カラヤン、ベートーヴェン、ブルックナー
カラヤンのことについて書こうとすると、あまりにも有名すぎて「いまさら」感がともなってしまい、どうも書きにくい。さらに追い討ちをかけるように、今年はカラヤン生誕100年ということで、いまだにドル箱といわれるカラヤンの音楽をレコード会社が競うように発売していて、ますます「いまさら」な話題の感が否めなくなってきた(笑)。
そういう時流に乗っかったわけでは決してないのだけれど、じつははじめて、カラヤンのベートーヴェン全集を買った。われながらさらに「いまさら」な話だ。よりによってカラヤンのベートーヴェンなんて。ベートーヴェン交響曲全集をいったい何式持っているのか、数えてみたことはないのでわからないけれど、十数番目でのわが家へのご到着、だと思う。
購入したのは、カラヤン最後の80年代の録音ではなく、カラヤンの理想がもっともよく現れているといわれる、70年代の録音。オーケストラはもちろんベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。ユニバーサル・ミュージックが eloquence シリーズとして出している廉価盤のうちのひとつだ。
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ヘルベルト・フォン・カラヤンは、言うまでもなく、クラシック音楽界のスーパースターだった。 1908 年オーストリアのザルツブルグ生まれ。名前がしめすように、貴族の生まれで裕福な家庭に育った。若いころの下積み生活のあと、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルの世界2大オーケストラで活躍し、とくにベルリン・フィルとは34年間に渡って芸術総監督、つまり絶対権力者として君臨した。フェラーリやポルシェといったスポーツカーを愛し、航空機やヨットをみずから操縦し、スキーもプロ級の腕前だったという。
要するに、なにをしても人なみ以上のことができるひとだった。ぼくには想像するしかないのだけれど、そういうひとがいる、ということは理解できる。恵まれた能力が恵まれた環境で育まれ、感性を磨き、上昇志向と強い意思を持つにいたり、それがリーダーシップや誠実さ、あるいはナルシズムにもつながる。
音楽家以外の道を歩んでいたとしても一定の成功を収めることができたのだろうが、すくなくとも当時のクラシック音楽の世界は、宿命のライヴァル的存在だったフルトヴェングラーが象徴するように、どちらかといえば愚直・学究的な世界だったようであり、カラヤンのような資質をもつ人物の放つ「輝き」の眩しさは圧倒的だったのではないかと思う。そうして歴史上、最初で最後といわれる「帝王」カラヤンが誕生した。
今回購入した70年代のベートーヴェン交響曲全集は、そんなカラヤンとベルリン・フィルの関係がもっとも熟していた時代のものだ。80年代に入ると、あまりにも長すぎた関係のためか、オーケストラとのささいなトラブルが大きく発展することもあり、ベルリンあるいはドイツ国内での批判的な意見も相次ぐようになっていく。結果としてカラヤンは隣国オーストリアでウィーン・フィルとの活動を増やしていくことになる。
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全集を開封して、迷ったすえに、まず第8番の交響曲を選んだ。一聴して、艶やかで美しく、快活なオーケストラの響きにため息が出た。音楽はすこしもためらうことなく、なめらかに、なめらかに進んでいく。かといってもちろん、ユルいわけではない。スポーティできびきびとしたテンポ感だ。柔軟で精練されており、まるでオリンピックの体操競技を見ているようでもある。
同時に、その響きに、いまとなってはすこしどこか古くさいものを感じてしまうこともたしかだ。その感覚はまるで「むかしのSF映画が描くような未来」というか、東京ディズニーランドのトゥモローランドで感じるような印象と共通するものがある。
このブログでもこれまで何度か触れてきたように、最近になってベートーヴェンの交響曲の演奏様式は大きく変貌した。その意味では、カラヤンの70年代の演奏は、いまとなっては大時代的と表現されるような演奏様式である。だがここにある「トゥモローランド感」は、それだけが理由のものではない。当時の聴衆を酔わせたであろう、独特のレガート奏法によるなめらかな音触と、流麗なテンポ感が、当時先鋭的であったからこそ、「かつて想像した未来」のような色あいを感じさせてしまうように思える。
だからこの全集がだめだとか、そういうことを言いたいわけではない。時代を代表するベートーヴェン交響曲全集のひとつであるのは当然として、さらにはこの全集には、ひとつの時代に君臨したカラヤンという男の美学がいっぱいにつまっている。それはじっくりと聴くに値するものだ。カラヤンの音楽には精神性がないと揶揄されたりもするが、そもそも音楽とは、あるいは音楽の精神性とは、というような話は視点によって見方もかわるものだから、なにが良くてなにが悪いかは微妙なところだ。すくなくとも、カラヤンの音楽は――外面的な印象とは裏腹に――とてもまじめで、誠実なものだと思う。
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今回の話は、ほんとうはここで終わっている。ただでさえ長すぎると不評(笑)のこのブログだけれど、カラヤンの音楽について書くのであれば、もうひとつ、どうしても触れておきたい演奏がある。
ぼくはずっと、カラヤンの熱心な聴衆というわけではなかった。上で書いたようなカラヤンの演奏の捉えかたは、ぼくがそれなりに年齢を食ってきたいまだからできるものであって、もっと若いころだったら、おなじように考えることができたかどうかは疑わしい。カラヤンはあまりにも有名で、それゆえに感じられる陳腐さとか、表層的だという一部の批判的な論評を鵜呑みにしたりもして、素直には聴けずにきたのだ。
そんななか、カラヤンの晩年―― 1980 年代の終わりごろに、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのブルックナーの交響曲第8番の演奏を、FMでのライブ放送で聴いた。
このブルックナーは、「いわゆるカラヤン」というようなイメージとはまったく異なっていた。穏やかで悠然としていて、しかも弛緩するようなところは微塵もなく、とても大きくて強い意思の存在を感じさせた。なにも惑わされず、迷わず、超然と歩んでいく音楽だった。この演奏はじめて聴いたとき、やや芝居がかった言いかたになるけれど、「これはまるで祈りのようだ」と思った。
このときの演奏は、同時期 1988 年のセッション録音が発売されていて、ライヴではない故にやや端正になっている気はするけれど、ほぼおなじものとして聴くことができる。これは、いまでもぼくにとって特別な1枚となっている。
結果として、このブルックナーはカラヤンの最晩年の録音のひとつ、ということになった。カラヤンはその翌年、 1989 年に亡くなった。心不全だった。ザルツブルグの自宅で、ソニーの大賀会長と「次のステップについて」話している最中の出来事だった。
一説によると、全世界で販売されたクラシックのレコード・CDのうち、その3分の2がカラヤンの演奏によるものだという。
Herbert von Karajan, Conductor
Berliner Philharmoniker
Wiener Singverein
eloquence : 442 9924
この記事を書いたときには、マルチバイ価格で3,379円。かなりお買い得と思う。録音も充分によい。
Link : HMVジャパン

Herbert von Karajan, Conductor
Berliner Philharmoniker
DG : 4392002
カラヤン最後のベートーヴェン交響曲全集。まったく価格の下がる気配のない、クラシックCD業界の金字塔。後光を象徴する、この金のジャケットをはじめて見たとき、正直アホじゃないかと思った。
Link : HMVジャパン
Herbert von Karajan, Conductor
Wiener Philharmoniker
DG: 4276112
Link : HMVジャパン
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