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2008年1月の4件の記事

2008年1月27日 (日)

シャンティクリア・ミサ

ChanticleerMass 雑誌『レコード芸術』で絶賛にちかい評価をされていたのと、録音も優秀だということで、興味があって買ってみた。副題には『そして地には平和を』とある。

シャンティクリアというのは、演奏団体の名前で、 Chanticleer とつづる。男性12名による声楽アンサンブル。いわゆるアカペラ・コーラスで、驚異的な技術で完璧なハーモニーを奏で、中世、ルネサンス時代の音楽から現代音楽まで幅広いレパートリーをこなす。1978年創設なので、まもなく30周年を迎えることになる。


このシャンティクリア・ミサは、帯の解説によると、16世紀ヴェネツィア楽派の初期バロック音楽から現代の作曲家まで、文化・音楽的背景を異にする5人の作曲家の融合、とある。つまり、全体がミサ曲としてまとめられているが、ひとつひとつの楽曲は作曲者も時代も大きく異なり、16世紀のガブリエリの作品のつぎには20世紀のクオモの作品が歌われる、といった具合だ。これらが違和感なくつながって、ひとつのミサ曲を形成している。

一聴して、噂にたがわぬその純度の高い歌唱力にはやはり感心させられる。アカペラ (無伴奏) であるにもかかわらず、まるで楽器が鳴っているかのように錯覚することすらある。残響はやや多めに収録されていて、それがいっそう神秘的な雰囲気を醸し出している。

こうしたスタイルの音楽を耳にすると、ぼくの場合、ECMレーベルで活躍するヒリヤード・アンサンブル (Hilliard Ensemble) をどうしても連想してしまう。ヒリヤード・アンサンブルが4名から6名の構成であるのに対し、シャンティクリアは12名。規模はまったく異なるものの、ルネサンス時代から現代音楽までカバーし、鉄壁のハーモニーを誇るという点では、その世界観はよく似ている。

こういう音楽を聴くシチュエーション、というのは人さまざまだろうが、わりと夜のおそい時間に、しかも疲れているときに、漠然とした “癒し” をもとめて聴く、というようなことも多いのだろうと思う。そういうとき、正直なところぼくは、よりストイックでより静謐なヒリヤード・アンサンブルのほうを選ぶだろうという気がする。ただヒリヤード・アンサンブルの音楽はその分聴き手に緊張感を求めるようなところがあり、それがきついと感じるときもある。

シャンティクリアの音楽は、たとえ短調の曲であったとしてもどこか明るく楽しい響きがあり、どこまでも繊細で優しく、聴き手をリラックスさせてくれる。

それはシャンティクリアが米国サンフランシスコを拠点としており、かのエンタテイメント大国で活躍しているということも関係があるのかもしれない。その意味では、純粋に学究的な中世、あるいは現代音楽よりも、さまざまなジャンルの音楽とのクロスオーバーのほうが、より楽しめるかもしれない。

 

Annotations :
『そして地には平和を~シャンティクリア・ミサ』- シャンティクリア : 
AND ON EARTH, PEACE - A CHANTICLEER MASS
Warner Classics 8122.799844
Link : HMVジャパン
オフィチウム - ヒリヤード・アンサンブル :
Officium - Hilliard Ensemble 
ECM 445369
Link : HMVジャパン
ヒリヤード・アンサンブルははじめて、という方にはおすすめ。サックス奏者ヤン・ガルバレクとのコラボレーション・アルバム。いつかこのブログでもとりあげようと思ってはいるけれど、ぼくのつたない語彙ではどう表現したらいいのかわからない。とても特別なアルバム。

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2008年1月20日 (日)

エマールのバッハ、フーガの技法

Bach-AimardこのCDは、じつは買おうかどうしようか、迷った。というか、そのまえにふたつのことに驚いた。ひとつはエマールの録音がDGから出たこと。もうひとつは、それがバッハで、『フーガの技法』であるということ。たぶん、エマールを知る多くのかたが同様の印象を持たれたと思う。

ピエール=ロラン・エマールは、もともとはピエール・ブーレーズらとともに  1970 年代からパリのアンサンブル・アンテルコンタンポランで現代音楽の名手として活躍をしていたひとだ。


それが 2003 年、ニコラウス・アーノンクールとベートーヴェンのピアノ協奏曲をワーナーからリリースして、俄然話題を集めた。現代音楽の専門家が、なぜ突然に....というわけだ。最近では高橋アキがシューベルトを発表して、やはり話題になった。

Aimard-Beethoven現代音楽の――と、ひとくくりに言ってしまうのもどうかとは思うが――演奏家たちのスタンス、技術には目を見張るものがある。先日もスティーヴ・ライヒの『スリー ・テイルズ』の DVD を見ていて、ほんとうに人間業かと思ったものだ。高度にコントロールされた感情、集中力、それを実現する挑戦の姿勢、そしてもちろん技術力。そういう世界で活躍してきた演奏家が、古典的な楽曲を演奏する――エマールについて言えば、アーノンクールとのベートーヴェンも聴いたけれど、ピアノの音が研ぎ澄まされてきれいだとは思ったものの、音楽そのものについてはエマールを聴いているのかアーノンクールを聴いているのか、このCDだけではよくわからないところもあった。その後N響との共演も耳にしたけれど、きちんと聴く機会がなかった。

§

それが、DG(ドイチェ・グラモフォン)からバッハをリリースすると知って、さまざまなことを思った。

ひとつには、王道をいくメジャー・レーベルDGから出ることで、なんとなく角がとれてしまうというか、ある意味つまらなくなってしまうのではないか、という心配。やっぱりこういう音楽はおなじ Universal 系列であるとしても、 ECM の New Series や Archiv のようなところから出るのが自然という気がする。

EmersonSQ-Bach そして楽曲がバッハ、フーガの技法だったこと。あまりにもわかりやすく、それゆえに「なんでまた」という思いがめぐった。バッハの音楽は、対位法的な響きがジャンルの垣根を越えて音楽家たちの関心を惹き、これまでにもジャスやロックの "ミュージシャン" が頻繁にコラボレーションを行っている。さらに『フーガの技法』はバッハ最晩年の作品で、楽器の指定すら行われていないことから、クラシック業界でも、すでにさまざまなスタイルの試みが行われている。

王道のレーベルで王道の挑戦。もちろん関心はあるが、かといってあまりに王道すぎてどうしても聴きたいというほどではなく、ある意味、HMVの3枚セールの組合せのひとつとして買ったようなものだった。

HMVから到着したあとも、すぐには開封せず、数日置いたままにしていた。休日になってようやく、PCにTTAでリッピングし、聴いてみた。

§

最初の音が出た瞬間から、その音色にハッとした。ぼくは大きな思いちがいをしていたようだ――と、すぐにわかった。落ち着きのある、しっかりとした足どりで静かに音楽が進んでいく。ひとつひとつの音が力強く明瞭でありながらも透明感がある。とても美しく、豊穣で、説得力のある演奏だ。

自分でもどんな演奏を期待していたのかよくわからないのだが、予想していたものとはまったくちがっていた。なにかとても懐かしい感じがした。こういう正統的なバッハは、ずいぶんひさしぶりのような気がする。それでいて、どこにも退屈させるようなところがない。

これは、さすが、現代音楽で経験を積んだひとのバッハだと思った。感情的になるようなところはどこにもない。全体がすべてきちんと設計されていて、その設計を実際の音楽にするための充分な技術がある。だからといって機械的、冷徹と思わせるところは微塵もなく、技術は抑制的だ。それが穏やかな静けさのなかで進んでいく――本当にすばらしいバッハの演奏だった。


§

ここから先は、すこし余談になる。上のところで「懐かしい感じがした」と書いた。では以前にこんな演奏をどこで聴いたのだろう?――それはすぐには思い出せなかった。アンドラーシュ・シフの演奏がこれに近いような気もするけれど、シフのバッハの多くは若いころの録音が多く、こんなに力強くはなかったように思うし、最近の演奏でももうすこし呼吸感がある。エマールのバッハは、呼吸感というよりは逆に息をつめた集中力を感じさせる。

1回目、聴き終わってもまだ、なぜ懐かしいと思えたのかよくわからなかった。このブログの記事を書くために何回か聴き返して、ようやく「ああ!」と思いいたった。

Richter-Bach このバッハは、ロシアのビアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルの演奏を思い起こさせるのだ。リヒテルは言うまでもなく旧東欧世界の巨人であり、亡くなったいまも膨大な録音が発売されつづけている。録音(演奏時期)によってだいぶ印象が変わるし、エマールほど自己抑制的でもなかったように思うけれど、有名な平均律の録音や、晩年の 1990 年初頭にイタリア Stradivarius から発売された演奏に見られる静寂感、抱擁感の印象が、エマールの演奏からも感じられる。

実際、いまリヒテルの Stradivarius のCDを手許に置きながらエマールの演奏を聴いていると、ふとどちらの演奏を聴いてたっけ、というような錯覚にとらわれる。あえて言えば、エマールのほうが最初のアタック音が鋭く歯切れがいい。だがそれは録音の差かもしれないし、どちらにしても微々たる差であって、聴き手が受けとる世界観はよく似ている。

リヒテルの音楽は、ロシア/東欧という文化と、本人の生来の器の大きさから生まれてくるものであるように思うが、エマールのそれは「生来の」というより、これまでの豊富な経験で身につけて「到達した世界」であるように思う。ということは、これが偶発的なものではなくきちんと意図的に構築された音楽であり、今後もさらに広がりを見せていくと期待できそうだ。

最初の懸念はどこへやら――これからの彼のDGでの録音がとても楽しみになってきた。

 

 

Annotations :
J.S.バッハ: フーガの技法 / エマール : 
J.S.Bach: DIE KUNST DER FUGE 
Pierre-Laurent Aimard, Piano 
DG 00289 477 7345
Link : HMVジャパン
J.S.バッハ: フーガの技法 / エマーソン弦楽四重奏団 :
J.S.Bach: The Art of Fugue
Emerson String Quartet
DG 474 495-2
Link : HMVジャパン
J.S.バッハ: フーガの技法 / アレッサンドリーニ/コンツェルト・イタリアーノ :
J.S.Bach: DIE KUNST DER FUGE 
Concerto Italiano
Rinaldo Alessandrini 
OPUS111 OPS 30-191
ぼくにとって新しい世界を見せてくれたとても大切な一枚。ぼくが持っているのはフランスOPUS111からリリースされたものだが、HMVでは "Tete A Tete" とクレジットされている。たぶんおなじ演奏。
Link : HMVジャパン
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲全集 / エマール/アーノンクール : 
Beethoven: Piano Concertos No.1-5
Pierre-Laurent Aimard, Piano 
Chamber Orchestra of Europe
Nikolaus Harnoncourt, Conductor
Teldec 0927 47334-2 
Link : HMVジャパン

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2008年1月18日 (金)

ロリン・マゼール in ニューヨーク

MAAZEL-NYP さて、前回はマゼールとニューヨーク・フィルのCDをとりあげながら、DG CONCERTSというビジネスモデルの話ばかりになってしまい、肝心の演奏のほうにはまったく触れなかった。ここではすこしマゼールの話をしよう。

ロリン・マゼールは、じつはクラシックを聴きはじめたころからのファンだ。十代後半くらいのときの話だ。当時はあまり詳しい知識もなく(いまもちょっとマシになったという程度だけど)、演奏のちがいを楽しむというよりは楽曲を知るというほうが先ではありながらも、マゼールの音楽は当時のぼくになにか特別なものを感じさせた。


当時、ぼくはマゼールの演奏からは「土の香りがする」と思った。 “土の香り” とはマゼールをよく知るひとにとっては的外れな表現に聞こえるかもしれないけれど、ぼくはいまでもそれ以上にどう表現したらいいかわからない。重量級のオーケストラが土煙を上げて大地を憤然と進んでいく――そんな印象だ。力強い生命感、人間味、そういう言葉で表現してもいいかもしれない。その印象はいまでもかわらない。もうすこし具体的にいえば、音のダイナミズム、テンポの緩急 (ルパート/アゴーギク) がきめ細かく制御され、やや攻撃的というか、とがり気味の姿勢で音楽が邁進していく。

もうすこしあとになってから、世間ではマゼールにはいわゆるキワモノ的な印象がつきまとっていることを知った。幼少のころから神童と謳われ、8歳のときにかのニューヨーク・フィルハーモニックを指揮してデビューしている。ヴァイオリンの腕前には定評があり、いまでもときどき "弾き振り" をしていると聞く。ヨーロッパ、米国の名だたるオーケストラの音楽監督を務め、1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督に就任、ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートにもたびたび登場、また作曲家としても一定の評価を得ている。そんなマゼールがどうしてキワモノであり得ようか ??

でも遺憾ながら、たしかにそう言われたらその印象は否めないのだ。それはまさに、さっき上でぼくが言った「土の香り」がする所以なのだろうと思う。さらにエキセントリックな言いかたをすると、エスニックとか無国籍とか、そういう表現すら使えそうなこともある。それを好意的に捉えるか、逸脱と捉えるかで見方はかわってくるし、好意的に捉えているぼくも、ではこれが正統派かと訊かれたら、ちょっと応えに詰まってしまう。

Maazel2 Maazel3手許に、最近買ったマゼールのCDが2枚ある。1枚はストラヴィンスキー(左)、もう1枚はラヴェル(右)の管弦楽曲集だ。オーケストラは両方ともウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。どちらもRCAの最近の録音なのに、たまたまセールにあたったということもあるが、1,000円以下だった。

ふたつのことで、すこし落ち着かないものを感じる。ひとつはオケも指揮者もスター級であるのに、どうしてこうも安いのか。ラヴェルのCDにいたっては、その装丁には何のやる気も感じられない。これではスーパーでワゴン売りされていてもおかしくない。商品価値が認められていないのではないか――と思わずにはいられない。

もうひとつは、ラヴェルにしてもストラヴィンスキーにしても、ウィーン・フィルで鳴らしていることへの違和感。わざわざウィーン・フィルを使ってこういう楽曲を録音しなくてもいいだろうに。いったいだれがこういう企画を立てるのか――というのは素人のぼくにはわからないのだが、そこになにかマゼールらしさを感じるのも事実なのだ。

ちなみに、ウィーン・フィルで鳴らすラヴェルとストラヴィンスキーはどうだったかといえば、これがブイブイいわせた強力な演奏で迫力満点。ウィーン・フィルの色彩感や運動能力の使いかたがまちがってるという違和感は最後までぬぐえないけれど、絢爛豪華で濃密、躍動的な演奏はこの組み合わせならでは、と思える。ラヴェルの管弦楽曲集の最後を飾るのはボレロ。ウィーン・フィルのボレロって想像できますか。しかもこのボレロ、一部で有名になっている通り、最後の最後で "倒壊" するかのごとくルパートして、聴き手を唖然とさせたまま終了する。

まあ、こういう演奏を世に出していたのでは、キワモノと言われてもしかたのない側面はある。

クラシックの世界にメインストリームがあるとしたら、マゼールがそのすこし横の位置に立っているというのも事実だろう。でも上で挙げた経歴からもわかるとおり、世界的に見ても決して評価が低いわけではない。とくにウィーン・フィルとの関係は、2005年のニュー・イヤー・コンサートに11回目の登場を果たしたことからも充分に良好な関係のつづいていることが伺われるし、先のラヴェルやストラヴィンスキーの例を見ると、ウィーン・フィルをあたかも使い慣れた自分の楽器であるかのようにやりたいことをやっている。そう考えていくと、不思議なポジションに立つ指揮者だな、と改めて思う。

ぼくはと言えば、そういうマゼールの音楽がやはり好きである。そのマゼールがニューヨーク・フィルを振ってラヴェルとストラヴィンスキーを演奏しているのが、今回のDG CONCERTSでリリースされたCDだ。2006年9月中旬と2007年4月下旬のコンサートの模様が収録されている。

ウィーン・フィルで感じた「微妙にズレた色彩感」のような印象はなく、米国のオーケストラでフランスとロシアの音楽を豊かに、きっちりと描いている。マゼールも年齢を重ねて、すこし大人しくなったのかなと思わせるものもあるけれど、それがニューヨーク・フィルの音色の影響でそう聴こえるだけなのかどうかはわからない。微妙にルパートして――タメて――メリハリをつけ、くっきりと細部を引き立たせる演奏はあいかわらずだ。この癖をきらう人もいるだろうけれど、やはり躍動感のある一流の演奏だと思う。

 

Annotations :
ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会 :
New York Philharmonic
Lorin Maazel, Conductor 
Ravel : Daphnis et Chloe Suite no 2 (《ダフニスとクロエ》第2組曲)
Ravel : Rapsodie espagnole (スペイン狂詩曲)
Stravinsky : Chant du rossignol (交響詩《ナイチンゲールの歌》)
Stravinsky : Firebird Suite (《火の鳥》組曲 1919年版)
DG 00289 477 7175
Link : HMVジャパン

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2008年1月13日 (日)

DG CONCERTS

DG-CONCERTS ドイチェ・グラモフォンが "DG CONCERTS" と題して、世界各国のオーケストラのライブレコーディングの発売を開始している。今回ぼくが購入した、ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会はCDで発売されたものだが、もともとこのシリーズはオンライン販売限定で行われてきたものだ。そのうち、年間1枚くらいのペースで、CD化していくのだという。


§

クラシック業界のパッケージメディアの販売不振はすでに何年もまえから言われている。そんな状況下で、スタジオにオーケストラと指揮者、スタッフを集めてリハーサルし、収録し、何回か取り直して、編集して、パッケージ化して流通に乗せる、という一連の制作作業が相当なコスト負担になるというのは容易に想像できる。

だから、カラヤンやバーンスタインといった "スター指揮者" がいて活力のあった最後の時代――1980年代後半から、すでに録音は "ライブレコーディング" が主流になっていた。日ごろの演奏会の模様を収録してCD化することで、別立てのスタジオセッションに必要な多くのコストを削減できるし、同時にライブ特有の熱気、活力ある演奏を収録することもできる。

ただこの時代のライブレコーディングは、かぎりなくスタジオレコーディングにちかい状況だったと聞く。聴衆には事前にレコーディングの行われることが周知され、静粛への協力が求められる。たしかバーンスタインだったと思うけれど、実際にコンサートの最中であったにもかかわらず、看過しがたい問題があると演奏を止め、やり直しを要求したこともあるという。

そして、そういうやりかたの録音ですら、いまではもうあまり新録音としては発売されなくなってきた。

パッケージメディアとして新録音を発売する、ということがどれだけ敷居の高いことなのか、ぼくには充分にはわかっていない。演奏家へのインタビューなどを読んでいると、インタビュアが「こういう録音を出す予定はないのですか」と訊く。こちらが「おおそれはたしかに魅力的」と思って楽しみにそのつづきの答えを読むと、「残念ながら録音はさせてもらえない」という返答だったりする。

「えー。出したらきっと売れると思うけどな」と心のなかで呟いてみたところでもちろんなんの足しにもならないし、だいたいぼくも本業のほうでは「魅力ある商品」と「売れる商品」はかならずしも一致しないということは重々わかっているつもりだから、そういうものなのだろうなと心のどこかでは納得している部分もある。

§

今回の "DG CONCERTS" は、そのあたりの発想の根底の部分が変わったのだろう。

これは新録音を売っているのではなく、コンサートでの演奏を売っているのである。というと、かぎりなく微妙な差のように思われるかもしれないけれど、商品の企画、対象とするマーケットが変わってくることは想像できる。そこには演目として広告宣伝の目玉になるようなセンセーショナルな特徴はない。魅力的ではあるけれど "ある日あるときのコンサートの記録" にすぎない (複数日の収録から編集はしている)。これはむしろ、以前とりあげたオーケストラによる自主録音にちかい。ちかいというよりはそのものかもしれない。先日紹介したフィラデルフィア管弦楽団やアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のように、自らレーベルを立ち上げ販売を手がけるスキルのあるオーケストラはいいとして、そうではない名門オーケストラに対して、DGが録音と販売を代行する――いささか端的だけれど、そう捉えるのが正しいのかもしれない。

だから、今回のCDでも、タイトルのメインに据えられているのはオーケストラと指揮者の名前であって、演目は――語弊があるかもしれないが――二の次である。ぼくも、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』やストラヴィンスキーの『火の鳥(1919年版)』が聴きたくて買ったというよりは、最近のニューヨーク・フィルハーモニックとマゼールの音楽が聴きたくてこのCDを買ったのだ。その際に、ラヴェルやストラヴィンスキーのように、色彩感豊かな音楽が演じられている、というのは、とても楽しみな要素ではあったけれど。

§

DG-CONCERTS-WEBそして、"DG CONCERTS" の主となる流通の形態はダウンロード販売である。

こうすることで、パッケージを流通に載せるコストが削減できるのだろう。ただし、DGのシリーズではダウンロード販売だからといって、決して手を抜いているようには見えない。ジャケットもブックレットも、かなり立派なものが付属している。一方で消費者としては残念ながら、あまり安くない。DGの直販サイトでは12ユーロ。いまは1ユーロは160円くらいだから、だいたい1900円になる。今回ぼくが買ったのはHMVで販売されていたCD版で、これは1860円だった。うーん。これではダウンロードのメリットはあまり感じられない。

ドイツのクラシック界の老舗レーベルがダウンロード販売を手がけたということで、サービス開始当時は大いに話題になった。音楽は当然パッケージを売るのではなく中身の音楽を売るのであるから、たとえダウンロード形式であろうとCDメディアと中身が変わらないのであれば価格も変えない、というのはひとつの見識だろう。ダウンロード販売で提供されているフォーマットは 320kbps のMP3。不可逆圧縮ではあっても充分にビットレートは高く、高音質と言っていいと思う。不可逆圧縮だから生理的にイヤだ、というのはぼくのようなオーディオ好きの人種くらいだ。

ただ一方で、デジタルデータはハードディスクに入れているというだけでは失いやすく、CDと同額で手に入れられるとしたら、CDのほうがメディアとして魅力的であることは否めない。他のアジアの国ではユーロではなく米ドルで同額で入手できるようだから、そのあたりは是非とも改善してほしい。

§

"DG CONCERTS" シリーズは、ダウンロード販売を前提とすることでコストとリスクを削減すると同時に、バリエーションの豊かさを実現している。ダウンロード販売の価格設定が少々残念だが、オーケストラの自主制作録音と同様に、世界のクラシック演奏の "いま" を手軽に入手できることは大きな魅力だ。たとえば今回買ったニューヨーク・フィルハーモニックは、世界の名門オーケストラのひとつであるにもかかわらず、いまでは新譜ではその演奏はほとんど手に入らなかった。それが昨年、今年の演奏を自宅で高音質で聴けるのである。

CD のブックレットには "DEUTSCHE GRAMMOPHON INVITES YOU TO THE GLOBAL CONCERT HALL" とある。この一文がシリーズの特徴をよくあらわしている。IT化の潮流が文化の豊かさをもたらす――それはずいぶんむかしから言い古されたパラダイムだが、"DG CONCERTS" シリーズのような質の高いサービスの登場は、ぞくぞくするような実感をもってそれを肌で感じさせてくれる瞬間だ。派手さはなくていいから、これからもぜひとも継続してほしいと思う。

 

Annotations :
ドイチェ・グラモフォン : Deutsche Grammophon
世界最大の、といっていいと思うが、ドイツのクラシック専門レーベル。現在はユニバーサル・ミュージックの傘下にある。
Link : Deutsche Grammophon
DG CONCERTS :
このDG CONCERTSのダウンロードシリーズは、リンク先の本国のサイトのほかに、さまざまなところで購入できる。iTunes STORE, Napster, あるいはオーケストラサイトのショップなど。それぞれに値段がちがうので、ちょっと注意が必要。ちなみにiTunes STOREでは1,500円。
Link : DG CONCERTS
ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニック演奏会 :
New York Philharmonic
Lorin Maazel, Conductor 
Ravel : Daphnis et Chloe Suite no 2 (《ダフニスとクロエ》第2組曲)
Ravel : Rapsodie espagnole (スペイン狂詩曲)
Stravinsky : Chant du rossignol (交響詩《ナイチンゲールの歌》)
Stravinsky : Firebird Suite (《火の鳥》組曲 1919年版)
DG 4777175
Link : HMVジャパン
今回は演奏には触れなかったけれど、それはまたこんど。

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