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2008年6月15日 (日)

アバドづくし

Abbado-Mozart 前回、なにげなく買ったCDの例として、クラウディオ・アバドとジュリアーノ・カルミニョーラのモーツァルト、ヴァイオリン協奏曲全集のことについてすこし触れた。

そのとき、同じ時期にリリースされたアバドのモーツァルト交響曲集を「買ってしまうかも」とつぶやいていたら、案の定、ほどなくして買うことになってしまった。そして同時に、彼の「新しい」ベートーヴェンの交響曲全集も届いた。


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オーディオへの投資がひと段落して、それでなくとも最近はソフトに走る傾向にあるところへ、どうもHMVの「輸入盤3枚セール」に乗せられて、ついついたくさん買う結果になっているような気がする。まあ――たくさんとは言っても、ぼくの場合、月に10セットにも満たない程度だから、ほんとうにたくさん買っておられる方から見れば、なんということもないのだろうけれど。

HMV-Box2 HMVからCDが届くときには、注文時期は1ヵ月ちかく開いているのになぜか1日に複数が届いたり、あるいは連日のように届いたりする。複数の注文がひと箱にまとめられることはないので、マメに箱を処分するようにしないと、油断しているとそこらじゅう箱だらけになる。なかには数枚のCDしか入っておらず、それにしては箱が大きい。個々の注文で箱のサイズを変えるよりは、ひとつのサイズに統一したほうが結果として低コストになっているのだろうけど、どうも「もったいない感」がぬぐえない。女房から白い目で見られるばかりか、たくさん買っているのでは、と不当な疑いをかけられるもとにもなる。どうにかしてほしいが、経済性を考えるとたぶん、このやりかたがもっとも効率的なのだろう。趨勢では、経済性よりもムダを減らし環境への配慮を優先させよう、という機運が高まっているけれど、まだここには到達していないようだ。

今回も、このモーツァルト交響曲集と同時に――べつの箱で――アバドとベルリン・フィルによるベートーヴェンの新しい交響曲全集が届いた。ほかにも先日からルツェルン祝祭管弦楽団とのマーラーを買ったりしていたので、ちょっとした「アバドづくし」の様相を呈してきた。ユニバーサル・ミュージックのサイトによると、今年――2008年はアバドの生誕75周年、とのことだ。

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Abbado-Beethoven 今回のアバドの「新しい」ベートーヴェン交響曲全集は、ちょっと由来が変わっている。前回、2000年に発売された交響曲全集は、当時まだ広くは認知されていなかったベーレンライター版を使ったことで(良くも悪くも)話題になった。ぼくも、買った当初はこの全集になじめず、きちんと聴くようになるまで1年くらいかかったような気がする。

それから8年――2008年にアバドがほんとうに新しいベートーヴェン交響曲全集を出すとしたら、それはいったいどんな演奏になっているのだろうという意味でとても興味深いものだが、残念ながら今回リリースされた交響曲全集は最近の演奏ではない。前回の交響曲全集のすぐあとの2001年、イタリア、ローマで演奏されたライヴを収録したものなのだ(第9番のみ、2000年ベルリンでのライヴ)。

このライブはもともとユーロアーツによって映像作品として収録されたもので、日本ではTDKからDVDで発売されていた。その音源が、DGによってリマスタリングされ、リリースされたのが今回の交響曲全集だ。ユニバーサル・ミュージックのコピーによれば、アバド自身が自分の演奏のなかでもっとも気に入っているものだという。

Abbado-Beethoven2 前回の全集は1999年と2000年の演奏。今回の全集は2000年と2001年の演奏。実質的に1年ちがいということになる。1年で演奏様式にそう大きなちがいが出てくるとも思えないので、なぜいまになってこの録音が新譜としてリリースされるのか、正直なところ理解に苦しむ。ただ今回の全集はライヴなので、当然、その場でのコンディションによって演奏は変わってくる。だから、今回の全集はそういう興味で聴くのが正しいのだろう。時期のちがいではなく、セッション録音による全集、ライヴ録音の全集と捉える。そのちがいだけで、あらたに数千円の出費をするひとがどれだけいるのかは、やっぱり微妙のような気がするけれど。ぼく自身はといえば、迷ったすえに結局買ってしまった。

その両全集のちがいはといえば、すくなくとも、今回の全集はライヴならではの息遣いが感じられる。前回の全集で感じられたような、ベーレンライター版の演奏にありがちな無機感、「かっ飛ばし」感は影を潜めている。でも決してテンポが遅くなったわけではなく、躍動感は健在だ。

それから、これは余談になるのかもしれない――アバドは2000年、胃ガンで倒れた。今回の全集で、第9番だけがベルリンのライブになっていて、他の交響曲がその翌年、復帰後のローマでのライヴになっているのはそのためだ。一時はこのチクルスは完遂すら危ぶまれたと聞く。

復帰直後のアバドの写真を見たことがある。驚くほど痩せて弱々しい立ち姿ながら、カッと見据えた鬼気迫るまなざしに思わず息を呑んだ。これは、そういう時期のベートーヴェンでもある。

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このベートーヴェンから遡ること約10年前の1990年――クラウディオ・アバドは帝王カラヤンの後任として、ベルリン・フィルの芸術監督に選出された。このベルリン・フィルのシェフ就任をもって、事実上アバドは世界最高の指揮者として見なされるようになる。

アバドの前任者は、カラヤンであり、フルトヴェングラーである。前任者たちはベルリン・フィルのシェフをもってそのキャリアのピークを築き、それぞれの時代の最高の指揮者として、生涯の最後までベルリン・フィルに君臨した。それはすなわち、ベルリン・フィルを退くときが、彼らの音楽家としての引退のときでもあったということだ。これに対し、アバドは体調の問題で比較的若くしてベルリン・フィルを去る結果となった。そして、その後みごとにその病魔を克服し、「世界最高の指揮者」という立場のあとの時代を生きている。

現在のアバドは、写真など見るかぎりでは順調に回復して、とても元気そうだ。「あとの時代」を生きるアバドの活動はとても印象的だ。1990年代から活動をはじめていたマーラー室内管弦楽団や、それを母体としてソリスト級の奏者が集まったルツェルン祝祭管弦楽団を組織し、ベルリン時代の先鋭的な演奏スタイルからうってかわって、重厚で濃密な音楽を奏で、高い評価を得ている。

Abbado-Carmignola2004年にはイタリアのボローニャを本拠地に若手(18歳から26歳)によるモーツァルト管弦楽団を設立、その成果が冒頭でご紹介した、モーツァルトの交響曲集と、カルミニョーラとのヴァイオリン協奏曲全集だ。オーケストラはどちらも当然モーツァルト管弦楽団で、交響曲集のほうはカルミニョーラがコンサート・マスターをつとめている。ヴァイオリン協奏曲も交響曲も、どちらも軽やかで明るく、自然体で、現代オーケストラにピリオド奏法を折衷させた魅力的な演奏になっているが、ぼくはやはり最初の印象通り、より溌剌として楽しいヴァイオリン協奏曲全集のほうが好きだ。

アバドは、キャリアの頂点となるベルリン・フィル芸術監督の「あとの時代」を生きているという表現をしたけれど、こうしてみると、それはまちがいなのかもしれない。ルツェルン祝祭管やモーツァルト管との演奏を聴いていると、これからが彼の活動のピークとなっていく予感がしてくる。ぜひ、そうであってほしいと思う。

 

 

Annotations :
モーツァルト/ヴァイオリン協奏曲全集、協奏交響曲 : Mozart: The Violin Concertos
Giuliano Carmignola, Violin
Danusha Waśkiewics, Viola
Claudio Abbado, Conductor
Orchestra Mozart
Archiv: 00289 477 7371 
Link : HMVジャパン
モーツァルト/交響曲集 : Mozart: Symphonies Nos.29, 33, 35, 38, 41
Claudio Abbado, Conductor
Orchestra Mozart
Archiv: 00289 477 7598
Link : HMVジャパン
ベートーヴェン/交響曲全集 : Beethoven: The Symphonies
Claudio Abbado, Conductor 
Berliner Philharmoniker 
DG(Deutsche Grammophon): 00289 477 5864
Link : HMVジャパン

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