このプラネタリウムに隣接する特設フロアでは、「科学おもちゃ」の展示が行われていた。ここでは、この施設の手作り感がとてもよい方向にあらわれていた。展示の多くは、ペットボトルや木材、段ボールを使った手作りのもので、子供たちも親しみを感じやすく、楽しそうだった。

§

AirPlane この科学館は、空港のすぐ隣にあり、騒音緩衝地帯を利用した大きな公園が近くに整備されている(駐車場はこの公園の施設を利用する)。冒頭の写真は、この公園でのスナップだ。空港のすぐ近くだから、この右の写真のようなシーンを間近で見ながら遊べるようになっている。公園はあたらしくて設備も充実している。

月に何回かはこの空港を利用しているから、移動手段としては日常的につきあっているハズなのだけれど、あらためてこうして航空機の離着陸を見ていると、なんとなく心が浮き立つというか、魅せられてしまう。過酷な炎天下の日だったにもかかわらず、たくさんの家族がここで遊んでいた。子供たちは疲れを知らず――といいたいところだが、あまりの暑さにさすがにぐったりしてきて、結局その日は早めの撤収ということになり、そのまますぐ近くのAEONモールに向かった。

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2008年6月 8日 (日)

エマーソン弦楽四重奏団の J.S.バッハ『フーガ集』

Emerson-Bach-Fugues ときどき、あまり聴きたいわけでもないのに、まるで義務であるかのように買ってしまうCDがある。聴いてみてちょっとがっかり――というのはしかたがないにしても、そもそも買おうかどうしようかという状態のときに、たいして聴きたいわけでもないはずなのに、長い「購入候補リスト」の上位に突然上がってくるCD。たいてい、それは新譜で、話題性のあるCDということになる。

先日とりあげた例では、ピエール=ロラン・エマールのバッハがそうだった。これはそのときにご報告したとおり、聴いてみて驚いて、自分の先入観をすこし恥ずかしく思いつつ、愛聴盤のひとつになった。なお、これは余談ながら、一昨日(6月7日)、そのエマールが『フーガの技法』をリサイタルで弾いているのを偶然にテレビで見かけた。もうすこし早くから放送に気がついていればよかった、と悔やみつつ興味深く見た。楽譜を見ながら弾いているのが印象的だった。


Mozart-Abbado-Carmignola あるいは――これも結果としてよかった例――最近クラウディオ・アバドが故国イタリアで進めている、若いオーケストラ「モーツァルト管弦楽団」との一連の録音。モーツァルトの交響曲集とヴァイオリン協奏曲全集のふたつが出ている。ぼくはいまのカルミニョーラのモーツァルトへの興味もあって、ヴァイオリン協奏曲全集を買った。オーケストラの溌剌とした新鮮な響きと、アバドとカルミニョーラによる肩の力の抜けたのびのびとした「大人のモーツァルト」が聴けて、とてもよかった。正直、買うときにはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を自分が熱心に聴くとも思えなかったけれど、結局、休日の午前中、家にいるときにはよくこの録音を聴いている。この分だと、そのうち交響曲集のほうも買ってしまうかもしれない。

タイトルに挙げた、エマーソン弦楽四重奏団によるバッハの『フーガ集』は、逆にあまり肯定的には聴けなかった例だ。

エマーソン弦楽四重奏団といえば、いうまでもなく、ニューヨークを拠点として活躍する、いまやアメリカのみならず世界を代表するカルテットのひとつだ。デビュー当時からその先鋭的な解釈、演奏が話題になり、1997年のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、ちょっとした事件と言っていいくらいの反響を引き起こした。躍動的、スリリング、スポーツカー、伝統無視、そんな形容で語られることが多かった。ぼくも、そんな彼らのベートーヴェンの弦楽四重奏曲をよく聴いているし、モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲は、一時期は家族中(笑)での愛聴盤にすらなった。

Emerson-IntimateVoices そうしたエマーソン弦楽四重奏団の特質からして、近代・現代の作品での録音が多く、評価も高い。バルトークやショスタコーヴィチはその代表的な例だ。最近ではさらに変化球気味に、グリーグ、ニールセン、シベリウスという北欧の作曲家による弦楽四重奏曲集を発表して話題になった。こうした楽曲は、たとえばフィンランディアやBISといった北欧系のレーベルから発売になるというのであればわかるが、メジャー・レーベルであるDGから発売になるというのはめずらしい。こうした企画が、演奏者自身によるものなのか、あるいはレコード会社による発案なのか、ぼくにはよくわからないけれど、エマーソン弦楽四重奏団が持つイメージと、レコード会社が求める話題性がぴたりと一致して、具体的な成果として出てきたものだという印象だ。

そんなエマーソン弦楽四重奏団の最近の特徴的な活動のひとつとして、トランスクリプションの演奏がある。

トランスクリプション(編曲版)とはいっても、彼らのやることだから、いわゆる有名な曲をカルテットで演奏しました、というような単純なものではない。2003年にバッハの『フーガの技法』、その翌年にはハイドンの『十字架上の最後の七つの言葉』をリリースしている。ちなみに、これらの楽曲は、ぼくが勝手にトランスクリプション系だと言っているだけで、厳密にはたぶん正しくない。たとえばハイドンの『十字架上の最後の七つの言葉』は、たしかにもともとオーケストラの楽曲として作曲されたものだけれど、弦楽四重奏曲版に編曲したのは作曲者自身であり、トランスクリプションではなく本来の弦楽四重奏曲だという考えかたもできる。ぼくがここでいう「トランスクリプション」というのは、字義通りの編曲版ということではなく、通常ではあまり弦楽四重奏としては演奏されない楽曲を、企画的な意図も含めて演奏すること、くらいの意味だ。

Emerson-Bach『フーガの技法』の楽曲そのものは、エマールの同曲の演奏について書いたときに触れたので、その由来についてはもうここではくり返さない。エマーソン弦楽四重奏団によるこのCDが発売されたとき、ぼくは大いなる興味と期待をもって購入した。そして一聴して首をかしげた。ほとんどなにも、感じるものがなかった。演奏がとても平板的に聴こえた。

それは、ぼくの音楽演奏の背景知識が貧弱だからかもしれない。この『フーガの技法』を弦楽四重奏として演奏することが、どれほど技術的に困難なことか、平板的と感じられた演奏を実現することがどれだけ驚異的なのか、ほとんどわからない。だから単純に『フーガの技法』のトランスクリプションとして聴いた。

そこになにを期待していたのか。それまでのエマーソン弦楽四重奏団の演奏に対する肯定的な印象と、いっぽうで――これはべつの演奏家のものだが――おなじように弦楽器を交えて演奏した、リナルド・アレッサンドリーニとコンチェルト・イタリアーノによる、研ぎ澄まされ、緊張と生命感に溢れた音楽の印象――そうしたものが脳裏にあったのだと思う。

Emerson-Haydn翌年にリリースされた、ハイドンの『十字架上の最後の七つの言葉』でも、平板的という印象は変わらなかった。ただこの楽曲のことは、そもそもよく知らないところが多いから、ぼくはきちんとはわかっていないのかもしれない。弦楽四重奏としての美しさはわかったけれど、魅力という意味では感じとることができなかった。

Emerson-Bach2そうして今年――2008年、3作目となるトランスクリプション、『フーガ集』がリリースされた。このリリースのことを知ったとき、どうしても前2作のことが脳裏をかすめ、あまり積極的には聴きたいという気持ちにはなれなかった。でも買った。ここまでくると買うとか買わないとか、そういう議論はないような気がした。こんどこそ、という期待感もあった。

この『フーガ集』は、バッハの鍵盤楽器用の『平均律クラヴィーア曲集』から編曲されたものだ。主な編曲者は、モーツァルトと同時代の作曲家だというフェルスター。「主な」というのは、このアルバムにはフェルスターのほかに、モーツァルトによる編曲で、K.405として知られる『5つの4声フーガ』の5曲と、ベートーヴェンの編曲による1曲が収められているからだ。

聴いた結果はといえば――楽曲がちがうとはいえ、その演奏から受ける印象は、やはり『フーガの技法』と大きくはかわらなかった。美しくはあるけれど平板的で重たく、魅力的とは感じられなかった。どうもくり返して聴きたいという気持ちにならない。

こうした印象になる理由のひとつには、聴くほうの耳が古楽器によるピリオド奏法に慣れてきてしまっている、ということがあるのだと思う。ノン・ビブラートで軽快に、躍動的に音楽の生命感を伝えていこうという最近のアプローチは、さきに挙げたアレッサンドリーニによるバッハでも、音楽の緊迫感となって力強く伝わってくる。

でも――そもそもエマーソン弦楽四重奏団は、スリリングで先鋭的な音楽の旗手として語られることが多かったのではないか。それがここにきて、急に保守的で鈍重になってしまったのだろうか。

この記事を書くにあたって、手許にあるさまざまな彼らの演奏を聴きなおしてみた。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲を聴いているとき、ふと思いついて、ジュリアード弦楽四重奏団の90年代の録音をかけてみた。乱暴な言いかたをすれば、演奏を収録した時期はほぼいっしょであっても、エマーソンは新世代、ジュリアードは前世代の演奏家だ。そして、こうしてあらためて比べてみると、前世代であるはずのジュリアード弦楽四重奏団の演奏のほうが、活力と躍動感があった。

そういうことか――すでに多くの方々が理解されていることに、ぼくはいまようやく気がついたのだと思う。スマートでスリリングな演奏といわれる故に、エマーソン弦楽四重奏団の演奏には、力強さが感じられない。緊迫感はあるけれど、決して躍動的ではない。それがバッハやハイドンのバロック音楽において、ことさらに表面化してきたのだと思う。それはどこか、まえに触れたカラヤンの音楽美学に通じるものがある。

エマーソン弦楽四重奏団は、さまざまな挑戦を厭わない、アグレッシヴな演奏家集団だ。今回のバッハにしても、ぼくにはそれを受けとる器がなかったということだけで、高い演奏技術や深い作品への理解など、世間ではおおむね高い評価で迎えられている。でもやっぱり、今回の演奏は、ぼくとしてはどうも好きにはなれない。画期的な試みだけに、そしてこうした試みを世間で話題にできるだけのブランド力があるだけに、個人的には残念な気持ちが拭いきれないけれど、まあそれはそれで仕方がない。

Emerson-Mozart-Brahms いっぽうで、さきに挙げたモーツァルトやブラームスの演奏は、あらためて聴いてみると、彼らの「薄味」の部分が、ある種のさわやかさにもつながっていて、気持ちがいい。ブラームスで「さわやか」とはなにごとぞ、という話もあるけれど、手許にあるものでマイヤーとABQによる演奏に比べてみても、シフリンとエマーソンの演奏は、これはこれでやっぱりよいのだ。だからこそ、わが家のような素人集団でも、重たさと悲しみにメゲるようなこともなく、くり返し聴くことができたのだろう。

 

弦の奏法という意味で、今回のバッハの演奏を支点にして、はからずも現在の古楽界の演奏とエマーソン弦楽四重奏団の演奏を比べることになった。両者は似ているようでいて、じつは対極にあるということに今回はじめて気がついた。

弦楽四重奏という演奏形式は、ハイドンが開拓し、ベートーヴェンが確立したとされる。それ故に、この弦楽四重奏を旨とする演奏家集団は、バロック音楽の奏法とは直截的には邂逅することはないのかもしれない。それでも、趨勢としてはピリオド奏法が確実にベートーヴェンの演奏を変えつつあるし、やがてはこの弦楽四重奏の分野にも、さまざまな影響を及ぼしてくるのかも――なんて、つい想像してしまう。でも、それをやるとしたら、エマーソン弦楽四重奏団ではないのかもしれない。

ぼくは決してピリオド奏法信者というわけではない。それでも、これらの奏法の考えかたの基礎のひとつとなっている、音楽に生命力や躍動感を、という方向性は、ひとりの聴き手として歓迎している。それが「奇をてらう」ような演奏になってしまったら困るけれど。

 

 

Annotations :
J.S.バッハ: フーガ集 / エマーソン弦楽四重奏団 :
J.S.Bach: Fugues 
Emerson String Quartet 
DG: 00289 477 7458 
Link : HMVジャパン
J.S.バッハ: フーガの技法 / エマーソン弦楽四重奏団 :
J.S.Bach: The Art of Fugue
Emerson String Quartet
DG 474 495-2
Link : HMVジャパン
J.S.バッハ: フーガの技法 / エマール : 
J.S.Bach: DIE KUNST DER FUGE 
Pierre-Laurent Aimard, Piano 
DG 00289 477 7345
Link : HMVジャパン
J.S.バッハ: フーガの技法 / アレッサンドリーニ/コンツェルト・イタリアーノ :
J.S.Bach: DIE KUNST DER FUGE 
Concerto Italiano
Rinaldo Alessandrini 
OPUS111 OPS 30-191
Link : HMVジャパン
 

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2008年3月22日 (土)

モーツァルトの交響曲全集

Mozart-Symphony2 「全集」という言葉の響きは、とても充足した気持ちにさせてくれる。知りたい、聴きたいと思う対象について、全集を手に入れるということは、読んで字のごとくそのすべてを手に入れるということだ。完全無欠であり、完璧で、もうなにもこれ以上必要なものなどない――なんて言うと大げさだけれど、そういう豊穣な気持ちになる。

それは、分厚い技術書を買ったときの充足感とおなじ種類のものだ。本を買ったからといってその技術が身につくわけではない。でも、その本を買うことで――たとえ読まなかったとしても(笑)――なんとなく自分がその技術を征服したような気持ちになってしまう。それはまやかしの感情なのだけれど、職場の若い連中にはそういう自分への暗示も案外大切だと、すこしくらいは冗談だがまあまあ本気で言っている。それであらたな技術分野に対峙する気持ちが整うのであれば、それだけでも充分すばらしい効果だ。


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モーツァルトの交響曲全集を買った。選んだのは、ボリューム感たっぷりで格安のセットものを発売しつづけ、ぼくのような素人の音楽の購入スタイルを変えさせたと言っても過言ではないオランダの Brilliant レーベルによる 11枚組。ヤープ・テル・リンデン指揮による、アムステルダム・モーツァルト・アカデミーの演奏。聞いたことのない指揮者による、聞いたことのない古楽器オーケストラによる演奏(...)。

ぼくはモーツァルトの音楽がとても好きだが、最近はそう頻繁には聴かなくなった。モーツァルトの音楽のことについて書きはじめるとはなしが終わらなくなるのでここでは深入りはしないが、とても好きだといいつつ、たとえば一般に41番まであると言われる交響曲について、どれだけ聴いたことがあるのだろうと考えると、たぶんその半分にも満たない。

じゃあ、その残りを聴きたいのかと問われると、それはまあ聴いてみたいというか好奇心はあるのだけれど、ほかにも聴きたいものがありすぎるし、正直なところ学術的な観点も持ちあわせているわけではないので、わざわざ初期の交響曲群をお金をだして買おうという気にはなれない部分もある。

それが、こうしたバジェット価格の交響曲全集では可能になる。すべての交響曲が収録されていて、価格はだいたい5,200円。たった5,200円で、ひょっとしたら一生聴く機会のなかったかもしれない(?)、モーツァルトの全交響曲がいつでも好きなときに聴けるようになるのだ。

Mozart-Symphony3 さっそくいつものように PC に TTA形式でリッピングしてみると、全部で144トラックあった。さすがはモーツァルトの交響曲全集――ささやかな満足感をもってCDを棚に収納しようとモーツァルトのコーナーに目をやると、そこには驚くべきものがあった――なんとそこには、すでにべつのモーツァルトの交響曲全集があったのだ。チャールズ・マッケラス指揮のプラハ室内管弦楽団による演奏だった。何年かまえに購入したものの、どうもすっかり忘れていたらしい。ふだん、いいかげんに聴いているのがバレてしまうような話だ。

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テル・リンデン盤の演奏は、古楽器系ということで期待していたとおり、小気味よく颯爽としていてとても気持ちがいい。たとえばアーノンクールのように “やる気と個性” まるだし、というような演奏ではない。かといって、BGM的に美しいけれどなにもない、というような演奏でもない。BGM的というかロマンティック・コンサート的度合いでいえば、マッケラスの録音のほうがその趣がつよい。マッケラス盤は通奏低音にチェンバロを加え、全体に疾走感があってよいのだけれど、それが “流しているだけ” のようにも聴こえてしまう。対して、今回のテル・リンデンの演奏は、躍動感を持ちつつも落ちついた端正な演奏になっており、聴いていてとても気持ちがいい。

モーツァルトの交響曲全集は、第1番から第41番までが整然と並んでいるわけではなく、研究が進んだ結果、欠番したり、あるいはあらたに交響曲とみなされた曲が追加になったりしており、それはマッケラス盤もテル・リンデン盤も例外ではない。さらに、テル・リンデン番は、有名な第40番の交響曲について、初稿版と、その後モーツァルト自身によって改訂されたクラリネットつきの版が収録されている。今回のCDを買うまで、この交響曲にそういう版のちがいがあるとは知らなかった。

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全集を手にいれて、すべてを聴いたのかといえば、じつは――やっぱり――全部はまだ聴いていない。ただ、休日の朝、気の向くままにのんびりと聴いている。そういう聴きかたでいいのだろうと思っている。

 

 

Annotations :
モーツァルト/交響曲全集 :  Mozart: Symphonies 
Jaap ter Linden, Conductor
Mozart Akademie Amsterdam
Brilliant Classics: BRL92110 
Link : HMVジャパン

Sir Charles Mackerras, Conductor
Prague Chamber Orchestra
TELARC: KZ-80300
Link : HMVジャパン

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2007年10月 7日 (日)

アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』

ノスタルジア10月というこの気候のいい時期に、今年のうちの会社では4連休がある。平日の休みも含まれるのでどこか旅行でも行こうということになるはずだったのだが、間の悪いことにというかなんというか、子供の運動会と地区の運動会が連続してど真ん中に入っており、しかも役員をしている女房はその前日は準備で借り出され、結局連休の初日はひとりですごすことになってしまった (その翌日からは、もちろんぼくも運動会へ行くのだ)。


もちろん、ふだん騒々しい生活をしている者としては、ひとりの休日はこれはこれでありがたく、めったに観れない映画でもゆっくり楽しむことにした。未開封のままのDVDやらサーバーのなかやらをあさっているうちに、ふと (またもや) 録画した覚えのない映画を見つけた。アンドレイ・タルコフスキーの映画はこれまで何度か観ていたが、見つけた『ノスタルジア』は観たことはなかった。

「ちょっとさわりだけ」というつもりで再生し、結局そのまま最後まで観つづけてしまった。10代後半から20代にかけて、さまざまな "表現" に惹かれてさまざまなメディアに触れることに夢中になっていたころ、圧倒的な映像美と "間" で存在感を示していたタルコフスキーの映画も何本かは観ていた。でも正直なところ、40歳をすぎた年齢になって、世のサラリーマン諸氏と同様、大げさに言えば経済戦線の最前線で過ごす日々にあって、精神的な意味でこうしてゆっくりとタルコフスキーの映画を観てすごすことができようとは思ってもいなかったので、自分でもすこし驚いた。

しかも、窓の外は秋のさわやかな昼下がりである。今年は猛暑のためか、日差しは秋というよりは夏の名残が感じられる。さんさんと輝く太陽。決してしんとした夜中というわけではない。タルコフスキーを観るにしては、われながらちょっとへんな時間帯のような気がする。

そんな状況でも、とくに退屈することもなく違和感を感じることもなく、静かに最後まで観ることができたのは、たぶんこの映画の時間感覚、静寂感が頭と身体にしっくりとなじんだということなのだろう。むかしから、日本人はまったくの無音の世界ではなく、虫の音や風の音に静寂を見出してきたと聞く。それとおなじようなことが自分にも起こったような気がする。なにもない状況ではなく、タルコフスキーの映画がぼくのところに静寂をもたらし、その静寂が休息の時間を与えてくれたのだろう。

§

『ノスタルジア』は、タルコフスキーの映画としては比較的わかりやすい。たぶんソ連の外(イタリア)で制作されたことが影響しているのだろう。映像美はそのままに、独りよがり度がいくぶん緩和され、周囲にすこし心を開いているように思える。それはイタリアで「外」のスタッフと仕事をするという、タルコフスキーの心情と譲歩の表われのような気がする。いっぽうでイタリアならではと思える美的感覚が、モノトーン的なタルコフスキーの映像美にほのかな色彩感を添え、映像は圧倒的に美しい。

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