市立のプラネタリウム
今年の夏は、いつもだれかどこかの調子が悪く、結局子供たちをプールに連れていくことができなかった。今週末は、こんどこそと思っていたら、不覚にもまえの晩にぼくがひざをざっくりと怪我してしまった。なかなか血が止まらないし、その傷をプールにつけるのは、周囲のひとたちのためにも自分のためにもよくないような気がした。それで、子供たちのありありとした失望感に胸を痛めつつも、中止した。これはどう考えても埋め合わせが必要だ。ということで、かわりに隣町(市)のプラネタリウムに出かけることにした。
小さな市営の施設で、驚いたことに――ぼくが無知だっただけだが――プラネタリウムの演目はその施設のオリジナルだった。きちんとナレーターがつき、参加者たちとインタラクティブに会話をしながら50分間の演目が進んでいく。このナレーターの女性の語り口はとても上手で、適切な関西弁 (?) がなかなかチャーミングで心地よかった。今回はお盆休み中ということで、そこそこ観客が入っていたけれど、平日は2組しかいないとか、そういう状況だという。それでもたぶん、この50分にわたる演目を、きっちりとやっているのだろう。収益性はどうだとか無粋なことを考えてしまうのは事実だが、そういう状況下でこうした手作りの演目を企画し実現している姿勢には頭の下がる思いだった。
そうしたライヴ感は内容にも生かされていて、この地域の夜景から頭上の夜空へと話題がつながり、数日後の月蝕の話まで、固定的・画一的な内容の上映では実現できないリアル感、親近感に触れさせてくれる。
そのかわり――そんな手作り感のある演目には、逆に限界を感じさせてしまう瞬間もあった。演目の途中でビデオ上映による「季節の出し物」があり、紙芝居的なキャラクターが延々と説明をつづける。星空の話題から外れるのであれば、せっかくの大スクリーンなのだから、キャラクターが画面を飛んだり跳ねたりするだけではなくて、もうすこしいろいろ映像・画像を見せてほしいように感じた。
施設の規模から察して、予算の限界ということもあるのだろうと思う。そうした制約のなかで、施設独自の企画を起こしていこうという心意気はとても立派なことだし、そうした施設が地元にあるということは利用者としても心強い。でも地域性にかかわらない固定的なビデオ作品なのであれば、その施設独自ということにこだわらず、全国の同種の施設の横のつながりなどを利用して、共用の作品を用意するというわけにはいかないのだろうか。そうすれば、予算の制約ももうすこし広げられると思うのだけれど。
このプラネタリウムに隣接する特設フロアでは、「科学おもちゃ」の展示が行われていた。ここでは、この施設の手作り感がとてもよい方向にあらわれていた。展示の多くは、ペットボトルや木材、段ボールを使った手作りのもので、子供たちも親しみを感じやすく、楽しそうだった。
§
この科学館は、空港のすぐ隣にあり、騒音緩衝地帯を利用した大きな公園が近くに整備されている(駐車場はこの公園の施設を利用する)。冒頭の写真は、この公園でのスナップだ。空港のすぐ近くだから、この右の写真のようなシーンを間近で見ながら遊べるようになっている。公園はあたらしくて設備も充実している。
月に何回かはこの空港を利用しているから、移動手段としては日常的につきあっているハズなのだけれど、あらためてこうして航空機の離着陸を見ていると、なんとなく心が浮き立つというか、魅せられてしまう。過酷な炎天下の日だったにもかかわらず、たくさんの家族がここで遊んでいた。子供たちは疲れを知らず――といいたいところだが、あまりの暑さにさすがにぐったりしてきて、結局その日は早めの撤収ということになり、そのまますぐ近くのAEONモールに向かった。
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