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2008年1月20日 (日)

エマールのバッハ、フーガの技法

Bach-AimardこのCDは、じつは買おうかどうしようか、迷った。というか、そのまえにふたつのことに驚いた。ひとつはエマールの録音がDGから出たこと。もうひとつは、それがバッハで、『フーガの技法』であるということ。たぶん、エマールを知る多くのかたが同様の印象を持たれたと思う。

ピエール=ロラン・エマールは、もともとはピエール・ブーレーズらとともに  1970 年代からパリのアンサンブル・アンテルコンタンポランで現代音楽の名手として活躍をしていたひとだ。


それが 2003 年、ニコラウス・アーノンクールとベートーヴェンのピアノ協奏曲をワーナーからリリースして、俄然話題を集めた。現代音楽の専門家が、なぜ突然に....というわけだ。最近では高橋アキがシューベルトを発表して、やはり話題になった。

Aimard-Beethoven現代音楽の――と、ひとくくりに言ってしまうのもどうかとは思うが――演奏家たちのスタンス、技術には目を見張るものがある。先日もスティーヴ・ライヒの『スリー ・テイルズ』の DVD を見ていて、ほんとうに人間業かと思ったものだ。高度にコントロールされた感情、集中力、それを実現する挑戦の姿勢、そしてもちろん技術力。そういう世界で活躍してきた演奏家が、古典的な楽曲を演奏する――エマールについて言えば、アーノンクールとのベートーヴェンも聴いたけれど、ピアノの音が研ぎ澄まされてきれいだとは思ったものの、音楽そのものについてはエマールを聴いているのかアーノンクールを聴いているのか、このCDだけではよくわからないところもあった。その後N響との共演も耳にしたけれど、きちんと聴く機会がなかった。

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それが、DG(ドイチェ・グラモフォン)からバッハをリリースすると知って、さまざまなことを思った。

ひとつには、王道をいくメジャー・レーベルDGから出ることで、なんとなく角がとれてしまうというか、ある意味つまらなくなってしまうのではないか、という心配。やっぱりこういう音楽はおなじ Universal 系列であるとしても、 ECM の New Series や Archiv のようなところから出るのが自然という気がする。

EmersonSQ-Bach そして楽曲がバッハ、フーガの技法だったこと。あまりにもわかりやすく、それゆえに「なんでまた」という思いがめぐった。バッハの音楽は、対位法的な響きがジャンルの垣根を越えて音楽家たちの関心を惹き、これまでにもジャスやロックの "ミュージシャン" が頻繁にコラボレーションを行っている。さらに『フーガの技法』はバッハ最晩年の作品で、楽器の指定すら行われていないことから、クラシック業界でも、すでにさまざまなスタイルの試みが行われている。

王道のレーベルで王道の挑戦。もちろん関心はあるが、かといってあまりに王道すぎてどうしても聴きたいというほどではなく、ある意味、HMVの3枚セールの組合せのひとつとして買ったようなものだった。

HMVから到着したあとも、すぐには開封せず、数日置いたままにしていた。休日になってようやく、PCにTTAでリッピングし、聴いてみた。

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最初の音が出た瞬間から、その音色にハッとした。ぼくは大きな思いちがいをしていたようだ――と、すぐにわかった。落ち着きのある、しっかりとした足どりで静かに音楽が進んでいく。ひとつひとつの音が力強く明瞭でありながらも透明感がある。とても美しく、豊穣で、説得力のある演奏だ。

自分でもどんな演奏を期待していたのかよくわからないのだが、予想していたものとはまったくちがっていた。なにかとても懐かしい感じがした。こういう正統的なバッハは、ずいぶんひさしぶりのような気がする。それでいて、どこにも退屈させるようなところがない。

これは、さすが、現代音楽で経験を積んだひとのバッハだと思った。感情的になるようなところはどこにもない。全体がすべてきちんと設計されていて、その設計を実際の音楽にするための充分な技術がある。だからといって機械的、冷徹と思わせるところは微塵もなく、技術は抑制的だ。それが穏やかな静けさのなかで進んでいく――本当にすばらしいバッハの演奏だった。


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ここから先は、すこし余談になる。上のところで「懐かしい感じがした」と書いた。では以前にこんな演奏をどこで聴いたのだろう?――それはすぐには思い出せなかった。アンドラーシュ・シフの演奏がこれに近いような気もするけれど、シフのバッハの多くは若いころの録音が多く、こんなに力強くはなかったように思うし、最近の演奏でももうすこし呼吸感がある。エマールのバッハは、呼吸感というよりは逆に息をつめた集中力を感じさせる。

1回目、聴き終わってもまだ、なぜ懐かしいと思えたのかよくわからなかった。このブログの記事を書くために何回か聴き返して、ようやく「ああ!」と思いいたった。

Richter-Bach このバッハは、ロシアのビアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルの演奏を思い起こさせるのだ。リヒテルは言うまでもなく旧東欧世界の巨人であり、亡くなったいまも膨大な録音が発売されつづけている。録音(演奏時期)によってだいぶ印象が変わるし、エマールほど自己抑制的でもなかったように思うけれど、有名な平均律の録音や、晩年の 1990 年初頭にイタリア Stradivarius から発売された演奏に見られる静寂感、抱擁感の印象が、エマールの演奏からも感じられる。

実際、いまリヒテルの Stradivarius のCDを手許に置きながらエマールの演奏を聴いていると、ふとどちらの演奏を聴いてたっけ、というような錯覚にとらわれる。あえて言えば、エマールのほうが最初のアタック音が鋭く歯切れがいい。だがそれは録音の差かもしれないし、どちらにしても微々たる差であって、聴き手が受けとる世界観はよく似ている。

リヒテルの音楽は、ロシア/東欧という文化と、本人の生来の器の大きさから生まれてくるものであるように思うが、エマールのそれは「生来の」というより、これまでの豊富な経験で身につけて「到達した世界」であるように思う。ということは、これが偶発的なものではなくきちんと意図的に構築された音楽であり、今後もさらに広がりを見せていくと期待できそうだ。

最初の懸念はどこへやら――これからの彼のDGでの録音がとても楽しみになってきた。

 

 

Annotations :
J.S.バッハ: フーガの技法 / エマール : 
J.S.Bach: DIE KUNST DER FUGE 
Pierre-Laurent Aimard, Piano 
DG 00289 477 7345
Link : HMVジャパン
J.S.バッハ: フーガの技法 / エマーソン弦楽四重奏団 :
J.S.Bach: The Art of Fugue
Emerson String Quartet
DG 474 495-2
Link : HMVジャパン
J.S.バッハ: フーガの技法 / アレッサンドリーニ/コンツェルト・イタリアーノ :
J.S.Bach: DIE KUNST DER FUGE 
Concerto Italiano
Rinaldo Alessandrini 
OPUS111 OPS 30-191
ぼくにとって新しい世界を見せてくれたとても大切な一枚。ぼくが持っているのはフランスOPUS111からリリースされたものだが、HMVでは "Tete A Tete" とクレジットされている。たぶんおなじ演奏。
Link : HMVジャパン
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲全集 / エマール/アーノンクール : 
Beethoven: Piano Concertos No.1-5
Pierre-Laurent Aimard, Piano 
Chamber Orchestra of Europe
Nikolaus Harnoncourt, Conductor
Teldec 0927 47334-2 
Link : HMVジャパン

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コメント

Buxさん、コメントありがとうございます。
すいません...長いのは別方面からも批判度々(笑)です。改善してまいります。
感性は...素養がないので、勉強すれば得られるものと信じて、日々悪戦苦闘してます(^^;。 でもやっぱり、音楽って言葉で表現するのはむずかしい...。

投稿: Tiki | 2008年1月26日 (土) 21時25分

長いよ~。
みごとな感性に感服いたしております。

投稿: Bux | 2008年1月26日 (土) 19時39分

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