ハイティンク/シカゴ響のブルックナー、交響曲第7番
先日ご紹介したマーラーの交響曲第3番にすっかり感心したので、やや高めの価格設定にもめげずに購入した。でも残念ながら、感心というところには至らなかった。
いかにもハイティンクらしい、流麗な演奏。そしてシカゴ交響楽団の馬力感もたっぷり。両者の良いところが出ているのに、演奏全体としてはとくにこれ、というものが感じられない。
そんなはずは。そう思って何回か聴きかえしても、やっぱり印象はかわらない。単純に期待が大きすぎたのかもしれないのかもしれないが、これはいったいどういうことだろう、と、しばし考えこんでしまった。
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やがてわかってきたのは、結局、ハイティンクとシカゴ響は、マーラーのときとなにもかわっていないということだった。前回のマーラーのときに、このように書いた――「迫力だけで圧倒するのではなく、あくまでも明確で自然な流れで音楽を導いていく」。この演奏スタイルが、マーラーでは混迷気味の音楽を明晰で豊かに聴かせ、ブルックナーの広大な音楽では単調気味に聴かせてしまうのだ。
いや、もともとブルックナーは表面的に聴けば単調に感じるものだ、おまえはブルックナーがわかっていないのではないか――そう言われてしまいそうだし、それにはあまり抗弁はできないのだが、ぼくは、ハイティンクとシカゴ響の熟練した職人芸が、ぎゅっと詰まった密度の濃いブルックナーを響かせ、それが逆に、妙に足どりが軽く、きらびやかな印象を与える演奏にしてしまったのではないかという気がする。ブルックナーに求めたい呼吸感、間(ま)の美学、彼方を見つめるような視線、そういった世界観にどっぷりとつかるというよりは、ひとつのなにげない演奏会、という感じだ。
もちろん、そのとおりだ――これはシカゴ交響楽団の自主制作によるライヴの記録なのだから。そう思って聴くと、力感のあるすばらしい演奏であることはまちがいない。ただ、こちらが前回のマーラーの第3番を聴いて、それに感銘して、それとおなじような独自性、高みを求めてしまうから、期待に応えていないかのような演奏に聴こえてしまうのだろう。それは、ぼくがフィラデルフィアやニューヨークあるいはオランダのコンセルトヘボウの出す自主制作盤を讃えておきながら、いっぽうで新譜を出すことの少なくなったレコード会社が心配しているとおりの聴衆の反応を見せてしまった、ということなのかもしれない。
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この演奏を聴きながら、むかし、大阪のシンフォニー・ホールで聴いた、ゲオルグ・ショルティとシカゴ響による、おなじブルックナーの7番の演奏を何度も思い出した。それはオーケストラの響きに当時を髣髴とさせるものがあったからだと思うが、同時に、ショルティの一種のバーバリズムについても想わずにはいられなかった。ぼくはショルティのブルックナーは全面的には受け入れられないでいるのだけれど、その演奏には以前の記事で「カタルシス」と表現したような、五感に恍惚と訴えかけるような、強烈なエネルギーがあった。
ハイティンクは、そうしたバーバリズムとは対極にいる指揮者だ。シカゴ響からの強い要請で就任したと聞くこの首席指揮者が、これからどういう音楽をやっていくのか――これは結局、前回とおなじ結論になるのだが、"CSO-RESOUND" というメディアを通じて、これからゆっくりと楽んでいきたいと思う。
Bruckner: Symphony No.7 in E major
Bernard Haitink, Conductor
Chicago Symphony Orchestra
CSO-RESOUND CSOR 901 704
Link : HMVジャパン
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