DG CONCERTS
ドイチェ・グラモフォンが "DG CONCERTS" と題して、世界各国のオーケストラのライブレコーディングの発売を開始している。今回ぼくが購入した、ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会はCDで発売されたものだが、もともとこのシリーズはオンライン販売限定で行われてきたものだ。そのうち、年間1枚くらいのペースで、CD化していくのだという。
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クラシック業界のパッケージメディアの販売不振はすでに何年もまえから言われている。そんな状況下で、スタジオにオーケストラと指揮者、スタッフを集めてリハーサルし、収録し、何回か取り直して、編集して、パッケージ化して流通に乗せる、という一連の制作作業が相当なコスト負担になるというのは容易に想像できる。
だから、カラヤンやバーンスタインといった "スター指揮者" がいて活力のあった最後の時代――1980年代後半から、すでに録音は "ライブレコーディング" が主流になっていた。日ごろの演奏会の模様を収録してCD化することで、別立てのスタジオセッションに必要な多くのコストを削減できるし、同時にライブ特有の熱気、活力ある演奏を収録することもできる。
ただこの時代のライブレコーディングは、かぎりなくスタジオレコーディングにちかい状況だったと聞く。聴衆には事前にレコーディングの行われることが周知され、静粛への協力が求められる。たしかバーンスタインだったと思うけれど、実際にコンサートの最中であったにもかかわらず、看過しがたい問題があると演奏を止め、やり直しを要求したこともあるという。
そして、そういうやりかたの録音ですら、いまではもうあまり新録音としては発売されなくなってきた。
パッケージメディアとして新録音を発売する、ということがどれだけ敷居の高いことなのか、ぼくには充分にはわかっていない。演奏家へのインタビューなどを読んでいると、インタビュアが「こういう録音を出す予定はないのですか」と訊く。こちらが「おおそれはたしかに魅力的」と思って楽しみにそのつづきの答えを読むと、「残念ながら録音はさせてもらえない」という返答だったりする。
「えー。出したらきっと売れると思うけどな」と心のなかで呟いてみたところでもちろんなんの足しにもならないし、だいたいぼくも本業のほうでは「魅力ある商品」と「売れる商品」はかならずしも一致しないということは重々わかっているつもりだから、そういうものなのだろうなと心のどこかでは納得している部分もある。
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今回の "DG CONCERTS" は、そのあたりの発想の根底の部分が変わったのだろう。
これは新録音を売っているのではなく、コンサートでの演奏を売っているのである。というと、かぎりなく微妙な差のように思われるかもしれないけれど、商品の企画、対象とするマーケットが変わってくることは想像できる。そこには演目として広告宣伝の目玉になるようなセンセーショナルな特徴はない。魅力的ではあるけれど "ある日あるときのコンサートの記録" にすぎない (複数日の収録から編集はしている)。これはむしろ、以前とりあげたオーケストラによる自主録音にちかい。ちかいというよりはそのものかもしれない。先日紹介したフィラデルフィア管弦楽団やアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のように、自らレーベルを立ち上げ販売を手がけるスキルのあるオーケストラはいいとして、そうではない名門オーケストラに対して、DGが録音と販売を代行する――いささか端的だけれど、そう捉えるのが正しいのかもしれない。
だから、今回のCDでも、タイトルのメインに据えられているのはオーケストラと指揮者の名前であって、演目は――語弊があるかもしれないが――二の次である。ぼくも、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』やストラヴィンスキーの『火の鳥(1919年版)』が聴きたくて買ったというよりは、最近のニューヨーク・フィルハーモニックとマゼールの音楽が聴きたくてこのCDを買ったのだ。その際に、ラヴェルやストラヴィンスキーのように、色彩感豊かな音楽が演じられている、というのは、とても楽しみな要素ではあったけれど。
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そして、"DG CONCERTS" の主となる流通の形態はダウンロード販売である。
こうすることで、パッケージを流通に載せるコストが削減できるのだろう。ただし、DGのシリーズではダウンロード販売だからといって、決して手を抜いているようには見えない。ジャケットもブックレットも、かなり立派なものが付属している。一方で消費者としては残念ながら、あまり安くない。DGの直販サイトでは12ユーロ。いまは1ユーロは160円くらいだから、だいたい1900円になる。今回ぼくが買ったのはHMVで販売されていたCD版で、これは1860円だった。うーん。これではダウンロードのメリットはあまり感じられない。
ドイツのクラシック界の老舗レーベルがダウンロード販売を手がけたということで、サービス開始当時は大いに話題になった。音楽は当然パッケージを売るのではなく中身の音楽を売るのであるから、たとえダウンロード形式であろうとCDメディアと中身が変わらないのであれば価格も変えない、というのはひとつの見識だろう。ダウンロード販売で提供されているフォーマットは 320kbps のMP3。不可逆圧縮ではあっても充分にビットレートは高く、高音質と言っていいと思う。不可逆圧縮だから生理的にイヤだ、というのはぼくのようなオーディオ好きの人種くらいだ。
ただ一方で、デジタルデータはハードディスクに入れているというだけでは失いやすく、CDと同額で手に入れられるとしたら、CDのほうがメディアとして魅力的であることは否めない。他のアジアの国ではユーロではなく米ドルで同額で入手できるようだから、そのあたりは是非とも改善してほしい。
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"DG CONCERTS" シリーズは、ダウンロード販売を前提とすることでコストとリスクを削減すると同時に、バリエーションの豊かさを実現している。ダウンロード販売の価格設定が少々残念だが、オーケストラの自主制作録音と同様に、世界のクラシック演奏の "いま" を手軽に入手できることは大きな魅力だ。たとえば今回買ったニューヨーク・フィルハーモニックは、世界の名門オーケストラのひとつであるにもかかわらず、いまでは新譜ではその演奏はほとんど手に入らなかった。それが昨年、今年の演奏を自宅で高音質で聴けるのである。
CD のブックレットには "DEUTSCHE GRAMMOPHON INVITES YOU TO THE GLOBAL CONCERT HALL" とある。この一文がシリーズの特徴をよくあらわしている。IT化の潮流が文化の豊かさをもたらす――それはずいぶんむかしから言い古されたパラダイムだが、"DG CONCERTS" シリーズのような質の高いサービスの登場は、ぞくぞくするような実感をもってそれを肌で感じさせてくれる瞬間だ。派手さはなくていいから、これからもぜひとも継続してほしいと思う。
世界最大の、といっていいと思うが、ドイツのクラシック専門レーベル。現在はユニバーサル・ミュージックの傘下にある。
Link : Deutsche Grammophon
このDG CONCERTSのダウンロードシリーズは、リンク先の本国のサイトのほかに、さまざまなところで購入できる。iTunes STORE, Napster, あるいはオーケストラサイトのショップなど。それぞれに値段がちがうので、ちょっと注意が必要。ちなみにiTunes STOREでは1,500円。
Link : DG CONCERTS
New York Philharmonic
Lorin Maazel, Conductor
Ravel : Daphnis et Chloe Suite no 2 (《ダフニスとクロエ》第2組曲)
Ravel : Rapsodie espagnole (スペイン狂詩曲)
Stravinsky : Chant du rossignol (交響詩《ナイチンゲールの歌》)
Stravinsky : Firebird Suite (《火の鳥》組曲 1919年版)
DG 4777175
Link : HMVジャパン
今回は演奏には触れなかったけれど、それはまたこんど。
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