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2008年2月の5件の記事

2008年2月24日 (日)

デジタル ケーブル

Cardas-WireWorld すこし機器の配置を変えたら、愛用していた 1mのデジタルケーブル、CARDAS の Lightning 15 では長さが足らなくなってしまった。それで、以前から持っていた 1.5m の Wire World の Gold Starlight に交換した。そのまま2週間くらいがすぎた。


プロファイルのページに書いているように、ぼくの本業はソフトウェア開発者だ。長くなってきた業歴のなかで、いわゆるアセンブラでのファームウェアからUNIX/LinuxやWindowsといった "高級な" OSまで、さまざまなプラットフォームで仕事をしてきた。

その立場の知識でいえば、デジタルケーブルで音が変わるというのは、なかなか容易には信じられない。デジタルデータは、劣化する場合には「微妙に」劣化するのではなく、データが「化けて」しまう。だから、伝送経路でなにか問題が発生した場合には、音が変わるという程度ではすまなくて、以前 DAC64 について書いた際にも触れたように、盛大なデジタルノイズとなってあらわれるはず、微妙に音が変わるなんてありえない――そう考えがちだ。

もちろん、これはデジタルケーブルという伝送路の話であって、メディアからデータを読み出すトランスポート部分と、そのデジタルデータを最終的にアナログ信号(実際の音)に変換するDAコンバータ部分では、いろいろと課題のあることは理解できる。CDから読み出すときにはエラー訂正が入る場合も多く、CDトランスポートの処理方式によっては、それがデータを変化させてしまう場合もあるだろう。また出口側で音に変換するDAコンバータは、まさに「微妙に」変化するアナログ信号に変換する部分だから、機器の特徴が出やすい。

さらに、以上の議論はいずれもデジタルデータの "内容" に基いた話だ。その下のハード屋さんの領域に降りていくと、このデータ内容を伝送するための信号に、ジッタといわれるゆらぎの問題が出てくる。通常のCDクオリティの信号であれば、簡単に言って1秒間に44,100x16(ビット)x2(チャネル)=1,411,200回のパルス信号が送られてくる。実際にはここに付加的な信号も加わるので、もっと多くなる。仮に1,411,200回のパルス信号として話を進めると、ひとつひとつのパルスの間隔は 1/1,411,200秒 ≒ 0.7 マイクロ秒になり、その時間間隔ごとにパルスを受けとることになる。ところがこれが時間通りにこないで、すこしずつ遅れたり早まったりする。回路はこれらを補正して受信し、結果としてきちんとデータを復元するわけだけれど、このジッタ補正の影響がもとのデータを変化させていたり、回路全体に影響してアナログ変換された「音」を変化させる。

このあたりは、バッファ付き入出力を前提としたコンピュータ系の各種伝送方式と、リアルタイム性と取り扱いの容易さを重視したSPDIFなど音楽信号用の伝送とで、考えかたがちがうのだろう。

また、本題よりも周辺の話で長くなってしまった。機器のレイアウトを変更して2週間くらいたったころ、ふと、どうも全体の音がまろやかになった気がした。はじめは理由がわからず首を捻っていたが、デジタルケーブルを Wire World の Gold Starlight に変更していたことを思い出した。

Gold Starlight は Wire World のラインアップのなかでも最上位のデジタルケーブルで、市場での評価も高く、ついでにいえば値段も高い。むかしから持っているが、この「まろやかさ」がぼやけた感じに思えて、どうも苦手だったことを思い出した。長いあいだ使っていなかったので、その印象も忘れてしまっていた。

ぼくがケーブルに対して(無理を承知で)期待しているのは、中低域の力感と、高域の透明感を両立させてほしい、ということだ。その思いのおかげで、世間ではドンシャリ気味と言われるようなケーブルをいまでも手放せずにときどき使っている。その例の最たるものはSAECのSL-1990V2で、悪く言うひとは悪く言うけれど、高域の澄みきった透明感についてはほかに変わるものがなく、これまで何回も使用を止めては、復活をくり返している。

結局、デジタルケーブルは Wire Worldよりさらにむかしに買った、ACROLINKの6N-D5070を引っぱり出してくることになった。このケーブルは、価格帯で言えば Wire WorldやCARDASに比べたらはるかに安価で、これといった特徴もない目立たない存在なのだけれど、結局、いちばんバランスが整っているような気がする。

 

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2008年2月11日 (月)

ハイティンク/シカゴ響のマーラー、交響曲第3番

Haitink-CSO-Mahler 一部で話題になっている、ベルナルト・ハイティンク指揮シカゴ交響楽団 (CSO) によるマーラー交響曲第3番。オーケストラ自身による自主制作盤で、あまり購入意欲をそそらないジャケット・デザインではあるけれど(笑)、とても評判がよいので、購入して聴いてみた。

ハイティンクは60年代から1988年まで、20年以上の長きにわたってオランダの名門、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者を務めていた。在任期間が長いことと、地元 Philips からたくさんの録音も出していることから、このコンセルトヘボウでの印象が強い。その後はヨーロッパのオペラハウスやオーケストラの首席指揮者を務めていたものの、活躍を耳にする機会はすくなかった。それが 2006 年になって、アメリカのシカゴ交響楽団に請われて首席指揮者に就任、こうして自主制作盤としてぼくらの耳に届けられることになった。


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ベートーヴェン:交響曲第9番ハイティンクといえば――これは世界共通見解だと思うが――どちらかといえば実直で堅実、職人気質の指揮者という印象だった。またそうした音楽と同様に、本人自身も写真によっては海坊主のような強面の形相で写っていることもあるけれど、DVD などで見ているかぎりでは、いたって温厚でシャイな音楽好きという風采だ。そのハイティンクがアメリカに渡り、シカゴ響を振る――このカップリングは、シカゴ響自身からの強い要請で実現したものだと聞く。

その結果はといえば、これはだれもが口をそろえて言うとおり、本当にすばらしいマーラーになった。かつてショルティによって鍛えられたシカゴ響は、まさにアメリカのオーケストラの体現ともいうべき「性能」を有しており、とくに金管の馬力というか炸裂する響きはアメリカらしい華やかさ、派手さに満ちている。むかし、ショルティが存命のころ、シカゴ響と来日した際にブルックナーの7番を聴いたことがあるが、咆哮する金管がある種のカタルシスとなって陶酔させられるものの、これは先入観のせいかもしれないが、すこしなにかちがうような印象が残ったものだった。

そのシカゴ響の馬力感は、このマーラーでも充分に健在だ。ところが、ギラつかないのである。オーケストラが充分に鳴っていながら、穏やかさや静けさも感じられ、音楽が自然に流れていく。かといって決して弛緩しているとか、もちろんそういうわけではない。ぎゅっと詰まった密度感もある。これは、ハイティンクのコントロールが行き届き、彼の持ち味がきちんと生かされているからなのだろうと思う。迫力だけで圧倒するのではなく、あくまでも明確で自然な流れで音楽を導いていく。

なお、この明晰で豊かなマーラーの印象には、その録音もひと役買っている。シカゴ交響楽団の自主レーベル "CSO-RESOUND" の音は、最近これほどバランスの整った録音はあっただろうか、と思うくらいにすばらしい。すべての楽器が適切な距離感と広がりを保ちつつ、明確に聴こえてくる。この録音が音楽の見通しのよさに貢献していることはまちがいない。

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Haitink-RCO-Mahler ハイティンクは、最近、古巣であるコンセルトヘボウで、マーラーの交響曲第4番を指揮した。そのときの模様が、これもオーケストラの自主制作盤、"RCO Live" として発売されている。最終楽章の歌曲でソプラノを独唱しているのは、先日このブログでも、2006年ザルツブルグ音楽祭『フィガロの結婚』での活躍をとりあげた、クリスティーネ・シェーファー。

長くなるのでこのCDの詳細については書かないが、ほぼ同時期ともいえる録音だけに、今回のシカゴ響との演奏と比べて聴いてみると、アメリカとヨーロッパのオーケストラの音の特徴がわかって、おもしろい。シカゴ響もコンセルトヘボウ管もどちらも、その地の文化的背景を代表するに足る立派なオーケストラだ。

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正直なところ、書くのにそれなりの時間のかかる (笑) このブログで、ベルナルド・ハイティンクをとりあげる機会がこようとは自分でも思ってもいなかった。ハイティンクの振ったCDは何枚か持っているものの、上で触れたように音楽は実直で地味なのでそう頻繁には聴かないし、あまり書くこともなさそうな気がしていたからだ。

でも今回のシカゴ響との演奏を聴いて、持ち味のちがう両者の組み合わせ――穏やかながらもしっかりとした音楽性を持ったヨーロッパの職人指揮者と、アメリカの「吼える楽器」シカゴ響との組み合わせ――は、これからも相互に影響しあって、なにかすばらしい音楽をやってくれそうな期待感が出てきた。それを伝えるための自主レーベル "CSO-RESOUND" という、充分な器もある (ちょっと価格の高めな点が難だけれど)。

CSO-RESOUND レーベルでは、今回のマーラーの交響曲第3番のほかに、ブルックナーの交響曲第7番がすでに発売されている。まもなく、マーラーの交響曲第6番『悲劇的』も発売される。この自主制作盤の世界も、ますます素敵なことになってきている。

 

 

Annotations :
マーラー/交響曲第3番ニ短調 :
Mahler: Symphony No.3
Michelle DeYoung, Mezzo-Soprano
Bernard Haitink, Conductor
Chicago Symphony Orchestra
CSO-RESOUND CSOR 901 701 
Link : HMVジャパン
マーラー/交響曲第4番ト長調 :
Mahler: Symphony No.4 in G Major
Christine Schäfer, Soprano
Bernard Haitink, Conductor
Royal Concertgebouw Orchestra
RCO Live RCO 07003
Link : HMVジャパン

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2008年2月 9日 (土)

キム・カシュカシャンの歌うヴィオラ ~ Asturiana

Kashkashian-Viola このCDは、万人に薦めるようなものではないのだろうけれど、やっぱりとてもお薦めだ。

キム・カシュカシャン (カシュカシアン) がECMからリリースした『アストゥリアーナ~スペインとアルゼンチンの歌』は、スペインとアルゼンチンの代表的な作曲家による歌曲を、盟友であるピアニスト、ロバート・レヴィンとともに編曲し、ヴィオラとピアノの楽曲にまとめたアルバム。すべて歌詞つきのほんとうの歌なのだが、もちろんここでは人間の声では歌われていない。カシュカシャンのヴィオラが静かに旋律を奏でる。


特筆すべきは、それでも、ライナーノーツにきちんと歌詞が収録されているということだ。カシュカシャンが、みずからの声であるヴィオラを通して、これらの歌曲を歌いたかったことが素直に伝わってくる。ちなみに、この歌詞は濱田滋郎氏が訳している。その訳が読みたくて、経済性優先のぼくとしてはめずらしく、日本盤のCDを購入した。そして実際にライナーノーツを開いてみると、解説は近代史を中心に精力的に活躍している音楽評論家、片山杜秀氏だった。冒頭にはカシュカシャンとレヴィン自身によるコメントも邦訳されており、ふだん多くのひとはライナーノーツなどはなかなか読まないのだろうけど(ぼくもそうだ)、これは「読み物」としても充実している。

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Kancheli キム・カシュカシャンは、いまもっとも活躍しているヴィオリストのひとりと言っていいと思う。印象に残っているのは ECM Records での数々の現代曲の録音であり、手許にあるのは、ギヤ・カンチェーリ (ギア・カンチェリ) やジェルジ・クルターグの作品であったりするが、彼女自身は古典からロマン派の時代の音楽まで幅広くこなす。

ただまあ、いかんせんヴィオラという楽器は、聴き手としては正直なところ地味だ。ぼくのような素人音楽好きとしては、ソロ活動している演奏家としてすぐに思いつくのは、このカシュカシアンとロシアのユーリ・バシュメット、日本の今井信子くらいだ。ソロ楽器としてのヴィオラのための協奏曲などが積極的に作曲されるようになったのも、近代に入ってからだと聞く。

カシュカシャンは、米国生まれ。両親はアルメニア出身。現在はドイツ在住。このアルバムのライナーノーツで、彼女は、幼少のころに父親が歌ったアルメニア民謡の歌声が、自分の音楽的ルーツになっていると語る。それが彼女のヴィオラであり、このアルバムなのだろう。

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Kashkashian-Asturiana冒頭に書いたように、このCDが万人向けだというようなつもりはない。ぼく自身もいつどういうときに聴くのか、さだかではない(笑)。ただ、ヴィオラの音色、それを歌い上げるカシュカシャンの演奏、繊細で明晰なレヴィンのピアノ、そして憂いを感じさせるスペイン民謡をルーツとする旋律――どれをとっても優しく、魅惑的で、じっくりと心に染み入ってくる。買ってからというもの、なぜかついこのアルバムを聴いてしまうということが多い。

いつも聴く、ということはないかもしれないが、これからいつでも好きなときにこのCDを聴けるというのは幸せなことだな、とじんわりと思う。ずーっと持っていたい、大切なCDだ。

 

 

Annotations :
アストゥリアーナ ~ソングス・フロム・スペイン&アルゼンチーナ :
Asturiana -Songs from Spain and Argentina
Kim Kashkashian, Viola
Robert Levin, Piano
ユニバーサル ミュージック (ECM) UCCE2064
Link : HMVジャパン
ギヤ・カンチェーリ (ギア・カンチェリ) : Giya Kancheli
グルジアの作曲家。1935年生まれ。沈黙の音楽を書く作曲家。その沈黙はときに暴力的になる。
Link : HMVジャパンの紹介ページ
ジェルジ・クルターグ : György Kurtág
ルーマニア出身、ハンガリー人の作曲家。1926年生まれ。

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2008年2月 3日 (日)

B&W 802D のウーファ

802D-Wooferひさしぶりのオーディオの話。

B&Wの802Dは、その型番の末尾に "D" がついていることからもわかるように、ダイヤモンド・ツイータを搭載していて、それがもっとも大きな特徴だと言われている。たしかに、このスピーカーを導入するときには、以前書いたようにこのダイヤモンド・ツィータによる透明な、抜けるような高域の音というのは大きな魅力のひとつだった。

でもひそかに、本当に楽しみにしていたのは、低域を担当するウーファだった。新素材ロハセル (Rohacell®) のウーファだ。


いやべつに、この素材に詳しいとか、そういうわけではない。カタログやら紹介記事やら、そういったメディアから仕入れた知識だけだ。

ロハセルはドイツのローム (Röhm GmbH&KG) が開発した新素材で、硬質プラスチックの発泡体だ。断面はスポンジのように見える。ただ気泡が小さくて硬いのだ。このロハセルは新幹線や人工衛星にも使用されている。写真をお見せできればいいのだが、実物を裁断するわけにもいかないし、引用できそうなものもない。B&W サイトの技術紹介のページにも、残念ながらロハセルそのものの写真は掲載されていない。

B&W 800シリーズのウーファで使用されているのは、8mm 厚のロハセル。けっこう分厚い。その表面には (裏面にも) 炭素繊維が貼りつけられている。

これのなにが楽しみであったかといえば「軽くて、硬そう」ということだった。硬そうというのは、たわみが少なそう、という意味だ。このウーファは、802Dでは27Hzから350Hzの低音を担当する。ということは1秒間に27回から350回も前後に振動するということだ。通常の素材では、中心部から外周部にかけてたわみが発生し、それがひずみにつながる。たわみが少なければ、ひずみも少なくなる。かといって重たければ、アンプからの信号に的確に反応できず、充分な振幅も得られなくなる。

そんなウーファの素材として、硬質発泡素材であるロハセルは、俊敏に反応して濁りや曖昧さのないクリアな低音を聴かせてくれるのではないか――そんなふうに期待したのだ。

まあ、すべては素人の印象の世界での話だ。工学的に考えてそれが正しいのかどうかは、ぼくにはすぐには結論を出せそうにない。ぼくなりに、いろいろとスピーカーの鳴り方を勉強してのことではあったけれど。

使用しているパワー・アンプは、GOLDMUND の MIMESIS 18.4ME。低域が豊かというほうではないが、芯のある低音を鳴らす。それはこのアンプの持つ駆動力、制動力によるところが大きいと思っている。ときに低域の量感がもの足りなく思うことがあるのは事実だけれど、そのぶん引き締まって「ズン」とくる力感が心地よく、気に入って使いつづけている。

その MIMESIS 18.4MEによって鳴らされる 802Dの低域が、あるときから、さらに力強く、明確に鳴るようになった。オーケストラの曲などを聴いていると、室内にある机などがかすかに振動するのがわかる (なにか対策しないと....)。それはズンとかドンというよりも「ダン!」と腹に響く音だ。ぼくの家はマンションだから、そう極端に大きな音をだしているわけではない。

この低域の力感がすばらしい。

以前使用していたスピーカー、ALR/Jordan の Note 7は 15cmウーファを2本搭載していた。ALR/Jordan 得意のアルミコーンを使用し、軽量さと硬性の確保の両立を果たしていた。さらに背面にはパッシヴ・ラジエータを搭載していたこともあって、比較的豊かな低域を聴かせてくれたものの、正直なところ振動を肌で感じさせるほど力強くはなかった。

対して、B&W 802Dのウーファは 20cm径。Note 7の 15cmにくらべると 5cm大きくなったにすぎない。見ためにはだいぶ大きくなったように感じるし、面積比で言えばそれなりに変わったと言えるのかも知れない。それでも、ここまで低域を力強く感じさせ、なおかつ明晰に響くというのは、このロハセルのウーファのおかげなのだろうと思う。

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2008年2月 2日 (土)

プレトニョフのベートーヴェン、ピアノ協奏曲第5番《皇帝》

Pletnev-Beethoven-5ミハイル・プレトニョフのベートーヴェンは、以前ピアノ協奏曲第2番と第4番のカップリングと、交響曲全集が発売されたときにとりあげた。そのピアノ協奏曲集はその後めでたく “日本レコード・アカデミー賞” も受賞して評価も定まってきた (交響曲全集のほうは、やっぱり肯定的な評価は少ないようだが...(笑))。

ピアノ協奏曲に関していえば、第1番から第4番までを聴いただけで充分満腹感があって、本来大トリともいえるこの第5番《皇帝》が発売されても、正直「もう聴かなくてもいいかな」というくらいの気持ちになっていた。そもそも楽曲が大きな規模のものなので、いつもの飛んだり跳ねたりする “プレトニョフ節” が炸裂するのだろう、ということは容易に想像がついた。


でも、この第5番を何度か聴いているうちに、いままでの感想とはすこしちがって、これはほんとうに歌うピアノとオーケストラの伴奏という演奏だなあ、とつくづく感じさせられた。これがいわゆるロシア人に深く根ざす “歌” というものなのだろうか――なんて思ったりもする。プレトニョフのピアノが自由闊達に歌い、オーケストラは前面に出ず、その伴奏に徹している。

協奏曲はもちろん、ソリストが主役である。ただ、むかしはいざしらず、通常は漢字の表記のとおり「協奏」なのであって、ソリストと指揮者/オーケストラがある意味対等に協力し演奏する。ところがプレトニョフは、彼の個人オーケストラといわれるロシア・ナショナル管弦楽団を率い、指揮者には「自分のかわり」と明言して、クリスティアン・ガンシュに指揮を頼んでいる。ガンシュの本業は指揮者ではなく、発売元のレーベル DG (Deutsche Grammophon) のプロデューサだ。こうした今回の演奏スタイルは、最初に第1番&第3番が発売されたときから変わっておらず、だからこそプレトニョフは (言葉は悪いが) やりたい放題ができた。

それが、この第5番《皇帝》になって、とくに第2楽章がじっくりと歌われていて、それを聴いているうちに、舞台の歌手と伴奏オーケストラというような図式が脳裏に浮かんできた。スター級のピアニストは世に大勢いるが、ピアノが歌手に思えてくるような心象を想起したのははじめてだ。

まあ、第3楽章に入りまた活気づいてくると、力みすぎて苦笑させられるような場面もところどころある。そのあたりは相変わらずだけれど、このベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番《皇帝》は、“歌うピアノ” が印象的なCDだ。それはプレトニョフと彼のオーケストラ、そしてその意図を明確に理解し黒子に徹しているガンシュという三者だからこそできた演奏なのだろう、と思う。

 

Annotations :
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番《皇帝》 :  
Beethoven / Concerto for Piano and Orchestra No.5 in E flat major, Op.73 "Emperor"
Mikhail Pletnev, piano
Christian Gansh, conductor
Russian National Orchestra 
DG 477 6417 
Link : HMVジャパン

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