ピエール・ブーレーズのマーラー、交響曲全集
ピエール・ブーレーズのマーラー、交響曲全集の録音が完結した。
前回、アンドラーシュ・シフのベートーヴェン、ピアノ・ソナタ全集のことを書いた。そこでは、いまではめずらしくなった個別リリースを敢行するECMレーベルの試みについて触れた。それにくらべると、このDG(Deutsche Grammophon)によるブーレーズのマーラー交響曲全集の気の長さは、その比ではない。最初の録音が交響曲第6番の1995年のことだから、じつに10年以上の歳月を費やしたことになる。
最初の発売当時、ぼくは何枚かはマーラーの交響曲を持ってはいたものの苦手意識が強く、またあまりに忙しくて長時間じっくりと聴く "気持ちの余裕" もなかったので、マーラーのCDの購入優先度は決して高いものではなかった。そこへブーレーズのマーラー・チクルスがはじまると聞き、これを一枚一枚買っていけば、やがては全曲完走ということになるな、と思い、購入をはじめた。そのときには、よもや10年以上かかろうとは思ってもいなかった。それはおそらく、DG側も同様だったのだろうと思う。1990年代の録音までは、ジャケットに落ち着いた色彩感の絵画を据えて統一感を出していたのに、2000年代の交響曲第3番あたりから、ブーレーズの姿を中心に据えるように変わっていった。今回発売された第8番にいたっては顔の全面アップである。これはたぶん、スター指揮者不在となったクラシック業界において、そのときのDG (このころからUniversal Music傘下となった) がブーレーズをそのスター級の位置づけとし、彼を中心としたさまざまな企画盤を出しはじめたこととも深い関係があるのだろう。
その間にもクラウディオ・アバドやサイモン・ラトルらがさまざまな話題盤を出してきた。ラトルは前任のバーミンガム市交響楽団との録音と現任のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との録音をあわせて、17年越しのマーラー交響曲全集を完成させたと報じられたが、こちらははじめから全集を目指したというわけではなく、気がついたらいけそうだ、ということだったのだろうと思う。発売当初もチクルス (企画的な意図をもった連続録音、演奏会) のアナウンスはなかったと記憶している。ラトルのマーラーは、それはそれでぼくも現在も愛聴している。
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ブーレーズのマーラーといっしょに進んで行こうと思った背景はいろいろある。わりとどうでもいい理由としては、ちょうどチクルスのスタート時期と、ぼくがそろそろマーラーに再挑戦しようと思った時期が合っていたことがある。あるいはジャケットの絵画がマーラーの世紀末的世界観と人間味をうまく顕わしているように思え、そうしたデザインポリシーからこの企画の本気度がうかがえたということもある。「ジャケ買い」することが多いので、ジャケットからくる印象での企画の判断は、どうでもいいと言いながらも重要なポイントだ。ちなみに1990年代のリリースを飾ったこれらの絵画は、おなじ作家によるものではなく、複数の作家のものが選ばれているようだ (なぜかカバーアートの著作権者が明示されていないCDが多く、Alberto Magnelli の名前を唯一見つけることができた。かといって、作風からすべてが Magnelli の作品とも思いにくい)。
そしてもちろん、このシリーズとつきあったいちばん重要な理由は、指揮者がブーレーズであったことだ。正直なところ、自分がブーレーズを指揮者としてどう見ているのか、というのは微妙だ。現代音楽の旗手、パリの IRCAM (電子音響研究所) の創設者という印象が強く、吉田秀和の『世界の指揮者』でも("ブレーズ" という表記で) ちゃんと指揮者として取りあげられていたのは読んでいるが、どうも作曲家の余技という印象がぬぐえない。ただ音楽については冷徹で明晰、そしてダイナミズムも合わせ持つというある種の信頼感はあり、それをこのマーラー・チクルスで期待したのだった。逆に、1996年にウィーン・フィルとブルックナーを振った盤は、興味本位で買いはしたものの、やはりちょっとなにかがちがうという印象はつづいている。
巷ではブーレーズのマーラーは賛否いろいろあるようだけれど、ぼくは期待通りのマーラーを聴かせてもらったと思っている。このチクルスの特徴のひとつに、楽曲によってオーケストラがかわるということがある。その面でもいろいろと楽しめる。米国のオーケストラで聴くブーレーズのマーラーは、強力なエンジンの馬力で輝かしく鳴り響くという印象で、ある種の快感の領域に到達していると思うし、ウィーン・フィルを率いてのマーラーは、やはりマーラーの本拠地としての想いと、ウィーン・フィルならではの弾力、温かみのある響きが力量感をもって響くことに、他にかえがたい豊穣な響きを感じることができる。
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そこにあるのは、たとえばバーンスタインの名高い「情念のマーラー」とは全然ちがう世界なのだろう。"だろう"というのは、バーンスタインのマーラーはこれまで何度か購入しようとしたものの、踏み切れずいまに至っているからである。クラシックの音楽は、すくなくともぼくの場合は、何がなんだかわからずぐちゃぐちゃとした印象の状態ではとても聴きとおすことができない。せめて曲の全体の構成くらいはわかってこないと、楽しむというところには至れない。その意味でマーラーを知ろうというときに、ブーレーズはやはり最適の指揮者、道案内だと思う。
とはいっても、最初にその楽曲を聴くときの演奏者は大切だ。はじめて聴く場合には、それが楽曲の特徴なのか、演奏者の特徴なのか、にわかには判断がつかないからだ。たとえばぼくの場合のマーラーでいえば、第5交響曲は話題になったラトルとベルリン・フィルの盤を聴く機会が多く、ブーレーズの盤はたまにしか聴かない。その耳でブーレーズの演奏を改めて聴いてみると、ブーレーズの冷静さが裏目に出て、やや淡々とした印象に聴こえる。ブーレーズで最初に入門していたとしたら、楽曲についての理解がすこしちがっていたかもしれない。これは第5番だけで表出したブーレーズの短所というわけではなく、彼の音楽の明晰さからくる根本的な特質なのだと思う。それを理解した上でそれを楽しめば、デモーニッシュなところのある音楽を聴くのに、こんなに信頼のおける指揮者はいない。

1860年生まれ、1911年没。ウィーンで活躍。19世紀と20世紀の境目に立つ交響楽、声楽の巨人。ここではとても語れない、複雑な面を持つ人だった。
はじめてマーラー体験したいという方には、個人的には交響曲第4番をおすすめしている。末尾参照ください。
Link : HMVジャパンの紹介ページ
1925年生まれ。フランスの作曲家、指揮者。本文中でも紹介したように、若いころにはだいぶとがっていた。最近はドイツの名門レーベルDG(Deutsche Grammophon)の主役的な扱いでつぎつぎと新しい録音を出している。けれど、きっとベートーヴェンとかそういうロマン派の音楽は似合わないので絶対に出さないだろうな。
Mahler/Symphony No. 8 "Symphony of a Thousand"
Staatskapelle Berlin, Orchestra
Pierre Boulez, Conductor
DG 00289 477 6597
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Mahler/Symphony No. 5 in C sharp minor
Berlin Philharmonic Orchestra
Simon Rattle, Conductor
EMI 557 385 2
こちらは、ブーレーズではなく、本文中で紹介したサイモン・ラトルとベルリン・フィルの交響曲第5番。大変に評判が良く、ぼくもよく聴いている。ラトルのベルリン・フィル音楽監督就任披露、というような位置づけだった。
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Mahler/Symphony No. 4 in G major
Cleveland Orchestra
Pierre Boulez, Conductor
DG 463 257
小ぶりでチャーミング。マーラー節も楽しめる。20代のとき、ぼくが最初に日常的に聴くようになったのは、この第4番から。最終楽章は歌曲になっている。
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