年度末の狂騒と後期のベートーヴェン
前回「プライヴェートが忙しい」とふざけたことを書いていたら、年が明けて仕事のほうで大きなクレームが発生して、ひさしぶりに大変な日々を過ごすことになってしまった。製造に携わる方なら誰しも経験があると思うが、こういう状況になると、カチリとスイッチが切り替わり、平穏な日々には考えられないような生活に突入する。こんなに働いたのは久しぶりだし、怒り心頭の顧客との毎日の応対は精神的にも堪えたが、一方で管理者としてではなくリーダとして若い連中と現場で格闘する感覚も久しぶりで、苦しいなかにもときどきはいいこともあった。
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これを書いている現在――大きな勘ちがいをしていなければ(爆)――なんとかピークはすぎた。つい1、2週間まえまでは、収束の日がくるなんてとても信じられなかったので、いまでも半信半疑の気持ちは残っている。いつなんどき携帯電話が鳴って、あらたな問題の発生が告げられるかもしれない――なんて思いはじめると心臓が痛む思いだが、そんな気持ちを抱えながらも、今週末は、この狂騒に入ってからはじめての土日の連休を取らせてもらった。
家族と遊びに出たいところだったが体力が持ちそうにないので、すこし買い物につきあい、女房にまかせきりだった水槽の手入れをして、それから、これもまたひさしぶりにオーディオの電源も入れた。いまは802Dからはモーツァルトの弦楽四重奏曲(ハーゲン弦楽四重奏団)が流れている。この心境のせいか、さっきから小林秀雄の「疾走するかなしみ」という表現が脳裏から離れないので、そのうちべつの楽曲に変えるかもしれない(笑)。
もちろん、こうして音楽を聴くのもひさしぶりだ。精神的にも体力的にも「いっぱいいっぱい」の生活をしていると、通勤のお供だったiPodすら聴けなくなってしまっていた。聴きたい欲求はあるのだが、行きも帰りも蒸気機関のように頭が動いていると、音楽がうるさく感じられてしまうのだ。
そんな状況で、それでもどうしてもなにか音楽を聴きたいと思ったとき、いろいろ試したあげく、唯一受け入れられそうに感じたのは、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲だった。
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こういうとき、バッハやモーツァルトではなく、シューベルトでもなくて、あるいはノラ・ジョーンズの癒し系の歌声でもなくて、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲だというのは、自分でも意外だった。クラシックに詳しい方なら、これだけ話しただけで「やっぱり」と言われるのかもしれないが、ぼくははじめて、自分に引き寄せるような気持ちでベートーヴェンの音楽を聴いたような気がする。
ベートーヴェンの音楽といえば――安直に言えば、活力であり構造美であり「苦悩から歓喜へ」であり、疲れているときの景気づけであればともかく、本当に疲弊してしまったときに聴くような音楽ではないような気がする。おそらくその印象は、中期までのベートーヴェンであればたしかにその通りだ。後期――というのは1817年以降、ベートーヴェン自身の年齢で言えば四十代後半から五十代なかばにかけて――の音楽は、1曲をのぞいて、慣れないひとにはとっつきにくい世界に行ってしまっている。例外の1曲というのは、いわゆる交響曲第9番ニ短調「合唱つき」のことで、この曲は、いうまでもなく有名だ。
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ここで、後期のベートーヴェンの世界観について語ろうなんてぼくには無理なハナシだし、個人の仕事の苦境をベートーヴェンの苦悩になぞらえるような、感傷的な話で辟易させるつもりもない。ただ、これまでふつうに楽曲として聴いてきたものが――それまでも知識として時代背景、ベートーヴェンの置かれた状況、精神状態に思いをめぐらせることはあったとしても――今回のiPodから聴こえてくる音楽には、これまでとはちがう側面が垣間見えるようになった。
ベートーヴェンの後期の楽曲は、一聴すると、平板に聴こえる。またそれ故に捉えどころがなく、ともすればBGMとして流れ去ってしまう。そんな不遜な態度で接しているのはこの世でぼくだけだったのかもしれないけれど、かといって真面目に対峙して聴こうとすると、こんどは逆に精神的な厳格さを感じて、息苦しさのようなものを覚える。要するに、あまり音楽に近づけず、遠まきに外側から眺めて満足していたようなものだった。
いまでもそれはあまり変わらないのだとは思う。急にすべてが理解できたとか、そんなおめでたい話はない。ただひとつひとつのフレーズが、「言葉」のように聴こえるようになってきて、そのフレーズを通じてじっと音楽の線を追っていくと、なにかひとつになったように感じられる。むかし、芸術とは心象を他人に伝えるための手段である、と言ったことがある。じっと聴いていると、蒙昧としていながらも、その「心象」が伝わってくるような気がする。音楽の抽象性が損なわれたとか、表題性を持ったとかそういう意味ではなく、抽象は抽象のまま、厳しさも優しさも、ある種の諦観や孤独感も、そっと丁寧に心象としてこちらのなかに伝わってくる。それが疲れた気持ちにじんわりと効いてくる。
それは、ベートーヴェンの中期の楽曲や、他の作曲家からはなかなか得られない印象だった。後期のベートーヴェンについて、知識や感覚として知っていたことを、あらためて身体全体で感じられたような気がした。
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それ以外のこと――というのは、たとえばなにかに対する積極的な興味とか物欲とか、そういったものは、この狂騒を通じてすっかり影を潜めてしまった。つまり、休日もただ呆然と無気力に過ごす「くたびれたおっさん」と化してしまっている。しばらくリハビリをする必要がありそうだ。
Alban Berg Quartett (ABQ)
EMI Classics: 5 73606 2
1978年~83年録音の不朽の名作。しかも7枚組で3,521円と破格値。結局、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲といえば、こればっかり聴いている。
Link : HMVジャパン
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