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2007年7月21日 (土)

脳のなかの置き場所の限界

Window むかし、学生時代、理由あって4回生のときには一生懸命勉強した。そして脳のはしっこを見た。ここで行き止まりなんだなと思った。

当時は本当にそう思ったが、この話はいまは冗談としても、社会人になってしばらくしたころ、「知識や好奇心は、ときどき吐き出さないとこれ以上入らなくなる」と感じはじめた。それはいまでもそう思っている。だから吐き出せばいいのだが、仕事に関することは職場で存分に吐き出せるとして、趣味やプライヴェートに関することは、同好の諸氏でも見つけられないかぎり、仕事一筋の確信的サラリーマンにはそうした場はあまりない (上手にそうした場を見つけている方々はもちろんたくさんおられる)。


このブログをはじめたきっかけについては、まえにべつのところに書いた通り、どうもこのままでは脳の一部が壊死してしまいそうだと感じたからだ。でも一方で、べつの期待もあった。ここでなにかを書くことで、脳のなかにまた新たになにか知識や好奇心を入れる場所ができるのではないか、という期待だった。

脳、脳というと、どうも表現が直截的ですこしいやらしい。それでも、結果としてやっぱりなにかを考える余裕がすこし出てきた。先日書いたシューベルトとのだめの話は、意外なことに検索エンジン経由で多くの方々に見ていただいたようだが、いちばん影響を受けたのはほかならぬぼく自身で、シューベルトのことをいろいろと考えるようになった。今日はHMVのサイトで、いくつかシューベルトのCDを注文した。iPodにも入れて通勤時に聴いている。これが意外と気持ちがいい。さわやかな朝、つかれた夜、どちらにしてもシューベルトのすこし陰気なピアノソナタが似あうと誰が予想しただろうか。他の方々が書いているシューベルトのサイトも読むようになった。いろいろ勉強して、シューベルトについて書いたつい先日以来、いきなり考えかたが変わったとは言わないが、すこしちがった視点から見えてくるようになった。

もちろん、これは脳に余裕ができたからというよりは、自分でなにかを表明することで、そのことについてより考えるようになった結果だと言ってもいい。ぼくにとってはそれはおなじことで、ようするに脳のなかでもやもやと場所をとっていたものが、文章というひとつの形になったことで凝縮され、さらに広げられるようになったということだ。

率直なところぼくはべつに世間になにかを問えるような存在ではない。プロフィールに書いたように、仕事と子供たちに囲まれながら、女房といっしょにぎりぎりのところでなんとか生活を立てている労働者にすぎない。

でも――そんな毎日でも、こうしてなにかを書くことで、またさらになにか新しいことに関心が持てる。小さな一日が、すこし特別なものに変わる。これはまあまあ幸せなことだと思う。

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