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2007年8月の12件の記事

2007年8月27日 (月)

B&W 802D の近況報告と、部屋の影響

802D0820B&Wの 802D を導入して、2ヵ月半がすぎた。週末専門リスナーとはいえ、スピーカー本体の鳴らしこみもそろそろひと段落と考えるべきかもしれないが、たぶんまだまだ音も変わっていくのだろう。低域はよりスムーズに出るようになり、中高域についても、これまで感じられなかった気配、ニュアンスが聴きとれるようになってきた。あれこれ聴くのが、とても楽しい。

スピーカー自身の変化もさることながら、その環境もなかなか落ち着かない (そう簡単に落ち着いてしまっては楽しみがなくなって困るのだが)。先日からご報告しているとおり、脚部をスパイクに変えたり、ケーブルを変えたりしているが、いちばん落ち着かないのはその設置位置だ。先日も 802D を数cmほどまえに引き出して、さらに内振りの角度を、リスニングポイントから見て正面よりも気持ちだけ外側になるように設置してみた。


それまではすこし内振りを強くして、スピーカー正面からの線がリスニングポイントの手前で交差するようにしていた。これだと (あたりまえだが) センターの定位はよくなる一方、左右の広がり感は乏しくなる。 B&W 802Dは水平方向にわりと素直に音の広がるスピーカーなので、広がりが乏しくなるということもそんなにないはずなのだが、視覚からくる印象の影響なのか、部屋の影響なのか、そのように感じて、こんどは開くようにしてみたのだ。これでしばらく使ってみることにしよう。

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802D を置いている6畳の部屋は、格好よくいえば書斎みたいなものだ。たくさんの本やCDなどを収納するために、大きな書棚をふたつ入れている。写真で見てもわかるように、802D はうしろがすこしその書棚にかぶさるように設置してある。どう見ても音にいいわけはないのだけれど、これは住宅事情の関係から当分解消できそうにない。

そういうせまい部屋には不釣合いに大きなスピーカーを押し込んでいるので、心配していたとおり音が抜け切れず、飽和気味になりがちだ。書棚が音の拡散・吸収の役割を果たし、床面もフローリングではなく絨毯引きになっているので、いわゆる "鳴き竜" 現象でびんびん響くということはないのだが、低域の強いソースを大きめの音量でかけてみると、机などからは振動が感じられる。

とくにいまいちばん怪しいと思っているのは、スピーカーに相対する壁面、つまりぼくの背中側にあるクローゼットの扉だ。これは天井までの高さがある。いかにもたわんで振動しそうだし、大きな音で鳴らしているときにそっと触れてみると、かすかにビリつきを感じる。生活や外観上の限界もあるので、あまりむちゃくちゃなことはできないし、やりすぎて無味乾燥(デッド)になってもこまるのだが、そろそろこのクローゼットの扉についても、なにか対策を考えようと思っている。

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興味のないひとから見れば、なんと細かいというか、苦労症というか、神経質というか、くだらないというか、そういう世界に見えるのだと思うが、それで音が変わることに気がついてしまい、あれこれ対策することに楽しさを見つけてしまったのが運のつき、ということなのだろう。

それにしても、オーディオの調整はプラシーボ(気のせい)との戦いだ。それまでの苦労や投資に対する暗黙の期待感や、視覚的な印象の影響から抜けきれないことはよくある。さらには時間帯や日によっても音がちがう。これは供給されている電源のノイズに差があるとか、気候や湿度、はたまた気分の影響だといわれているものの、本当のところはよくわからない。そういう精神面(?) も含めた無数のパラメータがあるなかで、あまり突きつめてやりつづけているうちに、知らず知らず大改悪になっていた、なんていう話もありがちだ。

ただ、いっぽうで、たとえば機器の足許の整備やケーブルの交換は、ときどき唖然とするほど大きく改善することがあるのもたしかだ。人間の耳は、測定機器よりもはるかに敏感に音の変化を聞きわける。それはむかし、ある仕事をしていたときに痛切に感じた。そしてスピーカーから聞こえてくる音が、部屋の状況をふくめ、多かれ少なかれ周囲や振動の影響を受けているのもまちがいない。なにかを変えれば、音も変わる。むずかしいのは、できるだけ冷静に、なるべくプラシーボを排除しつつ、その変化を聞きわけるということだ。

そのためには、シンプルにとどめつつ、即断せずゆっくりと判断していくのがいいのだろう。最近になって、ようやく、そういう心構えができるようになってきた気がする(笑)。

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2007年8月26日 (日)

マリス・ヤンソンスのラフマニノフ

Jansons なるべく順序だてて書いていきたいと思いつつ、新しいディスクが届くたびになにか書こうという気持ちになるので、結局新着順ということになってしまう。今週は、数セット届いたなかから、マリス・ヤンソンスのラフマニノフ

もう20年くらいラフマニノフの音楽を好きで聴いているわりには持っているCDのラインアップにかたよりがあって、もうすこしまとまって持っておきたいという思いは以前からあった。あちらこちらを探してみたなかで、指揮者、オケ、コストパフォーマンス(大切)、すべての点で満足できそうなのが、マリス・ヤンソンス指揮サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー管弦楽団によるセット6枚組だった。交響曲全集、ピアノ協奏曲全集 (ミハイル・ルディ(p))、管弦楽曲集がひとつにまとめられたバジェットセット。これだけの内容で3000円強というのだから、うれしくなってしまう。


シベリウス:フィンランディアと言いつつ、じつはヤンソンスのことはあまり好きではない。どうもあの悪人顔を見ただけで信用できないように思えてしまう。もちろんそれは偏見というものであって、ヤンソンスはいまを代表する指揮者のひとりである。バイエルン放送交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団というふたつの名門オケの常任をつとめる一方、2006年にはウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを指揮した。まさに大活躍というにふさわしい。以前すこし触れた、ロイヤル・コンセルトヘボウの自主制作盤もヤンソンスが振っている。ただ指揮者を知るという意味ではいまひとつピンとこなかったこともあり、今回はその興味もあった。

サンクト・ペテルブルグ・フィルは、ソヴィエト連邦時代はレニングラード・フィルと呼ばれていた。ソ連崩壊により、レーニンの名を冠した街レニングラードがサンクト・ペテルブルグに改められた(もどされた)ことにより、あわせてオーケストラの名称も変更された。19世紀設立のロシアの名門のひとつである。

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さっそく、聴きなじんでいる交響曲第3番と交響的舞曲を聴いた。これが、じつにスマートであっさりだった。うーん。ラフマニノフを聴くとき、その叙情的といわれる旋律をあまり濃厚にやられても困るが、ここまであっさりとされても、逆にもの足りない。録音のせいもあるのかもしれない。しかし、これではヤンソンスの顔からくる印象そのままである。

いうまでもなく、演奏はきっちりとして、上手である。ある意味では教科書的なのかもしれない。だれかがメカニックと評した言葉を聞いた記憶もある。でも、いまの時代――というのは、作曲されてから長い年月を経た時代という意味だが――にクラシック音楽を聴くとき、エッシェンバッハのときにも書いたように、やはり何らかその演奏者の個性、息遣い、感情、研究の成果、そういったものを期待する。それがこの演奏からはなかなか掴みづらい。ひょっとしたら、その禁欲的な響きには、サンクト・ペテルブルグ・フィルの前身であるレニングラード・フィルに長らく君臨した、ムラヴィンスキーの影響が残っているのかもしれない。

聴きながら、もうすこし裾野を広げてラフマニノフを聴くことも必要だな、と思った。いま手持ちのディスクで言えば、たとえばシャルル・デュトワが指揮したフィラデルフィア管弦楽団の演奏がある。これは、デュトワもフィラデルフィア管も、双方の個性が相乗して色彩感豊かな演奏になっている(2008年からのシーズンが楽しみ!)。ある意味では、ヤンソンスの今回の演奏と対極なのかもしれない。もっと対極にいるのは、スヴェトラーノフの演奏なのだろうという気がしているが、こちらはなぜか腰が引けていまのところ買う気になれない (そのうち買うとは思う)。

それで結局、注文したのは、ウラディーミル・アシュケナージがロイヤル・コンセルトヘボウを指揮したDECCAの交響曲の全集と管弦楽曲集のセットだった。ピアノならともかく、アシュケナージが指揮をしたディスクを買う日がくるなんて....。これもエッシェンバッハのときに書いたように、指揮者としてのアシュケナージにはほとんど興味がない。でもやっぱり、なにかあたらしい発見があるかもしれない、と淡い期待を抱いてしまうのだ。

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マリス・ヤンソンスのラフマニノフ、演奏についてあまりいいようには書かなかったが、ぼくと同様に、ラフマニノフの音楽をすべて知っているわけではない面々には、価格面でもこのセットは入門用としておすすめだ。叙情性の演出という意味では物足りないかもしれないけれど、明晰なラフマニノフであり、その音楽を知るという意味ではむしろ格好のものとも言える。

さらに、このセットには、よく知られているわりにはふだんあまり買わないような楽曲が多く収められているのも魅力的だ。上でとりあげた交響的舞曲もそうだし、名曲『ヴォカリーズ』も意外と手に入らない。『パガニーニの主題による狂詩曲』の第18変奏はだれもが知っている有名な楽曲だけれど、全曲を聴きとおす機会はどれだけあるだろう。3000円強の価格でこれだけの音楽がすべて手にはいるのだから、なにも文句はない。

 

Annotations :
Rachmaninov, Concerto No. 2 in C Minor, Op. 18セルゲイ・ラフマニノフ : Sergey Rachmaninov (Rachmaninoff)
1873年ロシアに生まれ、その後1918年にアメリカに移住した。1943年没。ピアノの名手としても名高い。近代という時代にもかかわらず彼の音楽は調性が明確で、ロシアならではと言いたくなるような叙情的で美しい楽曲が多い。
Link : HMVジャパンの紹介ページ
マリス・ヤンソンスのラフマニノフ :
Rachmaninov Orchestral Works
- Complete Symphonies
- Complete Piano Concertos
- The Isle of the Dead
- Vocalise
- Symphonic Dances
- Rhapsody on a Theme of Paganini
- Tchaikovsky Piano Concerto No.1
Mariss Jansons, Conductor
Mikhail Rudy, Piano
St. Petersburg Philharmonic Orchestra
EMI 5 75510 2
Link : HMVジャパン
チャイコフスキー:交響曲第4番エフゲニー・ムラヴィンスキー : Evgeny Mravinsky
本文中でも紹介したように、長らくレニングラード・フィルを率いた世界的な名指揮者。1988年没。厳格で禁欲的、純粋に音楽に生涯をささげた人、といわれる。ビデオ (DVD)でリハーサルの風景を見ると、まさに痩身の鉄人という印象だが、リハーサルにはいるまえにふと浮かべた穏やかな表情が、その本来のまじめで暖かい人柄を想像させる。
ウラディーミル・アシュケナージのラフマニノフ :
Rachmaninov The Symphonies
Vladimir Ashkenazy, Conductor
Royal Concertgebouw Orchestra
DECCA 455 798 2
文脈の関係から指揮者としてのアシュケナージの紹介をすることになったのだが、アシュケナージのラフマニノフといえば、ピアニストとしてのアシュケナージを紹介するのが本来。
Link : HMVジャパン

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2007年8月25日 (土)

ショップへのリンクについて

HMVジャパン CD/DVD/Game/グッズ/書籍等最近、このブログにショップへのリンクを張るようになった。日ごろからお世話になっているHMVジャパンamazon.co.jp、それからお酒の河内屋(楽天)。いわゆるアフィリエイトの類のものだが、このブログではもともとマイナーな話題のものしかあつかっていないので、収入云々ということはまったく考えていない。やるのであればそれなりに形をつけたかったのと、見ていただいた方々に何らかのお役に立てれば、というくらいの発想でのことだ。ご利用いただければ幸いだ。


ショップへのリンクに際しては、もうひとつ、ブログでの画像をはじめ各種情報の掲載をする場合に、商品紹介という形にさせていただくことで著作権的な課題をクリアしたいという考えもあった。

著作権をどう捉えるかというのは、職業柄いろいろと気をつけているつもりだが、解釈が画一的にはならないため一概に語るのは簡単ではない。たとえばよく話題になるCDジャケットの画像は、ぼくの場合は自分の持っているCDそのものをデジカメで撮影して掲載している。これで、この画像(写真)の著作権はぼくのものだと主張できるが、映っているジャケットそのものの意匠には当然、それを制作した人、組織の権利がある。でもぼくは写真撮影に関する一般的な著作権の理解の範疇と思って、"ぼくの写真"として掲載している。

HMVジャパンの場合は、商品紹介の一環でのジャケット画像へのリンクは、残念ながら許可してくれていない。でもamazon.co.jpは許可してくれている。これは正直ありがたい。ぼくのブログの一部で使用しているジャケット画像は、amazon.co.jpへのリンク、商品紹介という形でやらせていただいている。

音楽商品へのリンクについて

このブログで話題にする音楽は、クラシックや先日のマイク・オールドフィールドのように、一部の方にはおなじみだけど、世間一般的に決してメジャーというわけではないものが多い。こういうものも含めた音楽全般において、HMVジャパンの提供する情報と品揃えはすばらしく、ぼくはおおいに敬意を持っているし、同時にたのしんで利用させてもらっている。仕事が終わって家族も寝静まった夜、好きな音楽とウィスキーを味わいながら、だらだらとHMVのサイトを徘徊してたのしむ、というのはIT技術がもたらした最高の贅沢だ、と本気で思う。

amazon.co.jpも日ごろからなにかと利用させてもらっている。ショップとしてのサービス、あるいはWebサービスプロバイダとしての完成度はamazon.co.jpのほうが高いという側面も多いのだが、ことマイナーな音楽については、やはりHMVとくらべるとどうしても供給量で見劣りがしてしまう。それで、商品のリンクについては、以下のような考え方でやらせてもらっている。

  • 原則として音楽については、HMVジャパンへのリンク
  • ジャケット等の画像でのリンク、あるいはHMVジャパンにない商品の場合は、amazon.co.jpへのリンク

形態によってリンク先がちがってしまうので、すこし混乱が生じてしまうかもしれないけれど、ご容赦いただきたい。

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2007年8月19日 (日)

マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield) / Amarok、Tubular Bells

TB2003-Amarok まえに「ことの発端はプログレにある」と書いた。そのプログレ (プログレッシヴ・ロック) の世界で、いまでも日常的に聴いているのは、このマイク・オールドフィールドの音楽だけになってしまっている。理由はいろいろあるけれど、ほかのアーティストが軒なみ事実上の絶滅をしているのに対して、彼がいろいろ形は変えながらも本質的なところは維持したまま、定期的に新しいアルバムをリリースしてくれているというのも大きな要素だろう。だいたい1,2年に一回、新作リリースのニュースが届いて、とてもたのしみな気持ちにさせてくれる。


プログレというジャンルのくくり方そのものが、すでに懐古趣味的意味合いを含んでいるし、ややポップというかトラディショナルな風合いのあるマイクの音楽を、プログレという文脈で紹介することにはすこし異論もあるかもしれない。

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あまりにも長いつきあいなのでどこから話をすればいいのかわからないが、彼を紹介するときにいちばん「ああ、あれ!」と賛同を得やすいのは、やっぱり映画『エクソシスト』のテーマとして使われた、『Tubular Bells』冒頭のアルペジオの部分だろう。

1973年、19歳のマイクは、テープレコーダで多重録音を2000回以上もくり返し、登場する26種類の楽器をすべて自分で演奏して、この『Tubular Bells』を完成させた。いまでいう "おたく" の極みである。

マイクに機材、スタジオを提供したのは、当時ヴァージン・レコードというレコード販売会社を営んでいたリチャード・ブランソン。ブランソンはこの『Tubular Bells』を第1作目として、ヴァージン・レーベルを設立し、レコード制作業をスタートさせる。

Oldfield_TB はじめはあまり売れなかったらしい。ところが映画『エクソシスト』のテーマとして採用されたことから事態が一変する。800万枚を売り上げる結果となり、ヴァージン・レーベルとマイクは一躍表舞台に立つこととなった。このときマイクはまだ弱冠20歳である。

マイクとブランソンの蜜月は永遠のものではなかった。1991年の『Heaven's Open』を最後にヴァージンを離れ、WEAに移籍する。1991年までとどまったのは、契約の関係上、制作するアルバムの数が決まっていたためで、本人はもっと早くにヴァージンから離れたかったらしく、その2作前の『Earth Moving』(1989)あたりからようすがおかしくなっている(笑)。というのは、どうもやる気が感じられないとか、あとで紹介する『Amarok』(1990)のように偏執的とか、ようするに「いやいや作ってます」感がつよく感じられる。

WEAへの移籍後、処女作『Tubular Bells』の続編とも言うべき『Tubular Bells II』(1992)を発表。その後もあれこれ寄り道をしつつ、いつやめてしまうのかとひやひやさせながらも、1~3年ごとに新作を発表しつづけている。

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マイクの音楽を紹介するのに、なにか特徴的・代表的なものをと考えて、冒頭の写真にも掲載した『Amarok』(1990)と『Tubular Bells 2003』(2003)を選んでみた。

Amarok2 『Amarok』はさきにも紹介した通り、ブランソンとの確執まっさかりの時期に制作されたアルバム。Amarokという言葉は造語のようだが、語源は "I am a rock" からきているとも聞くものの、マイクが面倒くさがって適当に弁解しただけという話もあり、どれだけ意味があるのかはわからない。

このCDのなかには1曲しか入っておらず、その1曲は60分である。

そう――まだ言ってなかったと思うが、マイクの楽曲には、とても長いものが多い。処女作『Tubular Bells』も Part 1、Part 2の2曲構成であり、それぞれが30分前後ある。Partに分かれているのも、当時のLPレコードの制約(A面、B面というのがあった)からきていると想像できる。現在のCDのようにその制約がなければ、1曲構成だったかもしれない。そうした長大な楽曲が、親しみやすいメロディとともに退屈させることなくさまざまに展開し、よく言われるように「おもちゃ箱」をひっくり返したようなたのしさがある。

ただ1曲とか2曲とは言っても、『Tubular Bells』は内部のトラックはわかれていて、それぞれ小さな表題がついている。その表題は意味不明のことが多いものの、すこしは全体像を把握する手がかりにはなる。ところが『Amarok』はトラックも1つだけ、ほんとうに1曲の構成なのだ。なにかおかしいんじゃないか――そう思わざるを得ないが、そのあたりに当時のヴァージン・レコードとの確執が浮き出ているようにも感じられる。マイク自身もあるインタビューでそれを認めるような発言をしている。

さて、その『Amarok』、冒頭から鋭利なギターのリフがつづく。牧歌的と評されることの多い彼の楽曲において、尖り具合という点では、この『Amarok』が筆頭だろう。その尖り具合がやたらと格好いい。これを書いているのは猛暑のつづく夏本番の時期なのだが、『Amarok』にはなぜか夏がよく似合う。

MOSign鋭利に尖っているとは言っても、60分間ぎらぎらとしているわけではない。そこはマイク・オールドフィールドの音楽。さまざまに展開し、ホッとさせる瞬間もあり、能天気になる瞬間もあり、で、とにかく格好よく、たのしい1時間がつづく。終盤には、年季の入った女性の怪しい声のナレーション (サッチャー元首相の物まねらしい)が "Hello, everyone..."と入ってきて、大団円的終局を迎える。野を越え山を越え長い旅をしてきたなあと思わずしみじみする。

聴きとおすにはたしかに若干の根気がいるかもしれないが、ぼくはこの『Amarok』はマイクのいちばんの傑作だと思う。それは、ブランソンとの確執まっさかりという時期に制作されたものではあり、そのときのマイクの精神状態が、楽曲でのストレス発散という鋭利な形であらわれたのが、良い結果を残したのだろうと勝手に思っている。

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TB2003B ほんとうは『Amarok』の紹介だけで充分だという気もするのだが、はじめてマイク・オールドフィールドをとり上げておいて、いきなり『Amarok』だけというのも敷居が高そうな話なので、もうひとつ、『Tubular Bells 2003』にも触れておこう。これは題名からもわかるとおり、処女作『Tubular Bells』(1973)のリメイク版となる。

Tubular Bellsシリーズは、処女作以降『Tubular Bells II』(1992)、『Tubular Bells III』(1998)、番外編的な『Millennium Bell』(1999)があるが、これらがオリジナルの変奏曲、派生的な作品であるのに対して、『Tubular Bells 2003』はほぼ完全なオリジナルのリメイク作品である。このリメイク盤が出ると聞いたとき、正直いまさら感というのがあって、よほどネタに困ったのかとも思ったりもした。実際にリリースされたものを聴いてみると、これが非常によかった。細かい差異はあれども、ほぼオリジナルに忠実で、当然最新録音だけに音も明晰だ。オリジナルの『Tubular Bells』には、当時19歳、20歳だったマイクが経済的・技術的な限界を受けつつも、熱い思いで完成させたアルバムであり、その思いが音に現れて魅力のひとつになっているという話もあるが、聴きやすさという点ではやはり『Tubular Bells 2003』に軍配があがる。ヒストリカルな興味ではなく、純粋に音楽を楽しみたいというのであれば、この2003年盤のほうをおすすめする。

TB2003 WEAから最初にリリースされた盤は、CCCD(Copy Control CD)だった。ぼくの持っているのもCCCD盤だ。機器を故障にいたらせるとか、いろいろと悪い話もあったし、iPodをはじめとするポータブル・オーディオの隆盛で、コピーできないCDなんていまさら買う意味がない的な批判も多数あったせいか、いまリリースされている盤はCCCDではなくなったと聞く。

わざわざ忠実にリメイク盤まで作っただけあって、いちばん彼の本質が現れているのが『Tubular Bells(2003)』だろう。牧歌的でだれにでも受け入れられやすいメロディに満ち、『Amarok』のような鋭利さはない。ときには激しくギターをかきならし、雄叫びをあげるところもあるが、それですら全体にただよう田園風景のような印象からは外れておらず、暖かさが感じられる。

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ほかにも、たとえば『Ommadawn』(1975)とか『Five Miles Out』(1981)、『Crises』(1983)、『Discovery』(1984)、『Songs Of Distant Earth』(1994)など、ぼくがとくに気に入っていて、紹介したいアルバムはたくさんある。これらについては、またいずれ書いていければと思っている。

 

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2007年8月17日 (金)

ピリオド奏法とテンポとベーレンライター版

op.  93, Schluß d. 1. Satzesこれまで音楽について書いたときに、なにげなく "ベーレンライター版" とか、 "ピリオド奏法" とか "躍動系" といった表現を使ってきたけれど、自分の勉強のためにも、すこしまとめておいたほうがいいような気がしてきた。まとめるとは言ってもぼくは完全に門外漢だから、あくまでも素人の理解の範疇で、ということだが....。


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ピリオド奏法とは――ステレオタイプな言いかたになってすこし恥ずかしいが――ようするに、いまクラシックの音楽界で "流行っている" 演奏スタイルということなのだろう。聴いた感覚では、やや乾いた音で颯爽として軽快、快速のテンポで躍動的に音楽を進めていく。

背景となる技術としては、ビブラートをあまりかけないとか、オーケストラは比較的小編成とか、いろいろとあるようだ。これらは「作曲された当時はこういう演奏方法だったんだよ」という考えかたが出発点になっている。つまり作曲当時の奏法に則って、現代の楽器で演奏する方法を "ピリオド奏法" と呼んでいるようである。"ピリオド" はいうまでもなくあの Period である。

ピリオド奏法になったからといって、なにもむやみにスピードもあがらなくてもいいんじゃないかとも思うが、その奏法から、おのずとテンポは速くなるものらしい。ゆったりとした重厚長大型の演奏ではなく、颯爽と軽薄短小型の演奏をする。"軽薄短小" というと言葉がネガティヴな印象だが、聴いていてきびきびとして気持ちがいい。

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さて、こうしたピリオド奏法の流行とはまたべつに、"ベーレンライター版"という言葉が出てくる。ベーレンライターというのは、ドイツの楽譜の出版社の名前である。 "ベーレンライター版" とは、この会社が出版した楽譜という意味で使っている。

最近、ジョナサン・デル・マーという――「気鋭の」とだれもが言う――音楽学者があらたにベートーヴェンの交響曲全集を校訂した。これは最新の研究成果にもとづく原典版と呼ぶべき楽譜であり、それまで150年の長きにわたり使われていた旧全集の楽譜とくらべて、よりベートーヴェンが意図した通りの内容になっていると言われている。

ÜA op.  68ベーレンライターは1990年代後半からこのデル・マーの楽譜の出版を開始した。これがベートーヴェンの記述でよく話題にする "ベーレンライター版" だ (もちろんベーレンライターはベートーヴェンだけでなく、ほかの作曲家の楽譜も出版している。念のため)。デル・マーの校訂した楽譜なので、ひとによってはデル・マー版と言ったりもする。ただ個人的には、正確に言うのなら、デル・マー自身が作成したオリジナルの楽譜はデル・マー版、それを出版物にした楽譜がベーレンライター版、と区別して呼ぶようにしたほうがいいような気はするが (それはソフトウェア技術屋の構造化設計的発想なのかもしれない)。

そんなわけで、ベートーヴェンの世界において、ベーレンライター版とピリオド奏法とは直接は関係がないとも言える。ベーレンライター版のまえには、19世紀なかばに編纂されたブライトコップ社の楽譜があったのだが、このブライトコップ版を使ってピリオド奏法をしたっていいし、その逆もあってもいいと思う。
ただ、作曲された当時の奏法に則ることを目的とするピリオド奏法と、作曲家本来の意図に沿うことを目的とするベーレンライター版のこころざしはおなじゴールを向いており、おのずとピリオド奏法をとりいれる指揮者はベーレンライター版を使い、ベーレンライター版を使う指揮者はその精神に則りピリオド奏法をとりいれる、ということが多くなってくるのだろう。

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ぼくのような素人から見ると、そもそも作曲したひとはひとりなのに、どうして第三者によってちがう楽譜が出版されるのか、不思議に思える。これはたとえば、ブルックナーのように自分でなかなか最終版を決めきれずにいろんな版を残してしまった場合もある。ひとりの作曲家がおなじ楽曲に対して複数種類の楽譜を残しているのだ。だったら最後のやつを演奏すればいい、ということになるのだが、作曲家としては、いちばん最後のがいちばん満足というわけでは決してないようなので――そのあたりはソフトウェアを書いたり文章を書いたりする経験からわからなくはない――作曲家の心情の解釈のしかたによっていろいろと変わってくる。

Skizzen SV  94さらに、たとえばベートーヴェンならベートーヴェンで、彼がほんとうに自分で書いたという、いわゆる「自筆譜」というものを見てみると、ことの大変さがわかる。かなり汚く書きなぐられている。ここに挙げている例となる画像は比較的読みやすいと思うが、事故で滲んでしまっている部分もある。ぐしゃぐしゃと消されている部分もある。消されている範囲はどこまでか? あとになって訂正箇所だけを指示している場合もある。こうした楽譜から読みとった解釈が、細かいところでは一致しないというのは充分理解できる。

また自筆譜がすべてというわけでもない。自筆譜は最初に作曲家が書き上げたものであり、そのときにはまだいちども演奏されていない。最初に演奏されたときに、作曲家はいろいろと修正をすることが多く、その修正を反映させた版こそが作曲家の本来の意図だとする考え方もあるようである。

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ピリオド奏法が好きかきらいか、というのは、演奏者にしても聴衆にしても、そのひとそれぞれだろう。ぼくはといえば、単純にどちらも好きだ。たとえば、クラウディオ・アバドは1980年代にウィーン・フィル(VPO)と、2000年にベルリン・フィル(BPO)とそれぞれベートーヴェン交響曲全集を録音している。

1980年代の録音は、いわゆる "むかしながらの" 正統派の演奏である。雄大で深遠、そういった言葉が似あう。発売された当時はジャケットにクリムトの絵画をあしらっていて、パッケージ全体に漂う静謐な感じにあこがれたものだ (当時はぼくには簡単には買えなかった)。

いっぽう、2000年の録音はベーレンライター版を使い、ピリオド奏法を導入している。当時、アバドの全集ということで嬉々として購入したものの、そのころのぼくにはこうした奏法の背景知識もなかったし、演奏そのものもまだ耳慣れておらず、軽くてせわしない部分ばかりが耳についた。当時の批評もさんざんだった記憶がある。結局、何度か聴いたあと、ちょっとがっかりしてそのままお蔵入りにしてしまった。ある日あらためてとり出してみて、躍動感がなかなかいいじゃないかと再発見したのは、2、3年前のことだったと思う。

いまではそれぞれのスタイルということで、どちらも聴く。どちらかというと、ピリオド奏法系のほうが機会は多いような気もするけれど、さきにあげたアバド/VPO版はじめ、バーンスタイン/VPO版、最近ではヴァント/NDRの80年代版といった、重厚長大の正統派の演奏もとても気に入っている。ヴァントの80年代版については、以前ブラームスについてすこし文章を書いたが、近いうちにベートーヴェンのほうもとりあげることができれば、と思っている。

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ピリオド奏法は、聴きようによっては殺伐とした印象にも聴こえる。そのあっさり感、乾いた感じがいいんだということなのだが、すこし末期症状的に聴こえなくもない。冒頭に書いたように、流行の部分もあるだろうから、またこれから奏法も変化していくのだろうとは思いつつも、なぜか、ふと――なにかが――心配になってくることがある。その心配の根源は、分別くさいことを言うようだが、いまの世相とも関係しているのかもしれない。

  • 記事中の画像は、Beethoven-Haus Bonnで公開されているDIGITAL ARCHIVESから引用した、ベートーヴェンの自筆譜とスケッチです。

 

Annotations :
アバド/VPOのベートーヴェン/交響曲第3番「英雄」(80年代盤) :
Symphony No.3 in E flat major, Op. 55 "Eroica"
Claudio Abbado, Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
DG 419597
Link : HMVジャパン
残念ながら全集が見つからない。ここでは交響曲第3番を挙げておいた。なんとクリムトのジャケットがいまだに健在。うれしい。
アバド/BPOのベートーヴェン/交響曲全集(2000年/ベーレンライター版) :
Claudio Abbado, Conductor
Berlin Philharmonic Orchestra
DG UCCG1003
Link : HMVジャパン
国内盤。通常なら安い輸入盤を紹介するのだが、国内盤のほうが安かった。
バーンスタイン/VPOのベートーヴェン/交響曲全集(70年代版) :
Leonard Bernstein, Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
DG 474924
Link : HMVジャパン
驚くほど安くなって再登場。リマスタも行われて音質改善しているらしい。欲しい! が、すでに事実上2セット分買ってしまっているので、さらにもう1セット分というのは正直きつい...。
ヴァント/NDRのベートーヴェン/交響曲全集(80年代版) :
Günter Wand, Conductor
North German Radio Symphony Orchestra
RCA 74321891092
Link : HMVジャパン
思い出深いセット。またいつかちゃんと書こう。いまのところこの全集がいちばんお勧めかも。
ラトル/VPOのベートーヴェン/交響曲全集(2002年/ベーレンライター版) :
Simon Rattle, Conductor
Vienna Philharmonic Orchestra
EMI TOCE13521
Link : HMVジャパン
これも国内盤。安くなった。ウィーンフィルにピリオド奏法をさせた、として話題になった。(それだけで話題になったわけではないが)

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2007年8月15日 (水)

プレトニョフのベートーヴェン

Pletnov以前からずっと、なにかというとベートーヴェンに関係したことを書いている気がするけれど、もちろんぼくはベートーヴェンばかりを聴いているわけではない。それでもなぜか、最近の新譜についてなにかを書こうと思ったら、気にとまるのはベートーヴェンばかりで、今回もまたベートーヴェンである。


アンドラーシュ・シフについて書いたときにすこし触れた、ミハイル・プレトニョフのベートーヴェンである。今回はふたつ。自身がピアノを弾き、指揮はべつのひと(クリスティアン・ガンシュ)にまかせたピアノ協奏曲。全集がすでに録音されていると聴くが、第5番は2008年の発売、第1番と第3番はすでに発売ずみ、今回新譜で出たのは第2番と第4番である。そしてもうひとつ、この第2番と第4番と同時に、プレトニョフ自身が指揮して、おなじくベートーヴェンの交響曲全集が発売された――と、さらっと言ってはみたものの、一回の発売単位としてはかなり異様である。以前なら交響曲にせよピアノ協奏曲にせよ、メジャーレーベル(今回はDG) から出すとなったら、それなりに鳴り物入りで出してくるものだったと思うが、今回は同時発売で、しかも交響曲のほうは全集である。こんなにさらっと出てきていいのだろうか。価格も本国でも "specially priced" と銘打たれているようだし...。

オーケストラはいずれも、プレトニョフの手兵というべきロシア・ナショナル管弦楽団。プレトニョフの私設オーケストラと言われているが、すくなくともプレトニョフのためにプロデュースされていることはたしかなのだろう。最近のロシアのオーケストラビジネスは、一部の報道のされ方からどうも胡散臭い感じが漂ってしまうが実力はまちがいないようだ。

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おなじピアニスト出身の指揮者として、前回とりあげたエッシェンバッハとくらべて、その対極にいるのがこのプレトニョフだろう。ピアノを弾いても、オーケストラの指揮をしても、プレトニョフが演奏しているのはまちがいなく彼の音楽であり、ぼくらはベートーヴェンを聴くというよりは、そのプレトニョフの音楽はどうだろう、という興味でこれらのCDを買う。純粋にベートーヴェンの音楽をはじめて買って聴いてみよう、というひとには、おそらくプレトニョフは勧めない。

正直なところ、いまの段階ではプレトニョフの音楽に対する印象は、言葉はわるいが "きわもの" に近い。プレトニョフの場合は、たぶん本人も自分が正統派のベートーヴェンを演奏しているというよりは、ベートーヴェン+プレトニョフを演奏していると自覚しているのではないかと思う。そのへんが、ベーレンライター版に端を発する現在版音楽ルネサンス的躍動系とはちがうところだ。

Pletnov22007年3月に発売されたピアノ協奏曲第1番&第3番のCDは、ぼくには衝撃的だった。衝撃的なんだろうな、とわかってて聴きはじめたのに、やっぱり驚いてしまった。ベートーヴェンをいまの時代に、いまの音楽としてやるなら、こうだという彼の思いはすくなくとも伝わってきた。

奇をてらっているのか――すこしそう思ったが、説得力があった。第3番の最終楽章では、いままで聴いたことのない音楽が耳に飛びこんできて、驚いてほかの演奏のその部分をことごとく聴きなおしたりもした――ポリーニ、ブレンデル、内田、エマール――そうして、じつのところ、プレトニョフの演奏が、いちばんほんとうなのだろうなと感じた。すべてがすべて賛成するわけではないけれど、好感を持った。

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今回、一挙にピアノ協奏曲第2番&第4番、交響曲全集が発売されて、それが届いてからというもの、1曲1曲を聴きすすめていくのが楽しみでしかたがない。まず聴いたのは、いつも基準のように使っている交響曲第3番。最初のアタックから指揮者の個性が出る(彼の場合、出すぎだ)。つづいて緩徐楽章、スケルツォ、フィナーレと聴きどころが多い。この演奏は、全体に静と動のメリハリが強く、思いがけないときに息つぎがあらわれる。その呼吸感は、めずらしさもあってか、生理的に心地よい。

つぎに聴いたのは、カルロス・クライバー以降、指揮者の試金石のようになった交響曲第4番。第1楽章の序奏の暗さ・重たさと主部の軽快感・疾走感の対比は、悪趣味寸前の徹底ぶりである。裏をかいてこのまま鈍重にいくのかなと思ったので、疾走しはじめたときには、思わず笑ってしまった。

プレトニョフは、今後はピアノは録音せず、指揮業に専念すると宣言している。その記事を読んだ当時はそれはそれでよいと思ったものだが、こうしてベートーヴェンについて交響曲を聴き、ピアノ協奏曲を聴き進めていくと、やはり "プレトニョフの音楽" は彼がピアノを弾いたときに顕著だとあらためて思う。いまさらながら、もうピアノはやらないというあの発言を残念に思った。とはいえ、もうしばらくすると、平然とピアノを弾き出すのではないかとうすうす期待しているのだが。

 

Annotations :
プレトニョフのベートーヴェン/ピアノ協奏曲1&3 :
Mikhail Pletnev, Piano
Christian Gansch, Conductor
Russian National Orchestra
DG 00289 477 6415
(Deutsche Grammophon(DG)のCD番号の体系が変わったみたい)
Link : HMVジャパン
プレトニョフのベートーヴェン/ピアノ協奏曲2&4 :
Mikhail Pletnev, Piano
Christian Gansch, Conductor
Russian National Orchestra
DG 00289 477 6416
Link : HMVジャパン
プレトニョフのベートーヴェン/交響曲全集 :
Mikhail Pletnev, Conductor
Russian National Orchestra
DG 00289 477 6409
Link : HMVジャパン
DG : Deutsche Grammophon
伝統のあるドイツのレーベル。いまはユニバーサル・ミュージックの傘下。
ベートーヴェン:交響曲第7番
カルロス・クライバー : Carlos Kleiber
存命中から伝説の存在。なかなか仕事をしなくて世界中を残念がらせたあげく、2004年に亡くなってしまった。一生歳をとらないと思っていた。バイエルン国立歌劇場管弦楽団と大阪に来てくれた際に、一度だけ実演に接することができた。父親は大指揮者エーリヒ・クライバー。

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2007年8月14日 (火)

バルヴェニー(BALVENIE) ダブルウッド

Balvenie 前回紹介したボウモアとならんで、このバルヴェニー(BALVENIE)もサントリー取り扱いのブランド (ボウモアは資本もサントリー傘下)。これはシングルモルトのなかのスペイサイドモルトだ。

以前、10年もののボトルを購入したことがある。正直なところ、とくに強い印象を残したというわけではなかった。スペイサイド特有のさらっとした爽やかな飲み口で、あっというまに空けてしまってもう残っておらず、ひさしぶりのバルヴェニーだ。


今回、12年のダブルウッドを買ったのは、いつものお店でいつものお酒を買うときに、たまたま目にとめて、ある人のことを思い出したからだ。「ある人」とは言っても、有名人でもなんでもない。丸の内に勤めた時代に、着任直後で右も左もわからず硬くなっていたぼくに、わかりやすく「怪しいこと」を吹き込んでくれ、それから3年間、年齢的にははるかに若造のぼくに、なにかと構ってくれた大先輩である。いまでもぼくが東京に出張した際には、ぼくの顔を見つけると30分の "バーめぐり" に連れていってくれる(連れていかれる)。そこでウィスキーを数杯飲んで、あれやこれやと情報交換をして、最終の飛行機で、あわただしく関西に帰ることになる。関西から "東京もうで" をされている同胞の諸氏はよくご存知のとおり、大阪空港に着く飛行機は、大阪側の発着時間制限のため、羽田を発つ最終便が意外と早いのだ。

その人はずっと、響やオールドパーのスーペリア、バランタインの30年といった、ブレンデッドウィスキー(の最高峰)を好まれていた。どれもよくごちそうになった。そのなかから「どれがいい」と訊かれるのだが、どれにしても最高の贅沢なので、ふだんあまりブレンデッドを飲まないぼくとしても、選ぶのに嬉々として迷ったものだ。

それが、ある日から突然、その人は、シングルモルトであるバルヴェニーのダブルウッドに切り替わっていた。バルヴェニーというと、上で書いたように10年を飲んだ経験から、さして強い印象も持っていなかったぼくにはすこし意外な気もしたが、完全なる調和のとれたブレンデッドウィスキーの世界から、いささか粗野であったとしても "素材の味" を堪能できるシングルモルトに回帰するのはわかるような気がしたし、その落ち着く先としてバルヴェニーというのは、そのバランスのとれた味わいを思うと、なるほどと思った。

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そのときはそう納得したのだが、いざこうして12年 "ダブルウッド" を手に入れて、落ち着いて味わってみると10年とはだいぶ印象がちがう。

ダブルウッドはその名のとおり、二種類の樽で熟成させたウィスキーであり、最初はバーボン樽で、そのあとシェリー樽で熟成される。バーボン樽のやわらかくも深い味わいと、シェリー樽の華やかな味わいが、独特の、深いコクを感じさせる複雑な世界を作っている。この深みが、10年の持つ "明るいさわやかさ" とは決定的にちがっている。

10年と同様の親しみやすさを保ちつつも、12年の "ダブルウッド" は気高さ――高貴な気配も感じさせる。ダブルウッドというと、どこか奇をてらったようなキワモノ感がさきに立ってしまうのだが、これはウィスキーの名作のひとつだと思う。

 

Annotations :
バルヴェニー ダブルウッド : BALVENIE DOUBLEWOOD
Link : 楽天 河内屋でバルヴェニー ダブルウッドを見る
スペイサイド : SPEYSIDE
広くはイギリス、ハイランドの一部。スペイ川河畔の地域。蒸溜所がたくさんあって、とくにハイランドと区別して呼ばれる。
Google Maps : バルヴェニーのある Dufftown の場所を見る
ブレンデッドウィスキー :
一般的なウィスキー。大麦由来のモルトと、穀物(トウモロコシ)由来のグレーンをブレンドさせて作られる。本文中でも触れたように、シングルモルトは素材の味を楽しみ、ブレンデッドは料理の味を楽しむ、というような理解でいいと思う。
本文中で触れた代表的なブレンデッドウィスキーには以下のようなものがある。ただしいずれもかなり高級品デス。
Link : 楽天 河内屋でオールドパー スーペリアを見る
Link : 楽天 河内屋でバランタイン30年を見る
Link : 楽天 河内屋でサントリー響を見る

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アンドラーシュ・シフ 2つのセット

Schiff-MS これは新譜というわけではないけれど、先日からアンドラーシュ・シフについて書いたり考えたりする機会が増えたので、もうすこし聴いてみたくなり、ふたつのセットを購入した。

ひとつはシューベルトのピアノ・ソナタ全集。写真の左側のボックスセットで7枚組。シューベルトという観点では内田光子のセットと迷ったけれど、そもそもシフのシューベルトを持っておきたいのだから、とこれにした。どこかに書いたように、以前は学生時代にNHK-FMで放送されたライブを録音したものをよく聴いていた。メディアはテープ。いつしかテープデッキがなくなり、それとともに聴けなくなっていた。


ひさしぶりに再会した内容は、期待にたがわぬできばえ。すこし残響が多く、その結果なんだか「ロマンティック・コンサート」みたいな響きに聞こえるきらいもあるけれど、シフのピアノは充分に堪能できる。やや重たく濁りぎみに聴こえがちのシューベルトのピアノ曲が、軽快・明晰でありながらもしみじみと歌うように聴こえてくる。聴いた瞬間に「ああシューベルトはやっぱりこう聴きたいな」とため息が出た。

もうひとつはモーツァルトのピアノ協奏曲全集。右側のセット。9枚組。シフのモーツァルトは10年くらいまえにピアノ・ソナタ全集を買って、これも一時期よく愛聴していた。いまでも月に何回かは休日の朝にかけたりする。ピアノ・ソナタはギーゼキング的な質素簡潔の世界で、この弾き方のモーツァルトには、おのずとシフのピアノはよく似合う。ピアノ協奏曲集のほうも同一路線かと思っていたら、指揮のシャンドール・ヴェーグとザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカの伴奏が躍動的ですばらしく、それにあわせたのかどうか、シフのピアノもいつもよりもさらに溌剌として聴こえる。シフのピアノにはもともと愉悦感があると言われているが、ヴェーグの伴奏とあわせてそれがよく出ており、とても楽しく、気持ちがいい。

 

Annotations :
シューベルト / ピアノソナタ全集 :
Schubert / The Piano Sonatas
András Schiff, Piano
DECCA 448 390-2
残念ながらすでに入手できないようです. だからというわけではないですが、次点として本文中でも触れた内田光子盤をご紹介。
シューベルト / ピアノソナタ集 :
Mitsuko Uchida, Piano
PHILIPS 475 628-2
Link : HMVジャパン
モーツァルト / ピアノ協奏曲全集 :
Mozart / Piano Concertos
András Schiff, Piano
Sándor Végh, Conductor
Salzburg Mozarteum Camerata Academica
DECCA 448 140-2
Link : HMVジャパン

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2007年8月13日 (月)

もういちど、エッシェンバッハ

最近、自分の持っているものを忘れてしまうことが多くなった (としのせいなのか、やっぱり...)。それは本とかCDの場合に顕著であり、ほんとうに困っているのだが、先日のボウモアのときのように、このあいだ、もうひとつ自分が持っていて驚いたものがあった。

家族が帰省した金曜日の夜、あいにく飲みにいく相手も見つからなかったので、すこし早めに――だいたい22時ごろ――家に帰り着き、ビールとアテのような夕食をとって、それからぼんやりとテレビを見た。おもしろい番組は見つからなかったが、静かな家のなかでぼーっと過ごすのがそれなりに幸せだった。わりと上機嫌のまま、こんどはDNLAのプレーヤーでサーバにためてある録画をあさってみた。たいした期待もしていなかったところに、ふとエッシェンバッハ/フィラデルフィア管の来日公演のタイトルが目に飛びこんできた。


つい先日、このカップリングについて書いたばかりだ。そのときには「好きではない」とか言っておきながら、NHK-BSで放映されたときには、しっかり録画していたようなのだ――でも、記憶がない。うちの女房はこういう番組を録画するほどマメではない。子供たちはそもそも録画する方法を知らない。とすれば当然ぼくが録ったのだ。でもまったく覚えがない。先日エッシェンバッハについて書き、その数日後にこのビデオを偶然に発見する――ぼくの心の深いどこかに、なにかが刻まれているのだろうか、なんて考えてみたりする(考えないけど)。

そういうわけで、せっかく見つけたのだから、このクリストフ・エッシェンバッハとフィラデルフィア管弦楽団の来日公演を観てみた。そして、前回あっさり流しすぎたということもあって、もうすこしエッシェンバッハについて書いておいたほうがいいな、と思った。

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2005年サントリーホールでの来日公演の収録で、1曲目がいまをときめくピアニスト、ラン・ランとのベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番、2曲目はマーラー/交響曲第5番。贅沢なプログラムだ。

いろいろなことがわかった。コンサートの最後には、いままで見たことのない、めずらしいできごとがあった。それについては最後で触れよう。

エッシェンバッハの指揮姿は、思っていたよりも流麗で、広がりを感じさせるものだった。おなじピアニスト出身の指揮者、アシュケナージのそれとはだいぶちがう。ピアニストが指揮者になると、それまで自分の身体と鍵盤、ペダルだけで音楽をコントロールしていたのが、おなじ身体でたくさんの人の音楽をコントロールするようになる。アシュケナージを見ていると、そのコントロールのキャパシティのちがいのなかで、どうもいっぱいいっぱいのところで音楽をやっているように見えて、なにか落ち着かないものを感じる。あるいは、ピアノを弾くというのは耽溺的な作業なのだと思うが、指揮をしていても、そうした耽溺的で唯我的、すこし内向きの世界での音楽をやっているように見える。

エッシェンバッハの指揮は、やはり唯我的というのが感じられなくもないが、いっぱいいっぱい感は感じられず、充分に音楽の広がりを見せていて、安心して観ていられる。派手さはない。ある意味、職人世界――プロフェッショナリズムに徹しているとも言える。前回、ぼくはエッシェンバッハの音楽におもしろみが感じられないと書いたが、その印象は変わらない。変わらないけれども、このビデオを観て、そのニュアンスはだいぶ肯定的になったことは事実だ。立派な指揮者である。

シューマン:交響曲全集指揮者には、ある意味カリスマ性やショーマンシップが求められる側面もある。カリスマ性はオーケストラと聴衆を導くため、ショーマンシップは聴いてもらうためである。それは決してカラヤンやバーンスタインの時代にはじまったわけではなく、当時の記録を読んでみると、ずっとまえからそうだった。これはもちろん、指揮台の上でパフォーマンスをするとかそういうことではなくて、クラシック音楽の宿命――「その音楽のことはみんな知っている。で、あなたはなにを聴かせてくれるの?」という無言の聴衆の問いに応えていく必要から生まれる必然なのだろうと思う。

エッシェンバッハの指揮、音楽はショーマンシップとはまったくちがう世界だ。だいたいにおいて眼光の厳しい眼差しを持っていて――それは彼の生い立ちにも関係があるのかもしれない――服装も黒一色でまるで聖職者のようだ。多少出だしのかぶり、テンポ遊びはあるにしても、ストイックな外見の印象そのままに、着実堅実な音楽を響かせる。

§

マーラーの交響曲第5番は、先日ぼくが聴いたベートーヴェンとはちがって、やはり米国のオーケストラの輝かしい響きがよく出る。前回は「フィラデルフィアサウンドはどこへ行った」みたいなことを書いた。今回観たビデオでは、音質的にはあまり工夫はしていないので充分にはわからなかったけれど、会場ではこのフィラデルフィアサウンドがさぞ魅力的に映っただろうと思う。

聴衆は、ラン・ランとの協奏曲も、後半のマーラーも、大喝采で迎えていた。最後のマーラーが終わったあと、ブラヴォーがつづくなかで、不思議なことが起こった――めずらしいというより、こういうのは見たことがない――ひとしきりオーケストラを称えたあと、エッシェンバッハはいちども聴衆に顔を向けることなく、そのまま片手をあげて舞台裏に去ってしまったのである。もちろん、TV画面で見ていたことだから、なんらかのカットかアングルのちがいで映っていなかっただけ、ということは考えられる。おどろいて何度か見直してみたが、そのうしろ手に片手をあげて立ち去る姿は、まるで主役はあくまでオーケストラであり、自分はその進行役、黒子にすぎない、とでも言いたいようである。あるいは著しく気位が高いのか...。どちらかというのはわからないが、どちらにしても、そのストイックさはエッシェンバッハという指揮者を理解するうえで、ひとつの大切な材料になるかもしれない。

 

Annotations :
フィラデルフィア管弦楽団 : The Philadelphia Orchestra
公式サイト: http://www.philorch.org/
クリストフ・エッシェンバッハ : Christoph Eschenbach
公式サイト: http://www.christoph-eschenbach.com/
ウラディーミル・アシュケナージ : Vladimir Ashkenazy
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ラン・ラン : Lang Lang
日本で、ある一定以上の年齢のひとにとってラン・ランとはパンダのことであり、最初はたいへんな名前のひとが出てきたなと思った。明るくまじめで、不可能なことなどなにもないと思わせるカリスマ性がある。

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2007年8月12日 (日)

CHORD の DAC64 Mk2

DAC64以前ほどではなくなったにせよ、いまでもあちらこちらで話題になる英国 CHORD Electronics の DAC64。 これは "D/Aコンバータ" という機械で、単に "DAC" と表記する場合も多い。CDトランスポートやPCなどから出力されたデジタルデータを、通常のアンプなどに入力できるアナログ信号に変換する役割を果たす。


2004年になってすぐのころ、たまたま機会があって入手することかできた。この DAC64 (正確には DAC64 Mk2) を購入して、ぼくははじめてハイエンドオーディオの世界をかいま見たような気がした。さらに、これがきっかけとなって、機器構成も大きく変わっていった。具体的には、CDプレーヤー (当時はTEACのVRDS機を使っていた) を手放し、PCとRMEのオー ディオカード組み合わせてプレーヤーにするようになった。ほんとうに気はたしかか?――と当時自分でも思ったが、DAC64を通すことで、たとえノイズの温床といわれるPCであっても、専用のCDプレーヤーと比べても遜色ない、あるいは凌駕する環境が得られる、と確信したのだった。

§

"ハイエンドオーディオ" という言葉は、いまはほんとうに手の届かないような ハイエンドの世界にしか使えなくなってきた。ぼくが使っている機器は、たぶん世間では "ミドルレンジ" と呼ばれている。とても正気の世界とも思えないが、それはそれとして、だから簡単には"ハイエンド" という言葉は使えなくなってきた。それでも、このDAC64には、"ハイエンド" の世界に触れた、と思った。

DAC64LEDここでいうハイエンドというのは、価格的にはその名のとおりまあ高くてもいいのだが、ただ高いというだけではなくて、ある人なり会社なりが、信念と情熱と、さらにある種の趣味性をもって作りあげた、ほかとの比較が意味を持たないような独自の製品、というような意味なのだと思っている。DAC64で鳴らす音楽からは、さりげなく、でもしっかりとそういった個性が感じられた――音の力感、躍動感、密度、それから "気品"と歯の浮くような表現をしたくなるような艶やかさ。あるいは色気。

DAC64 の外観は、見てのとおり特徴的だ。持ってみるとずっしりと重い。アルミブロックからの削り出しによるケースには、まるく窓があいていて、青いLEDに照らされた基板を見ることができる。べつに自慢するような回路基板ということでもないのだろうが、Xilinx の DSP がならんでいるのを見ていると、いかにも「仕事ができる」機械に見えてくる。

オーディオ機器の本来の仕事である "音" と、そして装置・機械としての造形。このふたつの要素が組み合わさって、DAC64を魅力的なものにしている。

§

考えてみれば、いまぼくの持っているオーディオ機器のなかでは、このDAC64 Mk2 がいちばんの古株になってしまった。ついこのあいだまでは、スピーカーのALR/Jordan Note 7が君臨していたのだけれど、これも先日報告したとおり、B&Wの802Dに変わった。

でもじつのところ、DAC64には完全に満足しているわけではない。いまは予定はないが、過去、何度かべつの機械に買い換えようと計画したことがある。それはおもに、DAC64の使い勝手に不満があってのことだ。

たとえば、デジタル入力は3種類あるにもかかわらず、それを切り替えるには背面の小さなトグルスイッチを切り替えなくてはならない。背面には、無骨さの演出のためか、いっさいの説明が印刷されておらず、たまに切り替えようにもどれがどれだったか、いつもわからなくなる。

DAC64U12まあ、それは些細といえば些細な問題だ。愛と記憶力があれば乗り越えられる。ほんとうにまいったのは、ときどきロックがはずれてしまうという現象だった。 "ロックがはずれる" というのは、外部から送られてくるデジタルデータに対して、ノイズなどが原因で一時的にタイミングや信号の種類がわからなくなってしまう現象のことだ。

ロックがはずれて音が途切れるだけであればまだしも、困ったことに、DAC64 自身がロックがはずれていることに気がつかず、ゴミとなったデータをそのまま再生してしまう。デジタルのゴミデータは大変だ。これがアナログであればプチとかプツ、あるいはザーというノイズですむのだろうが、デジタルのゴミは情け容赦がない。どう形容すれば伝わるだろう――突如数秒間、大音響で連続性のないパルス音となって鳴り響くのである。これにはほんとうにまいった。怖くて大きな音量で音楽が聴けなくなってしまった。

 

いまはふたつの対策をして、この問題は回避できている。ふたつ、というのは、まずロックがはずれたときに、あの大音響デジタルノイズを出さないようにすること、もうひとつはロックをはずすようなノイズ混入を防ぐこと、である。

ケーブルを変えたりいろいろと試行錯誤をしてもいっこうに改善せず、思いきって輸入代理店であるタイムロードに相談した。このタイムロードの対応がよかった。この問題の背景をいろいろと説明をしてくれ、何回ものメールのやりとりにもきちんと応じてくれた。説明はいくぶん言い訳感が否めないでもなかったけれど、これだけ丁寧に応対してもらえると、ユーザとしてはそれだけで満足感が得られようというものだ。

結局、DAC64をタイムロードに返送してファームウェアの更新をしてもらった。その際に思いがけないアクシデントがあった――この話には関係ないので割愛する――このときにもタイムロードの対応は申し分なかった。

帰ってきたDAC64 Mk2からは、いちどもあの破壊的デジタルノイズは聞いていない。すでに何年かが経過したいまも、なんだか100%信用する気にはなれないけれど、ノイズは出ていない。

BNC3 自己流ながらノイズ混入を防ぐ対策も行い、意図しない状況でロックがはずれるということもなくなった。これは、まずシールドのしっかりしたデジタルケーブルを使うこと。それから――これが大切なのだが――2つあるBNC端子のうちひとつだけを使用している場合、空いているほうのBNC端子をしっかりとシールドすることである。シールドするのは簡単だ。数百円のBNC-RCA変換プラグがあればいい。最初に試作したのは、右の図のようなもの。RCA側にアルミホイルを巻いて、その上からRCAジャック用のコネクタカバーをかぶせて固定するだけ。見た目以外は何の問題もない。

これだけでノイズ混入は激減する。逆にここが空いていると、部屋の静電気などが原因でノイズが入り込み、DAC64はDual 信号とかんちがいをして、ロックをはずしてしまう。

ただし、ソース機器のサンプリングレートを切り替えるなど、なにか明示的な操作をしてロックがはずれた場合のポップアップノイズはいまでも出る。つい先日、機会があったので、新しいファームウェアでこれを解消できないかとタイムロードに聞いてみたところ、それはやっぱり無理、とのことだった。 そもそもアンプまで含めてボリュームも絞らず通電した状態でサンプリングレートを切り替えるなんて、それは無謀ですと逆に窘められてしまった。まあ、当然といえば当然なのだろう。

§

DAC64U22 とても扱いにくそうなDAC64だが、それはそれで愛着心を沸かせてくれるというのも事実である。"ハイエンド"機器なんて、そういうものだと思えばいい。いま使っているGOLDMUNDのパワーアンプにいたっては、取説といっしょに、アンプの発振に関する注意事項の書かれた紙が入っている。RCAケーブルの接続、シールドの方式によっては発振するというものだ。ふつう、コンシューマ向けのオーディオ製品にそんな注意が必要などということは、とても考えられない。強いモチベーションをもってこの機器をあつかうひとにしか通じないエクスキューズであり、それはたとえば友人が一時期乗っていた、イタリアの "ハイエンド" の自動車にも通じる世界観だ。DAC64の特質も、そうした例のひとつであって、タイムロードの表現を借りれば「より良い性能を出すに必要な制約でありシビアさである」と理解して、それも楽しみのうちのひとつと考えるのが健全だろう、と思っている。

DAC64とPCのあいだには、いまはTEAC/ESOTERICのG-25Uを接続している。数ヶ月前に導入したものの、その効果は期待したほどではなかった。2chではG-25Uによる176.4kHz デュアル接続が最高と言うひともいるようだが、両機器間でのデュアル接続は互換性上の問題が発生しやすく、初期ロックにしくじるケースも多い(ロックに成功したあとは快調である)。一時期それで使っていたけれど、使い勝手という面では最悪であり、いまはCARDASのLightning 15を介してシングル接続で使用している。

電源ケーブル交換による変化は、ぼくのところではほとんど見られなかった。これはDAC64がスイッチング電源を使用しているためなのかもしれない。そもそも電源系の世界はよくわからないことが多いが。

 

Annotations :
CHORD Electronics
公式サイト: http://www.chordelectronics.co.uk/

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2007年8月 5日 (日)

ボウモア(BOWMORE) 新ボトル

Bowmore7ボウモアのボトルが新しくなった。

ここしばらくボウモアはSURFやLEGEND、DAWNといったペットネームを付加した商品展開になっていて、正直なところ選ぶのが面倒くさいというか、よくわからない状態になっていたのだが、ここにきて、またシンプルに熟成年数だけの表示になったので、買ってみた。

新しいボトルは、すこし肩が張って、すっきりスリムに見えるデザイン。悪くない。最近マッカランもスリムで背の高いボトルに変わったようだし、これからこういう形が流行っていくのかもしれない。


一時期、アイラモルトの代表格としてボウモアをよく飲んでいたのだが、上に書いたような事情もあって、ここしばらくはラフロイグやアードベッグを飲むことが多かった。今回、ひさしぶりのボウモアだなと思っていたら、さっき物置部屋から古いデザインのボウモアが1本、新品で出てきた(右下の写真)。いつ買ったのか、まったく記憶にないな...。さてどっちから飲むべきだろう?

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BowmoreOldボウモアが好きか嫌いかという以前に、そもそもウィスキーが好きか嫌いか、アイラモルトが好きか嫌いかというところで話が決まってしまいがちだが、ボウモアはその名称の無骨さからくる印象に反して、比較的マイルドだと思う。そう説得されたひとがためしに口許にグラスをあてると、まずはピート臭とヨード臭(これらはちがうらしいが簡単には区別がつかない)が襲い、ほぼ全員が自動的に正露丸を連想して顔をしかめる。本当は正露丸とはちがうにおいなのだが...。

アイラモルトというのは、英国アイラ島に蒸溜所があって、そこで作られるシングルモルトウィスキーを総称してそう呼ぶ。つづりが Islay なので、一部では "アイレイ" と表記している人もいるが、カタカナでは "アイラ" と書くのが正しいようだ。ほかに、アイラ島には上でも挙げたラフロイグ、アードベッグ、ラガヴーリン、カリラなどの蒸溜所がある。おなじ島モノでは、ほかにスカイ島やアラン島などのモルトもあり、これらを総称してアイランズモルトとも呼ぶが、長くなるのでその話はまたこんど。

アイラモルトの名刺代わりのともいえるこの強烈なピート臭・ヨード臭は、この島で採取されるピート(泥炭)に多くの海草由来のヨウ素が含まれていることから生まれると聞いた。以前、仕事のあいまにあわただしく北海道余市のニッカの蒸溜所を訪問した際には、蒸溜所全体にほんのりとこの独特のピート臭が漂っていた。余市蒸溜所ではピートをどこで採取しているのか、説明があったように思うがもう忘れてしまった。道内だったが海岸沿いではなかったような気がする。ニッカのモルトウィスキーもすこし無骨な香りがしてとてもおいしいし、それについて書き出したらまたきりがないけれど、すくなくともアイラ島のウィスキーほど強烈ではない。それはピート臭が強くてもヨード臭はそれほどでもない、ということなのかもしれない。

ピートは、発芽した大麦――麦芽(モルト)を乾燥させるときの燃料として使われる。ピートの煙で燻されて、モルトにあの強烈な香りが染みこむのだ。

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アイラモルトについては、最後まであのピート臭・ヨード臭がだめなひともいるようだが、慣れてくるとあまり気にならなくなる――というか、すくなくとも強烈とは感じなくなり、愛すべき香りにかわる。「そんなにまでして慣れたくないよ」というひとももちろんいるし、ぼくも無理には勧めない。でもこの香り、この味わいを楽しめるようになったら、それは一生ものの楽しみになる。と思う。だから、いろんなお酒の味、香りがわかってきたら、最初は興味半分、格好半分でもいいから、何回か試してみたらいい。その入門用としては、いきなりラフロイグやアードベックはちょっときついから、やっぱりボウモアがやわらかくてお勧めだ。

でも、はじめてウィスキー、はじめてシングルモルト、ということなら、やっぱりアイラモルトではなくて、スペイサイドのモルトからスタートしたほうがいいような気はする。スペイサイドモルトの話は、またいつかべつの機会に。

 

Annotations :
ボウモア : BOWMORE
Link : 楽天 河内屋でボウモア12年を見る
アードベッグ : ARDBEG
Link : 楽天 河内屋でアードベッグ10年を見る
ラフロイグ : LAPHROAIG
Link : 楽天 河内屋でラフロイグ10年を見る
マッカラン : MACALLAN (これはスペイサイドモルト)
Link : 楽天 河内屋でマッカラン12年を見る
アイラ島 : Islay Island
Google Maps : ボウモア蒸溜所
スペイサイド : SPEYSIDE
広くはイギリス、ハイランドの一部。スペイ川河畔の地域。蒸溜所がたくさんあって、とくにハイランドと区別して呼ばれる。アイランズモルトとはまたちがったすばらしいウィスキーがたくさんある。ぼくも大好き。
Google Maps : スペイサイドはだいたいこのへん(グレンリベット蒸溜所)
シングルモルト : Single Malt
一種類のモルトだけで構成されたウィスキー。ピュアモルトは複数種類のモルトで構成。シングルカスクはひとつの樽だけの、いわゆる原酒。

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2007年8月 4日 (土)

フィラデルフィア管とFLACとエッシェンバッハ

Phila3-1 雑誌『レコード芸術』の最新号(2007年8月号)で、オーケストラの自主制作盤が特集されている。

ぼくは門外漢だが、クラシック業界だけでなく音楽業界全体で商業としてのアルバムの売れ行きが落ち込むいっぽう、デジタル技術の一般化やロングテールに対応できる流通の整備などが、こうした自主制作盤の発展に寄与しているのだろう、と思った。いずれにしても、聴き手としてはこうして選択肢が増えるのはありがたいことだ。


この『レコード芸術』の自主制作盤特集のなかに見覚えのあるジャケットのデザインを発見したのでCDの棚をあさってみると、自分では意識していなかったのだが、ぼくも1枚すでに自主制作盤を持っていた。オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)――どうしても以前の "アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団" の名前のほうがなじみがある――の制作で、マリス・ヤンソンス指揮のシベリウスだった。たしかHMVで買ったものだ。

RCO 購入当時、ジャケットを見た女房が「なんでルアー なの?」と怪訝な顔をした。ぼくもメジャーレーベルにしてはなにかへんだなと思ったのだが、いまにして思えば、いったいどこのメジャーレーベルと勘ちがいをしたのか、自分でもよくわからない。

ひと昔まえまでは、こうしたマイナーレーベルは海外通販にメールやFAXを送って、2ヶ月か3ヶ月待って、というのがあたりまえだったような気がするから、そうした印象からすると、音楽業界の不況というのはじつは逆で、ますます活況を呈しているのではないか、などと思ってしまう。それは、決して商業的な意味での活況ではないのだと思うが、コンシューマとしては確実に商品に選択肢が増え、しかもそれは決して軽薄短小といわれるような質のものではない。とても "豊か" になった。

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さて、その『レコード芸術』の特集で、米国フィラデルフィア管弦楽団の自主制作盤が紹介されている。フィラデルフィア管といえば、ぼくがサヴァリッシュやデュトワを気に入っている関係から折に触れ聴いてきたオーケストラであり、あらためて言うまでもなく米国の名門オーケストラのひとつだ。どうでもいいことかもしれないが、ディズニーの1940年の『ファンタジア』の音楽は、ストコフスキーの指揮でこのフィラデルフィア管が担当している (さらにどうでもいいが『ファンタジア2000』のほうはレヴァイン指揮のシカゴ交響楽団だった)。

フィラデルフィア管は、自主制作盤をダウンロード方式でも販売している。それだけであれば "いまどきの話" ということで終わるのだが、ダウンロードできるフォーマットについて、MP3だけでなくFLACも用意されているという。これには驚いた。

FLACはMP3やWMA、AACほど市民権を得ていない。Windows Media Player や iTunes などメジャーのメディアプレーヤーの多くは標準では対応していない。いっぽうで、MP3のような非可逆圧縮方式とはちがい、FLACは可逆圧縮方式である。可逆圧縮方式は音質が劣化しない。これはダウンロード販売でありながらまったくCDと同等のクオリティで手に入れられるということだ。これはすばらしい。

さっそくいそいそとホームページに行ってみると、指揮者別に検索できるようになっている。サヴァリッシュやデュトワのものをさがしてみたが、残念ながらこれはと思えるようにものが見あたらない。デュトワは2008年9月からこのオーケストラの首席指揮者に就くと聞くから、それはそれでこれからが楽しみだ。

目についたのは、現音楽監督クリストフ・エッシェンバッハによるベートーヴェンの交響曲だった。

エッシェンバッハ....。

マウスを持つ手がとまった。エッシェンバッハのことは、正直あまり好きではない。むかしむかしの美男子系ピアニストのころからそうだったけれど、まじめで端正な音楽を聴かせてくれるものの、どうも面白みがない。彼がチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団を振っていた時代に、NHK-FMで放送されたブルックナーの交響曲第8番のライブ録音によって、ぼくをブルックナーに開眼させてくれたという(大きな)恩義はあるのだが、これとて「なにかとても遠いところで延々とくり返されるフレーズに無限の広がりを感じた」という、良かったのか悪かったのか微妙な印象の話である。

でも、考えてみれば最近のエッシェンバッハの演奏はまったく聴いていない。興味がなかったのだから当然だ。いっぽうで世間での評判はいいらしい。いま聴けば、またべつのエッシェンバッハに出会えるのかもしれない。CDは買う気にはなれないが、ダウンロード販売で1曲だけ単品で試してみる、ということなら悪くはない。ひさしぶりに聴くのだから、こちらが慣れ親しんだベートーヴェンが妥当だろう――そんなことを考えて、購入してみることにした。選んだのは動静両面が充実していていろいろとわかりやすい交響曲第3番「英雄」。

Phila4-2FLAC版の交響曲1曲(全楽章)は約6ドル。MP3だとさらに1ドル安く、いちおう価格面で差別化してある。名門オーケストラの最新録音が、なんら制約のないフルセットで、家にいながらにしてたった6ドルで手に入れられる。本当に素敵な時代になったものだ。

楽曲は楽章ごとに別ファイルになっていて、その構成は冒頭のホームページのコピー画像の通りである。光ファイバのおかげで、数分とかからずダウンロードは終わり、いつものようにfoobar2000で再生してみた。本当にいつもと変わらない。

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音質は、目の覚めるような、というわけではないが、まずまず高品質だ。ややオンマイク気味でホールトーンは少なめ。かつてフィラデルフィア・サウンドと言われていた印象とはすこしちがう。明るく豊か、というよりは、渋めで引き締まっている。とはいえ、音質面としては充分満足できるものだ。

それで、話題のエッシェンバッハの演奏はといえば、やっぱり印象は変わらなかった。質実剛健。これにちかい表現は以前にショルティのときにも使ったような気がするが、ショルティがわりと前へ前へと突き進むのに対して、エッシェンバッハのそれは決して急いでいるようには見えない。最近、ベーレンライター版の出版とピリオド奏法の台頭の余波で、それでなくても "前倒し気味" の活力系の演奏が多いなかで、エッシェンバッハはきちんと一定のペースで着実に音楽を進めていく。かといってひと時代まえの雄大な演奏というわけでもなく、上で書いたように引き締まっている。これは録音によるものだけでなく、エッシェンバッハがオーケストラからそうした響きを導き出そうとしているからなのかもしれない。そのあたりは、ピリオド奏法の影響なのか、あるいはエッシェンバッハ自身の特質によるものなのかは、よくわからない。どうもエッシェンバッハの顔を見ていると、後者のような気がしてくるが。

最後に驚いたのは、曲が終わってから入る拍手と歓声だった。フィラデルフィアの観客は大盛りあがりだ。その場に居合わせたわけでもなく、しがないオーディオ装置を介して演奏を聴くぼくには、会場の雰囲気まではとらえられず、どうしてそこまで盛り上がるのか、いまひとつピンとこなかった。こういうとき、やっぱり映像があったらなあと思う。あるいは米国の観客というのは、いつもこうして盛り上がるものなのかもしれない。そんな気もしてきた。

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いずれにしても、6ドルでこれだけ楽しめるのだから、ほんとうにすばらしいことだ。いわゆるIT企業に勤めていながらいまさらこういうことを言うのもどうかと思うが、海外からCDクオリティで気軽に音楽を手に入れられるインフラと、特別なものではなく単なる手段となったデジタル技術には、あらためて「すごいなあ」と感心させられる。

アナログ信号をデジタル化する際には、どうしても "失われる情報" がある。その議論があることは知っている。でもやっぱりぼくは、こうしてデジタル技術の恩恵にどっぷりと漬かりながら過ごす休日も、なかなかいいじゃないかと思う。

 

Annotations :
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のCD :
Royal Concertgebouw Orchestra
Sibelius: Symphony No.2
Mariss Jansons, Chief conductor
RCO 05005
Link : HMVジャパン
ブルックナーの交響曲第8番 :
Bruckner : Symphony No.8 in C minor (Haas Edition)
Vienna Philharmonic Orchestra
Herbert von Karajan, Conductor
Deutsche Grammophon 427 611-2
Link : HMVジャパン
カラヤンという指揮者はすこし苦手意識があるのだが、この曲に関してはカラヤン盤を推奨。いつかまた取り上げたい。
ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」 :
Beethoven : Symphony No. 3 in E flat major, Op. 55, "Eroica"
Vienna Philharmonic Orchestra
Simon Rattle, Conductor
EMI TOCE13521
Link : HMVジャパン
Link : HMVジャパン (交響曲全集)
賛否いろいろあるけれど、いまを代表するラトルのベートーヴェン。折に触れ聴いている。CDを買うなら、全集盤がお薦め。CD番号は全集盤。
フィラデルフィア管弦楽団 : The Philadelphia Orchestra
クリストフ・エッシェンバッハ : Christoph Eschenbach
ウォルフガング・サヴァリッシュ : Wolfgang Sawallisch
シャルル・デュトワ : Charles Édouard Dutoit
レオポルド・ストコフスキー : Leopold Stokowski
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 : Tonhalle Orchester Zürich

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