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2007年9月 9日 (日)

アシュケナージのラフマニノフ (と、ラフマニノフの音楽について)

Ashkenazy-Rachmaninovということで、ウラディーミル・アシュケナージがコンセルトヘボウを指揮したラフマニノフ、管弦楽曲集が届いた。この話は先日のマリス・ヤンソンスのラフマニノフのつづきになる。

もともと指揮者としてのアシュケナージにはあまり興味がないというか、気持ちはよくわかるものの共感できるようなところがなかったのだが、ヤンソンスのスマートにすぎる演奏を聴いて、かなりの叙情派であろうと思われるアシュケナージの演奏に興味が向いたのだった。


購入したのは、DECCA の3枚組。交響曲全集と交響的舞曲、あと2つの管弦楽曲が収められている。

1982年から1984年の収録だから、最新の録音というわけではないけれど、HMVのサイトでは多くのレビューアが録音のすばらしさを称えている。まず聴いてみて、その評価の意味はすぐにわかった。決していま風の「目の覚めるような」明晰なサウンドというわけではない。オランダのコンセルトヘボウというオーケストラとホールの美しい響きが充分に捉えられており、艶やかでとても気持ちがいい。スモークガラスを通したような落ち着いたすこし暗めのトーンが上品だ。これが往年の DECCA サウンドなのだ、と言い切れるほどの経験はないのだが、なるほど、さすがだと思う。

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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集それで、肝心のアシュケナージの演奏のほうはといえば、これは期待にたがわぬ情感豊かな演奏だ。ああ、アシュケナージらしいなと思わず微笑まずにはいられなかった。ラフマニノフの本来持つ叙情性を最大限に引き出して、濃厚に、ひたむきに、全身の力を込めて演奏する。こういうラフマニノフを求めておられる向きには、ひとつの理想像だろうと思う。かといって、もちろんロマンティック一辺倒というような、単なる表層をなでたような薄い演奏ではない。力強く、推進力があって、聴き応え充分だ。ぼくはこれからもくり返しこの演奏を聴いていくことになるだろうと思う。

でもなあ、と思う。ラフマニノフの音楽を聴くとき、こういう "叙情性を立派に構築する" という方向だけではどこか物足らないように思うのだ。ラフマニノフは近代の作曲家であって、ロマン派の時代のひとではない。すでにロマン派の作曲家が調性と固定的なテンポの世界で多くのことをやりつくし、時代はさらにつぎのステージへと向かおうとしているときだ。ラフマニノフはそうした時代の本流とはやや離れたところに身をおいて、彼が愛し美しいと感じる世界に、当時としてはやや古びた手法で進んでいった。

そのことをどう理解したらいいのだろうか。と、いつも思う。似た時代のロシアの作曲家として、ストラヴィンスキーがいる。ぼくの頭のなかでは、ラフマニノフにくらべてストラヴィンスキーのほうがはるかに大きく場所を占めているし、持っているディスクの枚数も、聴く機会も比較にならないくらい多い。だからといってラフマニノフがあまり好きではないとか、そういうわけではない。ただ、ラフマニノフの音楽が好きというとき、よく言われる旋律や叙情性もさることながら、この時代に敢えてこういう音楽を作ったという彼の意気、趣味性に何となく愛着を感じ、その姿勢が集約された表現としての音楽を好きだと言っているように思う。

ラフマニノフがどういうひとであったのかはよくは知らないが、彼の顔を見ていると、感情の赴くままとか、単純な回顧主義とか、時代の遺物とか、そういうものだけではなく、どこか冷静な視点での割りきりというか確信をもって、こうした音楽を世に問うているように思えてならない。たとえて言えば、本物のおとぎ話ではなく、大人のためのおとぎ話なのだ。

だから、演奏において、大々的に叙情性を持ち上げられても、それだけではすこし物足りないのだ。大人のためのおとぎ話を、大まじめに語られても困るし、かと言って醒めた感情だけでストーリーを追われても困る。情感と冷静さがうまく共存していてほしい。

もちろん、だからこそ、アイロニー的な意味あいも含めて徹底的に叙情的にやるのがいい、という考えかたはある。ぼくもたぶん、ときどきはそうした演奏を聴きたくなるだろう。上にも書いたように、アシュケナージの演奏はこれからも聴く機会はあると思う。でも、これこそがラフマニノフだといわれるようになったら、やがては彼の音楽も聴かれなくなってしまうような気がする。

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彼のひとつまえの世代であるチャイコフスキーであれば、存分に美しく、情感豊かに演奏してくれてかまわない。あれは正面からそういう音楽だと思う。でもそのかわり、ある程度経験を積んだ聴き手は、いまさらそんなに張りつめた気持ちでもってチャイコフスキーの音楽に対峙はしないだろう。ラフマニノフもそういう風に聴かれるようになってしまったら、ぼくとしてはすこし残念な気持ちになる。なぜなら、これはもうすでに述べたように、19世紀末から20世紀初頭という時代に、すでに世界的に名声を勝ち得ていながら、敢えて趣味的・叙情的といわれる音楽を自分の作品として世に遺した、彼の意気が消えてしまうような気がするからだ。

 

 

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